不良物件① 貸物件(大阪府富田林市) | コワイハナシ47

不良物件① 貸物件(大阪府富田林市)

駅前のビルの二階が空室になっている不思議

その物件は、大阪府の南部――T市の玄関ともいえる駅の、すぐそばにあった。外見は、ちょっと気取った感じのテナントビルである。一階は大部分がコンビニになっていて、二階にタイル張りの、かなり広いテラスのような空間が設けてある。一階からそこへは直通の階段が続いていて、その奥に大きなシャッターがあった。

シャッターにはプレートが張られていて、そこには愛想なく、こう書いてある。

「貸物件」――と。

プレートの下には管理責任者の名称や連絡先などが書かれているが――まあ、これはこの話には、それほど重要では、ない。

……近辺に住んでいる須賀さんは、今まで働いてきた会社で人員整理の荒波に脅かされていた。彼は、かねてからこの事態を予想していた。で、思いきって早期退職手当て等を元手に、友人と独立した店舗を持ちたいという構想を抱いていた。自分の才能が、この先の見えない不況下でどこまで通用するかわからないが――誰もが一国一城の主を一度は夢見るものだ。夢を見ただけで……士族の商法というヤツで終わってしまう者も多いのだけれど。

それで――彼は薄氷の上を踏む思いで会社に勤めつつ、機会があるごとに立地条件のいい物件を物色していたのである。

そう。商売はそのほとんどが、まず立地だ。

ネット時代であっても、それは変わらない。業種にもよるけれど、立地さえよければ多少の才能上の問題はカバーできるものだ。顧客の信用を得るのも、集客に重要なのも、まず何よりも立地条件……。

「――――――うーん」

須賀さんは、その休日の昼下がりに、前述のテナントビルの前で唸っていた。

彼がそのビルにきたのは、何もその日が初めてではなかった。通勤こそ自家用車を使用していたが、駅を利用することもしばしば、ある。そのたびにビルの前を通っていたから。

けれどもそれまでは、たんに通行の背景に過ぎなかったビルであった。用事は、何もなかったし注意など向ける必要も、ない。が、物件探しを始めている現在の目で見た場合、評価はまったく異なってくるのだった。

(交通至便であるし、ビル自体も、そう年数は経っていないようだ。人の流れもいい。現に一階のコンビニは繁盛しているように見える。悪くないんじゃないか……)

そう。悪くない。それまであちこち物色をして、頭の中に作成したそれぞれの候補のリストとくらべても、ケチをつけるほうが難しい物件であるように思える。

有力候補。そんな単語が頭のなかに浮かんだ。灯台下暗し。そんな単語もついでのように浮かんだ。だがしかし――。

腑に落ちないことも、ある。須賀さんの記憶では、このビルの二階に店舗が入っているのを見たことがないのである。そこは、いつでもシャッターが閉ざされていた。「貸物件」のプレートが、わびしくかかっていた。

いや、ひょっとしたらごく短期間、何かの店が開いていたような気もする。が、それらも文字どおり瞬く間につぶれ、すぐにもとどおり、シャッターが閉まったままになってしまって……。

(なぜだろうな?)

士族の商法。つまるところは素人商いで、リサーチも何もせず、お客の都合も興味も無視した商売もどきを敢行した連中が続いた、ということなのだろうか。

こういうご時世だと、それも十分考えられる。

(でも、俺は違うぞ。俺は、違う……)

誰もが自分だけは革新的なことをするのだ。他人とは違うのだ、と思いがちなのだが――それもまあ、この際、おいておこう。

初夏だというのにうすら寒い内部

須賀さんは、階段の下からシャッターの閉まっているビルの二階を見上げた。そして――道を往来する人の流れから外れて階段を、のぼり始めた。プレートに記載されているであろう、管理責任者の連絡先をメモしておこうと思ったのだ。近々、連絡をして物件の説明を受けておくのも悪くは、ない……。

「おや?」

須賀さんは、階段をのぼりきったところで首を傾げた。

いつもいつも閉まっていたシャッター。少なくとも道から見る限りでは、常に閉ざされたままだったシャッターが――少し、開いているのである。

(誰かきているのか?物件を見にきているのだろうか?)

……それにしては、中途半端な開き方であった。シャッターは、下から五〇センチメートル前後、上げられているに過ぎない。人が腰をかがめて、やっと潜れるかどうかという微妙な高さだ。それなら管理人か誰かが、たんに掃除等の作業のために隙間をつくったということなのか。

………………かもしれない。

須賀さんは、腰をかがめた。なかは、うす暗い。くもりがちとはいえ、明るいこちら側からは、ほとんど何もうかがえない。彼は、さらに近寄った。しん、とした内部。人の気配は、ない――が。

「誰か、いらっしゃいますかあ!」

思いきって呼びかけてみた彼の声にも応えるものは、ない。

(どうしたものかな)

下見をしたいと思った矢先に、その物件のシャッターが、どうということもなく開いている……世間では、こういうのを縁というのでは、ないだろうか?もちろん、黙って入れば、とがめられるだろう。子供ではないのだから。しかし……。

(正式に見る前に――ちょっとだ。ちょっと眺めてみれば、どういうものか見当がつく。管理人は、どこかに行っているようだが……戻ってきて鉢合わせになったら、どうする?こういった物件を探していた者だと言えば――まさか警察沙汰にすることはしないだろう。噓でも何でもなく、本当の話なんだから)

結局、須賀さんは、シャッターを潜りぬけた。

外は初夏だというのに、なかは、ひんやりとしていた。……うすら寒いくらいだ。コンクリートが剝き出しになった四方の壁と天井に、仮に設置されているらしい蛍光灯が数個、寒々とした光を放っている。やはり……誰も、いない。何が入っているのか大きめのダンボール箱が数個ずつ、あちこちに積み重なっている――とりあえず目につくものといえば、それくらいのものだ。

須賀さんは腕組みをして、あたりを眺めた。

(しかし、思ったよりも広さはあるな。間口も奥行きも申し分ない)

そんなことを考えながら、数歩歩いてみる。横手にはいくつかドアがあった。そのうちの一つは非常口のようだ。おそらく、その向こうには非常階段があるのだろう。

(内装は、ずいぶん手間がかかりそうだなあ。それに)

ぱたぱたぱたぱた……

須賀さんの背後で、物音がした。彼は、ぎょっとした。管理人が、戻ってきたのではないか、と思ったのだ。

(まずい――か?)

けれども。バツが悪い思いで振り返った彼の目には……誰も映りは、しなかった。隙間の開いたシャッターが、外の光をぼうっとなかに入れている――――――それ以上でも以下でもない。誰もいない。誰も立ってなど、いない……。

(空耳か。案外、気が小さいんだな、俺って男は)

彼が、そう自分を笑ったとき。

………………がっしゃあ~ん!

気が小さいか、そうでないか。そんなことに関係なく、今度こそ須賀さんは飛びあがった。大音響だった。それはそうだろう。何の前触れもなく、開いていたシャッターが、床まで一気に落ちて閉まったのだから。ほとんど、がらんどうのコンクリートの空間に余韻が響く。

開かない……開かないのだ、これが

「な……ッ!?」

須賀さんは、シャッターに飛びついた。半開きのまま固定していたストッパーのたぐいが、ゆるんだのだろうか。

(自動ではなく手動のシャッターのようだが――まさか、どこかイカれたんじゃあないだろうな?)

須賀さんのイヤな予感は、的中したようだ。開かない。……開かないのだ、これが。シャッターは、そこに根を生やしてしまったかのように上がらない。

「んっ。んーっ……ムッ!むうっ!!」

顔を真っ赤にして悪戦苦闘したあげく、須賀さんは、あきらめざるを得なかった。思わずシャッターを蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られたが――これは何とか思いとどまった。万一破損して、賠償問題やら何やらになったらえらいことだ。そう考えるだけの心の余裕が、残っていた。……その時点では。

(まいったな。今の音を聞きつけて、管理人がやってくるかな?)

どうだろう?数分が経っても、シャッターの外は音沙汰が、ない。ということは、少なくともここから外に出ることは、かなり難しくなったということだ。

(非常口を使うしか、ないか)

非常口を開けることによって、ビルのセキュリティが作動するかもしれない。が、そんなことは言ってられない。彼は部外者であり、しかも正式な手続きを踏まずにここにいるわけだから。

(事情を、ありのままに説明するしかないな)

嘆息して須賀さんは非常口のドアに手をかけた。しかし。

開かない。またしても。ロックされているのか、ドアはビクともしなかった。

(………………チッ!ジョークなら、勘弁だぞ)

試しに横手にある、いくつかのドアのノブを順に回そうとする。が、開かない。動かない。どれもこれも。自分の腋の下を冷たい汗が流れてゆくのがわかった……。

(ジョークは、勘弁してくれって言ったぞ。糞……)

閉じ込められた。その事実を認めないわけには、いかない。けれども、こんな馬鹿馬鹿しい状況が、あるものだろうか?

まっ昼間の駅前にあるテナントビルなのだ。下からはコンビニで買い物をする人たちのざわめきが、伝わってくる。目には見えないが目の前には――ほんの一〇メートルほど先には――にぎやかな人の往来が、ある。明るい太陽の陽光。陽気……。

(なのに自分は、薄暗く殺風景なコンクリで固められた所に閉じ込められている!?)

須賀さんには、他ならない自分自身が陥っている今の状況が、まさに他人事でもなんでもないからこそ、よけいに信じられなかった。しかし――事実は事実だ。彼は周囲に転がっている箱が、なかに何が入っているものか、意外に頑丈なのをたしかめてから、腰をおろして考えた。

(ケータイで知り合いを呼び出してきてもらうか?しかしなあ)

不法侵入。いや、すでにそうなっているわけだが、この言葉が頭に何度も浮かんでくる。

この上、シャッターをこじ開けでもしたら、ますます話がこじれることにならないか?

(落ちつけよ。落ちつけ。とにかく最初はシャッターは開いていた。中途半端ではあったけれど。だからこそ自分は、ここにいる。誰が開けたにせよ――あの状態で開けた人間が、そのまま、どこかに行ってしまったとは考え難い。必ず戻ってくるはずだ。だから――ここは、しばらく、このまま待っているのが上策かもしれない。誰かを呼びつけたりして事を大きくしてゆくのは下策だ。そうだろう?)

やっぱり、いやがるんだ!

そう、自分で自分に言い聞かせているときであった。

………………ぐっ。くっくくく。くっ

「――ア?」

それは、押し殺したような笑い声であった。いや、呻き声かもしれない。それが、どこからともなく聞こえてきたのだった。

クッ、ク、ク、ク

……まただ。階下のコンビニのざわめき――なのだろうか。いや……違う。このなかだ。この、コンクリートに囲まれた空間のどこかから……?

須賀さんは、周囲をきょろきょろと見回した。薄暗い蛍光灯。灰色の愛想のない壁。天井。そしてシャッター。あとは、ぽつんぽつんと積みあげられたダンボール箱。物音を出しそうなものは何も、ない。

(気のせいか)

………………ぱたぱたぱたぱたっ

彼が座っているすぐ傍ら――しかし死角になっている傍らを、何かが走った。

ハッと須賀さんは、そちらを見てみる。しかし、やはり、何もそこには――ない。彼は座っている箱の隅を無意識のうちにギュッと摑みながら、つぶやいた。

「何なんだ……」

変だ。妙だ、と彼は思う。思わざるを得ない。

(この貸物件のなかに潜り込んでから、何かがおかしい。まるで正常という名前の歯車が狂ってしまったようだ。自分は今、ここに自分以外の「何か」がいると思いかけている。自分以外の「何か」。けれども、それはいったい、何だ?)

まぎれ込んだ犬猫のたぐい。あるいは駅でもしばしば見かける大きなドブネズミ――そういったものなのだろうか?

(野犬や害獣のたぐいなら、まだいい。もしも――もしも、そうではなかったら?)

………………そうでなかったなら?

くっ。くくくっ。クッ。ググッ……くくっ

須賀さんは、跳ねあがるようにして立ちあがった。今のは何だ?今のは?

(猫が喉を鳴らす音?……違う。絶対に違う!そんなものじゃあ、ないっ)

自分の目は宙を泳いでいるだろうな、と須賀さんは思った。そしてまた、自分がそんな状態になっているのなら、それは悪意のせいだとも思った。……悪意?何かが自分をもてあそんでいる。それこそ猫が、爪の先で虫をいたぶるようにして。

だが、ここには自分以外には誰もいない。悪意を持つべき人間は誰もいない。

――――――人間は。

(寒い……)

寒かった。外に陽気があるなんて嘘のようだ。須賀さんは両腕で体を擦った。うすら寒いどころでは、ない。これでは冷気だ。なぜ、こんなにも寒いのか?

(チクショウ)

彼はもう一度シャッターに取り組んだ。――開かない。非常口にもう一度取り組んだ。――開かない。そして、やってくる者は誰も、いない。誰もこない。

階下のざわめきが、大きくなったように思える。異常に大きく、ざわざわぞわぞわ……と。そうして合間に聞こえるのだ。笑い声とも呻き声ともつかない――アレが。

くっ。くっくっくっ。グッ。ククッ……グッグッ……グッ

(どうなってるんだ。どうなっちまったんだ。ああ、やめてくれ。やめてくれよう)

須賀さんは恐慌をきたし始めていた。彼がケータイに手をのばさないのは、当初のように計算を働かせてのことでは、なかった。ケータイを持っていることさえ思い浮かばないのだった。

ぱたぱたぱたぱたぱたっ……

(アッ!)

視界の隅を、白いものがよぎった。須賀さんは血走った目で、とっさにそれを追った。病的な白さの何かが、ダンボール箱の一つの陰に走り込んだ。

(やっぱりそうか。そうなんだな。やっぱり、いやがるんだ!チクショウめ!)

彼は、そのダンボール箱に駆け寄り――陰を、のぞき込んだ。塵と埃が、あるだけであった。誰も隠れてなどいない。うずくまっても、いない。そもそも隠れたりできるスペースではないのだ。……人間であれ何であれ。

「………………」

よろよろと須賀さんは、後ろに下がった。とたんにダンボール箱の一つに足をとられて、ひっくりかえる。彼は目尻に涙を浮かべていた。痛さのためでは、なかった。そうして自分が涙を浮かべていることにも、気がついていなかった。

(出なくちゃ。出なくちゃいけない。何としても。即座に。出なくちゃ。出なくちゃいけないんだ。出ないと――出ないと……ウワッ!?)

ビクン!彼は――――――硬直した。

「何か」が彼の頭の後ろを――髪の毛をかきわけるようにして、がさりと撫でたのだ。「何か」が――。

視界の端に、それはスーッと入ってこようとしている。眼前の寒々とした打ちっ放しのコンクリート。灰色の背景を、じょじょに遮って、病的な白さのものが須賀さんの頭越しに視界を奪ってゆく。そうして、真後ろであの、「声」が響いた……。

くっ、くっ、くっ、くっ、くっ

「………………!!」

「――ちっ、またか」

――――――がしゃ~っ!!

大きな音がした。とたんに眩い光が差し込み、須賀さんは目がおかしくなった。……シャッターが、どうということもなく開いていて、そこに初老の男性が立っていた。男性は腰がどうかして、ぺったりと床に座り込んでいる須賀さんを、うさんくさそうに見て声をあげた。

「オイ、あんた――そこで何してる」

須賀さんは、とっさには返事ができなかった。返事をするかわりに、おそるおそる背後を見、そして周囲を見た。そこには愛想のないコンクリートの背景があるだけであった。ダンボール箱があるだけであった。それから彼は、もう文字どおり這いずりながら、シャッターの外に出たのだった。それが精一杯であった。

シャッターの外は、暖かかった。いや、暑いくらいだった。そして、眼下には通りが見える。買い物帰りらしい主婦たち。学生らしいカップル。自転車に乗った子供。ごくふつうの、見慣れた光景が――当たり前に。

「オイ、あんた。ここで何してたんだ?」

初老の男性の声が上から降ってきた。彼は、どうやら管理人であるらしい。

須賀さんは混乱しながらも、自分を取り戻しつつあった。それで、プレートを書き写そうとしたところから始まって、事の顚末を――ややパニクってはいたが――語ったのだった。語るには最大限の気力を動員しなければならなかったけれど。

が、初老の男性は、須賀さんの話を半分も聞こうとはしなかった。

「――ちっ、またか」

彼は、そう言うと、ずんずんとシャッターのなかに入っていった。須賀さんはといえば、シャッターの外でその姿を眺めているだけだった。たとえ金塊を山と積んでも、そのときの彼をもう一度シャッターのなかに入れることはできなかったろう。

初老の男性は手際よくあたりをチェックすると、横手のドアを非常口も含めて順々に開けていった。それらは何の抵抗もなく、かちゃりかちゃりと開くのだった。

(な、何だって?だって、ついさっきまで、どれもビクともしなくて――)

ぽかんと口を開けて一連の動作を見守る須賀さんをよそに、初老の男性は消灯し、最後にシャッターを閉めて鍵をかけた。シャッターが完全に閉まるまで、顔をそむけていた須賀さんであった。じっと見ていると、隙間から何かが、のぞきそうな気がしてたまらなかったのである。

そうして――初老の男性は須賀さんのほうをようやく向くと、こう言ったのだった。その顔は、ひどくいらついているようにも――怯えているようにも見えた。

「さあ。ケガがないのなら帰ってもらえないかね。今回は、あんたも悪かったわけだし――面倒は御免だ。また救急車を呼ぶようなことになったら……かなわんよ」

(また?さっきも言ったぞ。たしかに、またって。すると)

何か、わかりかけた気がした須賀さんだった。たとえば、この貸物件が、なぜ、ずっと「貸物件」のプレートがかかったままなのか……とか。なぜ、たまに誰かが借りても、すぐに店をたたんでしまうのか……とか。だが、わかることと、わかりかけることとは、似ているようで実は違う。……異なるものだ。そうではないか?

曇りがちではあったが、晴れた初夏の日であった。陽気で、暑いくらいの。そして、駅前は人通りが多かった。憔悴して家路につく者が一人くらいまじっていても、誰も気にとめないほどに。

……須賀さんは、まだ宮仕えのままだ。うまく立ち回って、できることなら定年まで勤めたい方向に気持ちが傾いてきているのはたしかである。

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