飛び込み営業(奈良県) | コワイハナシ47

飛び込み営業(奈良県)

営業マンが五軒目に訪れた家

あるファミレスで、かなり遅い時間帯に、数人の居酒屋から流れてきたらしい客たちが雑談をしていた。

話を聞いていると連中は家屋リフォーム関係の業者であるらしい。ただしリフォームの前に「タチが悪い」とか「質が悪い」という意味の二文字の熟語がつくタイプだ。

何でも、不景気でやっていられないのだという。連中の言う不景気は、これも世間一般で言う不景気とは少しニュアンスが異なっていて、ようするに悪徳業者の実態がマスコミ等を通じて広く知られるようになったため、商売がやりにくいそうな。連中は大阪府下を中心に活動しているらしいが、最近では奈良のほうにも自称営業マンたちを送り込んでいるとか。そうして、そのうちの一人が何か、使いものにならなくなったというのである。それも、およそ尋常ではない理由で。

……車の横に、どんな社名があるのか知らない。が、とにかく営業車が赴いたのは、奈良あるいはその近辺の、とあるニュータウンであった。もっともそうとうくたびれていて、オールドタウンの様相を呈してはいたけれど。

その営業マン――名前は東条氏とでもしておこう――は、車から降りると同僚たちと打ち合わせたとおり、昼下がりの住宅街の一方に向かった。

彼は、まだ二〇代ではあったが、この道ではひとかどであると自負していた。つまり悪い意味で、だ。

営業マンは通りの端から順に戸別訪問をしてゆくのである。文字どおりの飛び込み営業というわけだ。アポもとらず、まして先方から要望があるわけでもない。まず九〇パーセント以上は断られるのを覚悟しなければならない。いや九五パーセントかも。けれども残りの五パーセントは、何とかしてみせる自信が東条氏には、あった。でなければ、激烈な競争と昨今の当局の締めつけ、さらに鬼のようなノルマのこの業界で、何年もやっていける道理がなかった。

最初の二軒は、チャイムを押しても、誰も出てこようとはしなかった。

(フン。いつものことだ)

次の二軒は、インターフォン越しに、すげなく断られてしまった。

(フン。いつものことだ)

とにかく甘言を弄しようが、所属を偽ろうが、手段は選ばない。相手を何とかして玄関の外に――ドアの外に出す。それが重要なのである。それも気の弱そうな主婦や、老人ならば理想的である。そうなったら、もう、しめたものだ。

彼の所属する会社は、のこのこと顔を出す客のことを、「当たり馬券」などと呼んでいた。金に換えられないヤツは、バカであるという意味である。

(焦らず、急がず、慎重に、だ。確率的に言えば必ず「当たり馬券」が出てくるはずなんだから。大事なのは、相手を焦らせて、この機会をフイにしたら損をすると思わせることだ。こっちが焦る必要は、ぜんぜん、ないって。昔から言うだろ。急いては事を仕損ずる……)

そして東条氏が五軒めに訪れたのは――くたびれたオールドタウンのなかでも一際くたびれて見える二階建ての住宅であった。バブル期以前に建てられたのは、疑いようもない。あちこちが、適度にほころんでいて――おいしい獲物に思えた。

(……こいつは、イケルかな?)

キンコ~ン。カンコ~ン

どこか黄昏た音色のチャイムが遠くで、かすかに鳴った。インターフォンでは、ない。ただのチャイムだ。その点も実においしい。

秋晴れの陽光が足元に、くっきりと影をつくっていた。視界が、まぶしい。やたらにまぶしかった。東条氏がしばらく佇んでいると、

がちゃり

と鍵の外れる音がして玄関の引き戸が、からからから、と開いた。

「…………………………二階が……」

五〇年配の婦人が、そこに立っていた。身なりはふつうだが水仕事でもしていたのか、衣服の裾に、薄黒い染みができている。東条氏の足元に影のような染みが。どこか、ぼんやりとした印象の婦人であった。再び道で会っても、それとはわからないような――個性とか特徴というものにとぼしい婦人であった。

(頼りなさそうな、おいしい感じだな……)

東条氏は、頭をさげて言った。

「アッ!お忙しいところ、おそれいります!」

(へっ。べつだん、おそれいっちゃあ、いないんだけどさ)

そう口では言って心では思って頭をあげると、婦人は、ぼんやりと彼のほうを見ていた。

「……何か、ご用ですか……」

婦人が聞き取りにくい、ぼそぼそとつぶやくような声で、たずねてきた。……疲れた声であった。最初に鳴ったチャイム同様、黄昏て遠い声なのであった。

ここからが肝心なのだ。

「アッ!私、□□設備○○の東条と申しまして。初めてお目にかかります。実は、このご近所で、リフォームのお仕事を請け負っているのですが――」

後は、決まり文句というやつである。もちろん相手によってさまざまにアレンジはするのだが、要はこの通りを歩いていると、たまたまお宅が目についた。見ればずいぶんと屋根や壁面が傷んでいる様子である。もしよければ自分たちにリフォームをまかせてもらえないだろうか。いや、金銭のことはどうか心配されないよう。こちらから声をかけさせてもらっているわけだし、社の技術の見本ということで近辺にも、ぜひアピールさせていただきたい。お宅に限って「特別価格」で、いかがだろうか……?

特別価格というのは、実は法外な値段なのである。近辺への見本というのも、そもそも近所で、すでに仕事を請け負っているという前口上と矛盾しているわけだが――そこは立て板に水、だ。言葉巧みに相手によけいな考えを、差し挟ませないというのが有能な、この業界の営業マンというものである。

その時点ですでに東条氏は、門の簡単な掛け金を開けて、玄関口までやってきていた。相手の承諾を得る前に、自然な形で敷地内に入り込む。この段階で何も言わない相手は、すでに半分以上、手持ちの高額紙幣を手放しているのに等しい。

「どうでしょう?ちょっと、お宅のなかを拝見させていただけませんか?いえ、お手間はとらせません。外見からはわからない建材の故障などもありますので――」

なかに入ったら入ったで、やれこの床下はカビが発生して腐っているだの、放っておけば底が抜けかねないだのと難癖をつけ、相手の不安感をあおっていくわけだ。先に述べたとおり大事なのは、相手を不安心理に陥らせ、焦らせて、この機会をフイにしたら損をすると思わせることなのである。

疲れた顔つきの婦人は、ぼそぼそと例の聞き取りにくい声で、何か言った。

「………………二階が……」

と、東条氏には聞こえた。

「二階。二階ですか?何か問題があるんですか?雨漏りとか――壁染みとか?」

婦人は、すっと横にわずかだが移動をした。家のなかに入れという意味らしい。東条氏は、すかさず屋内に入り込む。

(しめしめ。ちょろいじゃあないか、今日は!)

東条氏は、狼のように舌なめずりをした。彼の頭のなかには、顧客の利益などという言葉はまったくないかわりに、社の壁に貼ってある成績表が早くも浮かんでいた。ここまでくれば、後はどうにでも、なる。橋頭堡という言葉が、ある。敵地に設ける拠点のことだ。彼は、またしても橋頭堡を一つ確保したと思った。そこから攻め入るのは、わけないことだ……そのときは、そう思った。

――――――そのときは。

「おじゃましまーす!」

わざと底抜けに明るい声を出して、彼は早くも靴を脱いでいた。

「それじゃ、二階のほう、見せていただきますね。奥さん」

「………………」

婦人は何も答えなかった。が、かすかに頷いた。そう見えた。

すぐ後ろのかすかな息づかい

そのとき、東条氏は理由もなく――――――ぞっとしたのだという。

なぜだろう?秋晴れの日で、しかも昼間だ。それなのに彼は、ぞくっとした。

(風邪かな。うまくコトが運んでいるというのに。いまいましい)

……一歩、なかに入ると、何というか――陰気な家であった。どこにでもあるような個人住宅であり内装であった。なのに……雰囲気が暗い。とても暗い。暗くて………………たまらなかった。

(どうしたのかな。どうも気分が滅入る)

今の今まで高揚した気分だったというのに……。我ながら変だな、と東条氏は思った。

玄関のすぐ前に階段があった。途中で左に折れて続いている。その先は、雰囲気だけではなく実際に暗い。東条氏は一瞬、のぼるのをためらったほどだ。

「あの、ここをあがって――行くんですよ、ね?」

戸口を振り返った東条氏は、言わずもがなのことを婦人にたずねていた。まったく彼らしくなかった。婦人はといえば、戸口にぼんやりと立ったまま、こちらを見上げている。逆光になったその姿は、どうかすると朦朧として見える……。

「二階の……奥の部屋……奥の部屋……」

婦人が蚊の鳴くみたいな声で言ったようだ。まるで耳元でまったくの別人が、囁いたような気がした。けれども、それは気のせいだと東条氏は、わりきった。

(今日は、どうかしてるな、俺は。せっかくのカモだというのに――主導権を握らなくて、どうするんだ)

東条氏は、自分で自分を叱った。そして階段をあがった。それにしても――陰気で、しかも生活感というものが感じられない家だ。

あの婦人以外に人がいるのかどうか、それすらもわからない。がらん、としていて何の生活音も気配もしないのである。TVの音も流しの水音も。

人声も――――――何も。

………………妙だった。

それでも二階は、思ったよりも明るかった。さっきの変な感じは明るいところから急に屋内に入ったためかな?などと考えながら、東条氏は手に持ったボードにボールペンで何か書き込むフリをした。

「ああ。建てられてから、ずいぶん年数が経っていますねえ」

すぐ後ろに、かすかな息づかいが感じられる。コトリコトリと、かすかな軋みもしている。あの婦人が背後に、ついてきているのだろう。

「それで、その奥のお部屋というのは、こちらで――」

あたりさわりのないことを話しながら、振り向いた東条氏は――目を疑った。

………………いない。

そこにいるはずの婦人の姿は――なかった。廊下に人影は……ない。

(――え?――エッ?)

息づかいを背中に聞いていた東条氏は――とまどった。どういうことなのか?婦人は何か、用事でも思い出して階下に引き返したのだろうか?

「あの、奥さん。おくさあん!」

彼の呼びかけに、しかし返事は、ない。階下は………………しん、と静まりかえっている。

「おくさあん!どうかしましたかあ!?」

「………………」

布団が積みあげられた錆びたベッドの山

あたりを包む沈黙に、さすがに東条氏はうろたえていた。陰気な――あの暗い、理由もなくやりきれない空気が、じんわり足先にやってきて、そして……。

彼の頭のなかにあるマニュアル以外の部分が、

「これ以上この家に、かかわるのはやめたほうがいい」「やめろ」

そう言っていた。橋頭堡など、どうでもいい場合だってある、と。

(しかし。ここまできて……首尾よく入り込んで、むざむざと引き返すなんて)

内なる声と成績表とが、しばらく争っていた。

と、廊下のつきあたりを、

スーッ

と誰かが、横切るのが見えた。

(あっ)

東条氏は他人を喰い物にし続けてきたにもかかわらず、人心地がついた気がした。この際、家人なら誰でもいい。そう思った。誰か、あの婦人以外に人がこの家にいるのなら、その人物と交渉を。それで自分のペースが取戻せる。いつものペースが。

「すっ、すみません。私、こちらの奥さんに言われてですね……」

人影の入った――少なくとも東条氏にはそう見えた――部屋に足を踏み入れた彼はぽかんとした。一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなったのだ。……それも無理はなかった。

(何だコレは?ここは――ココは何、なんだ?)

もとは、二間の和室であったらしい。その間の壁か間仕切りを取り払い――一〇畳以上の広い座敷が、そこにあった。

……座敷?しかし、畳の上に直接置かれているのはベッドである。といっても家庭で、ごくふつうに使われているアレでは、ない。設備が劣悪な病院に置いてあるような鉄製の、古びて、錆びたベッドなのであった。それも一つきりではなく、座敷一杯に、いくつもいくつも――並べられているではないか……?ベッドには、どれも人はいない。大きな布団が置かれてはいるが人は、いない。言っておくが敷かれているのでは、ない。むぞうさに積みあげられているのだ。それも使いふるされて、文字どおり煎餅のように平たくなった代物を、何枚も何枚も何枚も何枚も……。

汚れきって曇り、虫の糞のついた窓ガラスが、外の陽光を、おぼろに入れていた。おぼろげな、黄色味がかった光のなか、座敷に並ぶベッドの列は………………異様としか言いようが、なかった。

「何の、つもりなんだ。こりゃあ……」

東条氏は、そうつぶやいていた。介護か何かをしていたのだろうか?けれども、これではまるで介護器具の残骸置き場だ。布団には、どれも汚い染みがこびりついているし――ベッドも錆で崩れ落ちそうじゃあないか。いや、そもそもありふれた住宅地の真ん中のありふれた家に、これほどの数のベッドや布団が必要なのか?

しばらくその場を眺め渡していた東条氏は、ハッとした。

(そういえば、ここに入ったはずの人影は、どうした?どこに行ったんだ?)

押し入れは皆、開け放されていて、なかには何も見えなかった。からっぽ、である。ベッドの下にあるのは畳だけだ。他に隠れる場所はどこにも、ない。家具も何も。そして、廊下以外に出入口は、ない。そうすると……。そうすると?

「見間違い……だったのか。そう見えただけで。そう思っただけで」

そうだろうか。はたして、そうなのだろうか。

物は、ある。たしかにあるが――およそ人を寄せつけない殺風景な空間を前にして、東条氏は頭の中の何かがザラザラと、こぼれ落ちてゆく錯覚にとらわれていた。

異様だ。いや、異常だ。マトモじゃあ、ない。

この家に入ったときに感じた「何か」。あれは、気のせいではなかった。この家は「当たり馬券」なんかじゃあ、ない。それどころか言葉では言いつくせない、緊張のようなものが張りつめている。

垂れ下がる幾筋もの黒い髪の毛

………………静かだ。外を時折走っているはずの車の通行音。他の家々から生じているに違いない生活音。近くの学校施設の活気。それらはいっさい、伝わってこない。家のなかは、しんと静まりかえってコトリとも音はしない。

静かだった。静寂。空虚。無音。だからこそおそろしかった。

(この家に、いてはいけない。とくに、この部屋は――この部屋は……ヤバイ!)

ヤバイ。東条氏は、突然、そう思った。とたんに手足の先が冷たくなった。周囲のものが、ぐぐっと、こちらに迫ってくるおそろしさ。それが……こみあげてくる。彼は――怯えていた。言わば好き勝手を通してきた長い営業生活。人を泣かせたり金を巻き上げることはあっても、自分だけはいつも安全圏にいた営業生活。

その自分が……よりにもよって、その自分が脅かされている?怯えている?

(けれどもしかし、何がいて、自分を脅かすっていうんだ――いや、そんなことは、どうだっていい。とにかく――)

日が、かげってきたのかそうでないのか。妙に視界が暗い。………………暗い。

とにかく。東条氏は、部屋を出ようとした。今度こそ、マニュアル以外の部分の訴えかけに耳を傾けるのだ。雨漏りも壁染みも、クソくらえであった。

「部屋を出て、階段を下り、この家から離れるのだ」「そうだとも。離れなければ」

(行こう……早く!早く――アッ!)

ことり

と、ボードにはさんでいたボールペンが、畳の上に落ちた。それは、そのまま、ころころと転がり――ベッドの一つの下に入りこむ。

ころころころころ……ころん

東条氏は、たかがボールペンだと捨てておくことも、できた。そんなものは放っておいて、小走りに部屋をあとにすることもできた。

「放っておけ」「かまうな」「そんなものにかまうな」

だが。自分でも不可解だと思いながら、彼は、あえて屈み込んだのだった。そうしてベッドの下に上半身を潜り込ませる……。

(それにしても、このベッドの錆び具合はどうだ。グヅグヅじゃあないか。それに、ベッドからはみ出た、布団のいやらしさ……。どす黒い、この染みは何なんだ。この染み。この、触れれば何かついてきそうな、べっとりとした染み……)

バサッ!

ボールペンにあと少しで手が届くというとき。彼の視界は黒いもので遮られた。何かが……ベッドの上から降ってきた?いや、垂れ下がったのだ。それが頭の上に、そして顔面にかかって――?

(は?何?蜘蛛の巣?)

彼は最初、とっさにそれを払い除けようとした。それから………………うわッ!と、息を飲みこんで後ろに飛び退いた。尻餅をついた畳が音をたてる。――ドズン!

(かっ、かか、髪の毛!?)

目の前のベッドから、黒髪が垂れ下がっていた。積み重ねられた何重もの布団。その間から、幾筋も幾筋も黒い髪の毛が垂れ下がっている……。

(誰か、布団のなかにいた……のか?そうなのか?)

ありえなかった。布団はどれも煎餅のように平たく、仮にそのなかに人間がいれば、その形に、ふくれあがらなければならなかった。なのに黒髪が下がっているその布団は、押し潰されたみたいに平らなのだった。押し潰された虫みたいに。

ばさっ……バサッ……ボソッ……ずぼおっ

東条氏は、飲み込んだまま、息をするのを忘れていた。黒髪は、あとからあとから湧いてくるのだった。束になって――いや塊になって、褪せた畳の上に落ちてくるのだった。おそろしく長い……そして、大量の髪であった。脂気というものがまったくない、病人のそれのような髪であった。そして。

「ふあっ。アアぁぁぁぁ、イぃぃぃぃい!?」

東条氏は空気の足りない肺から、意味不明の音を漏らした。

布団と布団の間。ものすごい量の髪の毛が溢れてとぐろを巻いている、その隙間から………………白い女の顔がななめに、こちらを、のぞいていた。

顔形までは覚えてはいない。ただ、その目は正気を保てるものでは、なかった。意思というものの、およそ感じられない目。部屋同様、空虚で、からっぽな目。

しかし、人の理性や理知といったものを、一瞬のうちに根こそぎにしてしまう目が、じっと彼に見入っている。

………………そうして、真っ白な、その顔が、ヌーッとこちらに……。

「――――――ぎゃあっ!!」

東条氏は廊下を転げ、階段を這いずり、何とか階下にたどりついた。「奥さん」に何度も助けを求めたような気もするが、返事はどこからも返っては、こなかった。

背中にバサリと触れるもの

家のなかは、さっきとはくらべものにならないほど、荒廃して見えた。もはや生活感があるとかないとかいう、そんな生やさしいものではない。うす暗がりに無数の埃が舞い、チリのようなものが漂い、廃墟にでも迷い込んだかのようだ。玄関の上がり口には厚い埃の層が積もっていた。もう、ずいぶん長い間、屋内を歩き回る者は誰もいない――それを無言の内に雄弁に語っているのであった。けれども、その上には足跡があって、まっすぐ二階へと向かっている。そうだ。「一人分」の、つけたばかりの足跡が……。

東条氏はレールの錆ついた引き戸を、ほとんど何も考えられない意識のなかで、ぎしぎしとこじ開け、玄関からズルズルと這い出る。その際に背中に、バサリ、バサッ!と触れるものがあった。ついで軽く肩を摑まれたような気もするが――後ろを振り向くことはできなかった。………………それで、正解だったのだろう。もしも後ろを見ていたなら、たぶん、何かが「終わった」のではないだろうか。

……どうやって通りに立てたものか。そのまま東条氏は長い長い時間をかけて、ふらふらと営業車まで戻ることが、できた。

そして、彼のありさまを見て驚く同僚に向かって、突如わめき始めた。

支離滅裂なことを――ただ、わめき散らした。

「質が悪い」「タチが悪い」リフォーム業者たちに言わせれば、景気は最悪だという。大口の注文など、ほとんどないのだという。だからかなり無理をしなくてはならないし、また他人にもそれを強いるのだとか。もっとも脅かされるのは、常に他人とは限らない。逆の場合だって皆無とは、言えない。

他人の隙を舌なめずりをしてうかがうのもいいが、それも正気や五体満足であればこそ、だ。待ち受けている「もの」が――いつもいつも裏のマニュアルが通用する「もの」だとは、限らないのだから。

ファミレスの連中によれば敏腕で、かつ常にトップクラスの成績であった東条氏は支離滅裂なことを、わめき続けているらしい。

そうして社のほうはといえば、彼の面倒を見る気はさらさらなく、こんなご時世であるから、彼のかわりはいくらでもいるそうである。

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