溺死(大阪府) | コワイハナシ47

溺死(大阪府)

溺死

「私には弟がいたんです」そう言って、E子さんはある事件を語り出した。

二十年以上も前、E子さんが社会人としてのスタートを切った年の夏のことである。

当時高校二年生だった弟のヒサオが「友だちと遊んでくる」と言って出て行ったきり、夜になっても帰ってこなかった。

こんなことははじめてだ。

家族の者は心配して、心当たりに電話をしてみるがどこにも寄った形跡がない。

翌日、警察に捜索願いを出した。

しかしE子さんはその日のうちに、ヒサオは死んでいると思っていた。

心配するE子さんのすぐそばで、誰かが通りすぎるように風が流れたり、ヒサオの匂いが鼻の前をかすめりしたからだった。

四、五日たった昼間、その気配がなくなった。

その日、近くにある山の麓ふもとの池に若い男性の水死体が見つかった。お宅の息子さんかどうか確認をお願いします、と警察から連絡があった。

急いで現場に行くと、そこには変わり果てた姿のヒサオが白いシーツに包まれていた。

警察が言うには池のほとりに衣服とサンダルが置いてあるとの通報があったので、水中を捜索してみたところ、池の底の藻にひっかかった半裸の死体を発見したという。

〝遊泳禁止の池で溺死〟

そう判断された。

納得できない。

E子さんは、泳げない弟が池で泳ぐはずがない、もっとよく調べて欲しいと警察に食い下がったが、それ以上のことはわからないと突っぱねられた。

葬儀の日、クラスメートがお別れに来てくれた。

その席でE子さんは、親しくしていたA君とB君をヒサオの部屋に呼び出して問い詰めた。

「あんたら一番仲良かったやんか。何か知ってることない?お願いやから正直に言うて。あの日、弟に会うたやろ」

「知らん、会うてない」とふたりとも首を横にふる。

「ヒサオは、友だちと遊ぶ言うて家出てんねんで。ヒサオが友だち言うたらあんたらふたりやんか……まさか、あんたらがあの子……」

ふたりの顔色が真っ白になった。

「ちっ、違う、あいつが勝手に泳いだんや。そっそれで溺おぼれたんや。お、おっ俺ら知らんて」

言葉に詰まっている。

「やっぱりあんたら、あの日一緒におったんやな。何で警察に言うてくれへんかったん」

「違う、俺ら、止めたんや。けど、あいつが勝手に泳ぐ言うて飛び込んで。ほんまや、俺ら助けようにも助けられんかったんや」

「ヒサオ、泳がれへんねんで。泳げん者がなんで池に飛び込むんや?」

そんなん知らん、とふたりは泣きだして部屋を出て行った。

事故なんかじゃない。

これで確信を持てた、とE子さんは思った。

通夜

通夜の日の深夜だった。

タンタン、タンタン、と襖を叩く音がする。

誰や来てはるよ。

はい、と誰かが襖を開けた。

誰もいない。

今、誰か来てはったよね?

霊前の親しん戚せき一同、顔を合わせてうなずいた。

しばらくしてまた、タンタン、タンタン。

あっ、やっぱり誰か来てはる。

そっと開ける……。

いない。

それが三度も続いた。

誰ひとり口には出さなかったが、皆が同じことを思っていた。

ヒサオ、成仏してないわ。

そんなに入って来たいのなら、と襖を開け放しにしておくと、もう何も起こらなかった。

朝になった。

廊下には、いつの間にか濡ぬれた足跡があちこちに残されていた。

悔しい

葬式が終わって何日かした夜中のこと。

気持ちが落ち着かない日々が続き、なかなか寝つけなかったE子さんだったが、この日ようやく眠りにつくことができた。

深い眠りの中で誰かが髪の毛を、手のひらでゆっくりと撫なでまわしている。

何だろうと目が覚めた。

夢なのかどうかわからなくてぼんやりしていた。

ふっと横を見ると、まだ髪の毛をさわっている白い手がある。

一瞬でまどろみが吹き飛んだ。

誰?と手の主を目で追うと、枕元にヒサオが座っている。

「ヒサオ!どないしたんや。お姉ちゃんに言いたいことあるんか」

するとヒサオはフッと闇に消えた。

「お姉ちゃん、僕、悔しい……」

消える寸前に、はっきり聞いた。

この日から同じことが毎夜続いた。

身体のどこかに手が触れる。起きるとヒサオがそばにいて、すぐに闇に消えていく。

そして消えたその闇から声がする。

「お姉ちゃん、僕、悔しい……」

弟は、きっと無念のために成仏できないでいる。

あれは事故じゃない。その犯人を私に捜してくれと言いたいに違いない。

ヒサオ、私が必ず犯人見つけ出して、警察に突き出してやるからな。

E子さんの気持ちは日増しに高まった。

ヒサオ

E子さんのもとに、突然お母さんが訪ねて来た。

ヒサオやけど、あの子迷ってるんと違うか、と顔を曇らせている。

どうして?と言ってE子さんはとぼけてみせた。

毎夜ヒサオが自分の所に現れることは、お母さんには話していない。余計な心配をさせたくなかったからだった。

昨夜のことだという。トイレに行こうと廊下にいたら、トントントンッと階段を上がる者がいる。

ヒサオだ、と思った。

気づかれないように階段を上がると、ヒサオの部屋のドアが閉まるところだった。

ヒサオ!

急いでドアを開けて電気を点つけたが、誰もいなかった。

「実はね、今までもあったんよ。夜中にね、廊下にあの子が立ってたり、真っ暗のキッチンで椅子に座ってたり。そやけどそれは母さんがあの子を思っての幻やろとか思うてたんや。けど、昨日のは違う。間違いない、あれはヒサオやった……。だって歩いとったもん。自分の部屋に入りよったもん。ヒサオやで。何かあんねんで、あの子……何なんやろ……不憫な」

すすり泣く母に言葉を失った。

その夜、妹からも電話があった。

「お姉ちゃん、今朝、ヒサオ見たよ」

妹もこの時期、ひとり暮らしをはじめていた。

朝、いつものように会社へ行こうとガレージに入って、車の運転席についた。

ふとバックミラーを見ると、うつむいたヒサオがガレージの隅に立っている。

ヒサオ!!

振り返るといない。

気のせいか。前に向き直ってバックミラーをのぞくと、確かにヒサオが立っている。

それを何度かくり返した。

とにかく車を出そう、と道路に出た。すると今度はガレージの前にヒサオが立っている。

はっきり見た。間違いない。

「ヒサオ!」と車から飛びだしたが、そこに弟の姿はなかった。

「お姉ちゃん。あの子、もしかして成仏するの嫌がってるのとちがうやろか?」

四十九日

おぼろげながら死んだ日のヒサオの足どりがわかりかけてきた。

その日、池のほとりでヒサオとA君が殴りあっているのを見たという同級生を見つけた。詳しく聞いてみると、A君がヒサオのガールフレンドのことをブサイクと言ったことが発端だったことがわかった。そこにB君もA君に加担する大おお喧げん嘩かになった。そのうち、打ち所が悪かったのか途中でヒサオがぐったりしたというところまでは聞くことができた。怖くなったふたりは、衣服を剝はいで池の中に沈めた、ということらしい。

やっとその話を聞き出した夜。E子さんの枕元にいつものようにヒサオが座った。

「ヒサオ。もうすぐやで。証言もとれたからな」

いつものように闇に消えるヒサオ。

ところがこの後がいつもと違った。

「お姉ちゃん、もう、ええんや」

あきらめたような声が闇から聞こえた。

「えっ、どういう意味や?」

驚いたが返事はなかった。

朝、会社を休んで警察に行く準備をしながらE子さんはニュースを見ていた。

「あっ!」と思わず叫んだ。

オートバイとトラックの事故のニュース。

テロップにオートバイに乗っていた若者は即死、と書いてある。

事故現場の映像に入れ込まれた写真の主はA君だった。

ヒサオの、四十九日の朝だった。

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