兄の部屋(大阪府) | コワイハナシ47

兄の部屋(大阪府)

兄の部屋

Kさんが小学校二年生の頃の話。

当時、父を早く亡くし、母と七つ年上の兄との三人暮らしだった。

いつの頃からか、朝食を食べながら兄が母に妙なことを話すことがあった。

「夕べまた出たわ」とか、「着物を着た女の人」というような聞いていてもよくわからない話だった。

母はその話にまったく取り合う様子がなかった。

Kさんもあまり気にしていなかったが、兄が母に話す回数がだんだん増えてきて、そのうち毎朝訴えるようになった。

さすがのKさんも気がかりなので、ある日尋ねてみた。

「兄ちゃん、毎朝話してる女の人って何のこと?」

「俺が寝てるとな、着物着た女の人が俺の部屋の隅にいつの間にか立ってるねん」

Kさんはそれだけで怖くなってしまった。

兄の部屋は、Kさんの部屋と襖で仕切られているだけだ。兄の部屋に女の人がやって来るということは、自分の部屋に来ているのと同じようなものだ。そう思うと怖くて仕方なかった。

それに狭い家のこと、その女の人がどこから兄の部屋に入って来るのかわからないが、兄もそれ以上は話してくれなかった。

兄は、いくら母に訴えても取り合ってくれないので、次第に何も言わなくなった。Kさんが時々、「女の人まだ出るん?」と聞くと、兄は、「毎晩な」とだけ答えた。

まだ出る

Kさんが六年生になった頃。

いつの間にか兄が何も話さなくなったので、女の人のことなどすっかり忘れていた。

ある晩、兄がKさんを自分の部屋に呼んだ。

「お前、昔、俺が話しとった女の人のこと、覚えてるか?」

よくは覚えてはいないが、怖かったという印象だけは思い出した。

兄は、「昨日あたりからな、えらいことになってきたんや」と話す。

その女の人は、あれからずっと現れ続けていたのだ。

自分を見つめる兄の真剣な目が怖い。

夜中、急に寒くなって目を覚ますと、今まで立っていただけの着物姿の女の人が同じ場所に座っている。

毎晩同じことが続いて、その度に座っている女の人が近づいて来るのだという。

それが昨日の晩、とうとう枕元まで来た。

今まで一度もなかったが、昨夜は体が動かなかった。

その女の人は自分に顔を近づけてくるが、顔だけが真っ黒でどんな女の人かがわからない。動かないのは体だけではなくて、目を閉じることも逸そらすこともできない。

兄も怖くて仕方がないが、どうすることもできず、ただ女の人をずっと見つめ続けていた。

どれぐらい経ったろう、女の人は兄の右手をそっと手にとって、自分の顔やうなじ、肩を触らせる。

体中から汗が吹き出して叫び声をあげそうになった時、朝になっていて女の人はいなくなっていたのだという。

Kさんは、そんなことが襖ふすまの向こうであったというだけで、耐えられなくなってしまった。

兄とふたりで母に訴えると、さすがの母も真剣な顔になった。

母はKさんにとりあえず学校に行きなさい、と指示し、自分は会社を休むと言ってどこかに出かけて行った。

夕方学校から帰ると、母と兄が出かける支度をしていた。

知り合いに紹介してもらって、拝み屋さんのところに出かけるのだという。

家にKさんひとりだけを置いていくわけにもいかないので、三人一緒に出かけることになった。

拝み屋さんの家は大きかった。

白い着物を着たお弟子さんに案内されて広い座敷に通されると、母くらいの年齢の女性が座っていた。

その人は兄を見るなり、「そのお兄ちゃんのうしろにいる着物姿の女性のことで来られたのですね」と優しい声で言った。

Kさんは、その言葉にゾッとした。

その拝み屋さんは兄の方を見つめて、「女の人の言い分はわかるけどもその前に、お兄ちゃんの話も聞かせてもらわんとね。何があったの?」と言う。

兄はこの人なら信用できると思ったのか、数年前から今朝までのことをあらいざらい話している。ところが話の途中でKさんは「ところでボク、すぐ終わるから隣で待っててくれる?」と部屋を出されてしまった。

襖の向こうからは、ぼそぼそという兄の話し声だけが聞こえてきた。

兄の話には続きがあったのだろうか?

何も聞こえなくなってしばらくすると、襖が開いた。

兄が何となく晴れやかな顔をしている。

「これで大丈夫やから。それに何かあった時のためにお守りをつけてあるから安心をし」と言う拝み屋さんの自信に満ちた言葉に、兄も母も黙って頷うなずいた。

その日以来、兄の口から着物姿の女の人の話が出ることは、まったくなくなった。

出てったか!

それから二年ほど経ったある夜のこと。

ドンと何かが落ちるような音に目が覚めると、Kさんは、仕切りの襖が兄の部屋の側から膨れ上がって元に戻るのを見た。

すると兄の部屋側の天井裏から、自分の部屋の方に向かって、何者かがダダダダダダとものすごい音をたてて走り抜けていった。

その瞬間、天井裏から、「また出やがったか、こいつは!」という怒鳴り声と共に、今の足音を追いかけるように別の足音が駆け抜けて行った。

お父さんの声だ!とKさんは思った。

天井を見上げていると、襖がサッと開いた。

汗びっしょりになった兄が立っている。

「出てったか?出てったか?親父、追いかけて行ったやろ!?」

Kさんには早くに亡くしたお父さんの声の記憶はほとんどなかった。しかしこの時はじめて、お父さんの声をはっきり覚えることができたという。

「お守りって、親父のことやったんか」

兄がほっとして気が抜けた声で呟つぶやいた。

Kさんが働くようになった頃、兄から聞いた話。

ある酒の席で、兄が懐かしそうに「実はお前に言わなかった話がある」と打ち明けた。

「お前あの時、拝み屋さんのところで隣の部屋に追いやられたのを覚えているか?」

そうだ、思い出した。自分が隣の部屋に追いやられていた間、いったい何を話していたんだろう。

「実はあのあとな、お前に話さんかった続きがあったんや」

女は兄の右手をとって自分の顔、うなじ、肩と触らせたあと、その手を自分の着物の中に誘っていったのだという。

脇や胸、更にその下へと……。

その感触は、本当の生きた女性そのままだったという。

温かいわけでもなく、冷たいわけでもなく、何となくまるで自分の体をさすっているような感触だったという。

あの時、拝み屋さんはまるでその話になることを知っていたかのように、Kさんを隣の座敷に連れて行ってくれた。兄は打ち明けやすかったという。

お前も知らなかったのやろうけど、この話を聞いて母さんも相当びっくりしとったなぁ、と兄は笑った。

「その着物の女の人って、結局なんで兄ちゃんのところにやって来たんや?」

「拝み屋さんの言うとおりだとすればな、俺の手がな、その女の人の彼氏の手とそっくりやったんや。だからその女の人は、俺の手を懐かしがって、彼氏がやってくれたのと同じように延々と自分の体に思い出を刻んどったんや、と。だから俺の手だけに恋をしてたっちゅうわけやな」

なんで俺にはその話をしてくれなかったんや?とKさんが聞くと、兄は「こんないやらしい話、子供のお前になんか聞かせられるわけないやろ。俺もお前に弱み握られるみたいで聞かれるの嫌やったからな」と大笑いしながら、Kさんの頭を軽くたたいた。

吊橋

K君のおじいさんが亡くなった。

お通夜の晩、K君とお兄さんが蠟燭の灯を絶やさないための寝ずの番になった。

深夜の二時を回った頃、ふと目が覚めた。

目が覚めて、はじめて自分が寝ていたことに気がついた。

あれ?いつの間に寝たんだろう?と思って隣を見ると、お兄さんもたった今起きたばかりでポカンとしている。

あ、と思い出して祭壇を見ると、棺ひつぎの左右に置いてある二本の蠟燭同士の、溶けた蠟が空中を伸びるようにしてつながっていた。

それがまるで吊つり橋ばしのようだった。

その吊橋のまん中は、蠟が固まって握手をしているように見えたという。

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