霞ケ浦分院(茨城県稲敷郡美浦村) | コワイハナシ47

霞ケ浦分院(茨城県稲敷郡美浦村)

「君と出会った奇跡はこの胸に流れてる きっと今は自由に空も飛べるはず

夢を漏らした涙が 海原に流れたら ずっとそばで笑っていてほしい」

スピッツの「空も飛べるはず」の歌詞である。

この霞ヶ浦分院でこの曲のPVが撮影された。今はもう無き木造の古い兵舎では看護師たちと昭和のドクター風の男性とメンバーが歌っている。

海の近くのような場面も霞ヶ浦であり、この場所で撮影されたことに意義を感じるような歌詞だ。このPVには窓から見る人の影が映っており、心霊PVとしても有名なのだ。

海軍の飛行隊の跡地で、空と海を歌うなら、当時の飛行兵霊達が寄ってきて当然だ。

自由に空が飛べたら、夢を見ることが叶うなら、そんな気持ちで聴いたことだろう。

映画スタッフの山田さんは、この霞ヶ浦分院に来た。戦時中の映画を撮るためにこの辺りの風景をロケハンに行くことになった。

元司令室の鉄筋の建物内部を使って撮影することになっていた。

ちょうど新人女優もついていきたいというので連れていった。

冬の十七時くらいに到着すると、辺りはもう真っ暗になっていて、肝試しでも来たような気分になった。しかも雨が降り出し、気分的には憂鬱だった。

「ここ、雰囲気的に何かありそうだよね……兵士の霊でも出そうだよ」

新人女優のユリ(仮名)は少し変わった女性だった。アングラ系の舞台出身で、今回初めての起用だったので張り切っていたのだろう。

彼女はいきなり持っていたカバンを放り投げると、

「私はここで生きる! この世界が私を呼んでるの!」

と叫んだ。映画の脚本に似たセリフがあるので、それを練習しているようだった。

山田さんはユリと建物を背景に写真を撮って、その日はやめることにした。

雨が降り出したからだ。ユリはまだそこで練習したそうだったが、カメラや機材が濡れるのも困るのでユリを促して帰ることにした。

暗闇から、ちょっとイカれたような目線でユリが言った。

「お土産があるの、これ、あなたに」

と言って傘を渡してくれた。さび付いたボロボロの青いビニール傘だった。

「あれ、この傘どうしたの?」

と聞くがヘラヘラして答えない。変な奴だ。でも女優ってそんなもんかな。どこか憑りつかれてるようなところがあるし。

そう思いながら、取りあえずその傘を二人で差して車に乗って帰った。

駅までユリを送り、その傘はそのまま車に載せて自宅へ帰った。

山田さんはその頃、同棲している彼女がいた。彼女は少し霊感が強かった。

雨がひどくなり傘を差して、玄関の靴の近くに立てかけて置いた。

朝になり、山田さんがコーヒーを淹れていたときだった。

「キャー!」

と彼女が声を上げた。何があった? と彼女のいる場所に行った。彼女は玄関を指さして

「女の人が立ってる……」

と言った。

玄関にあるのは、昨日持ってきた青いビニール傘だけだ。

「傘しかないよ、何言ってんだよ……」

と山田さんは傘を取りに玄関に行った。

その時、頭の先からつま先までゾクッとする悪寒が走った。山田さんは幽霊は見えないが、いそうな場所に行くとこの悪寒がするのだ。

「いやー! あなたに女が絡みついてる! ドア開けて!」

彼女が半狂乱になって騒ぎ、山田さんに向かって塩をふりかけた。

玄関を開け、その傘を外に捨てた。すると彼女はほっとした顔になった。

「危なかった。その傘どこから持ってきたの?」

「昨日……ロケハンに行った霞ヶ浦分院ってとこだよ……置き傘かな」

「あれに女の霊がくっついてたから。すぐ捨ててね。危険な霊だったから」

その後、玄関を開けたら捨てた傘がなかった。誰か持っていったのだろうか。

昨日撮った写真を確認してみた。

ユリの背景に古びた窓があるのだが、そこに白い服を着た女性が立っていた。

噂に聞いた、分院に出るという女の霊だろう。これが傘にくっついてきたのか。

「これは……写っちゃったか」

その写真は処分した。

他の写真も雨粒が映ったのか、オーブなのか、ユリの顔が隠れるくらいにたくさんの白い丸いものが写っていた。

そのユリが写っている写真を覗いて見ていた彼女が、背後でぼそりと言った。

「この女だ」

山田さんはまた全身に悪寒が走った。

映画は違う場所で撮影することになった。理由はわからない。

その後、ユリは映画のキャスティングから名前が消えていた。

辞退したそうだ。理由は体調不良ということだった。

霞ヶ浦分院。

戦時中の名称は、鹿島海軍航空隊跡。鹿島海軍航空隊の本部庁舎があった。昭和十三年に建てられたものである。筑波海軍航空隊も同年の鉄筋建築であるから、作りがよく似ている。ただ、霞ケ浦の湖畔にあるせいか、建物自体はもっと古めかしく見える。

当時は、航空母艦をイメージして作られたと言われる。水上偵察班や潜水艦の攻撃隊も加わり、内地の防衛、搭乗員の教育、鹿島灘での対潜作戦を主な任務とし、千人を超える大規模な基地であった。

ここからも特攻隊として飛び立っていった若き兵士たちがいた。

戦後この建物は、結核のための東京医科歯科大学霞ヶ浦分院と、国立公害研究所として利用されていた。今は廃院となり敷地自体は国立環境研究所が利用しているそうだ。

時々窓に見える女性の霊の目撃情報は、結核患者の女性ではないかと言われている。

きっと今は、自由に空も飛べるはずだ。

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