鬼姫 ──鬼姫生伝説──(岐阜県揖斐郡) | コワイハナシ47

鬼姫 ──鬼姫生伝説──(岐阜県揖斐郡)

岐阜県揖斐郡の奥いび湖は、一九五七年に着工した横山ダムに伴って出来た人造湖で、民家や寺社など人々の暮らしの歴史が水底に眠っている。

藤橋村字《鬼姫生 》という集落もその一部で、湖畔に鬼姫生の墓を改葬した墓地と石碑がある。地名の由来は鬼になった女の里だからというもので、『新撰美濃志』に「むかし女の鬼に成りたるがここより出でし故、里の名となりしよしいひ伝へたり」と記されている。

藤原道家の兄で天台宗寺門派の僧侶だった慶政上人が鎌倉時代に著した仏教説話集『閑居友』の「恨み深き女、生きながら鬼になる事」という一篇が、この鬼姫生伝説を書き留めたものだという。今回の本の副題「鬼姫」に因んで、中川聡氏による同書の校訂文を読んでみた。これを現代語に抄訳したものを最後に綴って、締め括りたいと思う。

──そう遠くない昔に、身分卑しからぬ男がいた。彼は美濃国の娘のもとに通って交情していたが、遠方に住むがゆえに足しげく通うというわけにいかなかった。

男を待つうちに、世間知らずの娘の心には憂わしい猜疑心が芽生えた。

すると男は娘の暗い心を垣間見て怖がり、かえって足を遠ざけた。

絶望した娘は食を断ち、独りで部屋に籠るようになった。折悪しくこれがちょうど師走の頃だったために、家人は年始の支度に追われて、誰も娘の変調に気づかなかった。

やがて娘は髪を五つの髻もとどりに結いあげて、飴で塗り固めて角を作った。そして紅の袴を穿くと、宵闇に紛れて何処かへ走り去った。

そして三〇年余りも年月が経った。娘の両親をはじめ家族は皆、亡くなってしまった。

その頃、村はずれにある朽ちかけた御堂に鬼が棲んでいるという噂が立った。鬼が御堂の天井に隠れるところを遠くから見た者が何人かあり、この鬼が牛飼いの子どもを喰い殺したというので、近隣の集落の者たちが集まって、皆で鬼を退治することになった。

大勢が弓に矢をつがえて取り囲む中、御堂に火をつけると、五本の角を生やして赤い裳を腰に巻いた、たとえようもなく不気味なものが天井から飛び降りてきた。

そして、さめざめと泣きながら、「聞いてください。私はある家の娘でした。嫉妬心に駆られ、こんな姿で家を出ると、恨めしい男を取り殺しました。その後、元の姿に戻ることが出来なくなったがために、ここに隠れておりました。長い間、夜となく昼となく身の内が焼かれるような苦悩に苛まれていて、もう耐えることができません。どうか皆さんで私を供養していただけませんか。私が死んだら、必ずこの話を妻や娘に伝えて、妬心を起こすなと戒めてあげてください」と言い残すと、燃え盛る炎に飛び込んで焼け死んでしまった。

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