くちなわ──鱗の女──(岩手県宮古市) | コワイハナシ47

くちなわ──鱗の女──(岩手県宮古市)

くちなわ──鱗の女──

岩手県の宮古市は、盛岡に代表される北上盆地とは山々で隔てられており、そのため独立した文化圏を形成し、言葉のアクセントも異なる。たとえば礼を述べるとき「おおきに」と言うなど京都風の訛りが随所に見られる独特の方言を持ち、宮古という地名についても、朝廷から都を名乗ることを許されたが「都」を同訓異字の「宮古」に置き換えたのだという言い伝えがあって、遥か昔に関西地方と交流が深かったことを偲ばせるのだ。

この宮古出身で四〇歳になる龍矢さんから、土地と信仰が絡む長い体験談を伺った。四つのパートと解説に分けて綴っていこうと思う。

龍矢さんは三七歳のとき、盛岡市にあったご自身が経営する会社で倒れた。公休日にトイレで意識を失い、月曜の朝に出社してきた社員に発見されたときは仮死状態に陥っていた。

それが五月のことで、七月を過ぎて意識が回復した。

重度の脳梗塞だった。後から聞いたところでは、昏睡している間に何度も危篤の宣告を受けていたそうで、もしも命が助かっても二度と意識を取り戻すことはないと言われていた。

──目を覚ますと、明るい陽射しが辺りを満たしていた。白い天井が眩しい。口から気管支まで太い管が通され、頭も枕に固定されており、身動きが取れない。そもそも四肢が鈍く痺れて、動けるような気がしない。管が喉に挿入されているから声も出せない。

誰か来てくれ……と願っていたら、すぐ傍で若い男の声がした。

「くちなわが来るでぇ!」

故郷の訛りで威勢よく叫び、「くちなわが来るでぇ!くちなわが来るでぇ!」と繰り返した。身動きが取れないながらも必死で声のする方を見やると、薄汚れた白い着物姿の肥った女が戸口を擦り抜けて現れ、のたーりのたりと緩慢な歩様でこちらへ歩いてきた。

全身ずっぷり濡れそぼち、長い髪を白い頬に貼りつかせている。盲目のようで、両手で空を掻きながら、「たつやー、たつやー」と彼の名前を呼びだした。

「なして知らないふりするんや、たつやー」

龍矢さんは震えあがった。近づいてくる女の脚が視界に入ると、脛に鱗が生えていたのだ。

化け物だ!……しかし容赦なく女は彼に迫ってきて、ついには顔の真上に女の顔が!

ポタポタと水滴が顔に垂れてくる。苔が腐ったような臭いが鼻を衝いた。

目を閉じて耐えていると、やがて女は消えた。女がいなくなると同時に水も乾いた。

──これが頻繁に繰り返されるようになった。看護師や家族がいなくなると、必ず来る。

二ヶ月後、恐怖の余り、人工呼吸器を自分で引き抜いて女から逃れようとしたところ、声帯から大出血して自分の血に溺れかけた。それから「くちなわ」は来なくなった。

くちなわ──祠の神──

龍矢さんはそれまで建設会社を経営していた。長く入院している間に、会社が倒産してしまい、資産の大半を失った。

──思えば悪いことが続いていた。実家の養殖業が津波で駄目になり、三五歳のとき心僧帽弁閉鎖不全になって手術を受け、三ヶ月ほど入院すると、その間に妻が部下と不倫関係になって退院後に離婚した。そして二人の子の親権を裁判で妻と争ったが負けて、子どもたちと引き離された。そして今回の脳梗塞だ。

リハビリして身体は治ったが、人工呼吸器を無理に自分で引き抜いた傷の後遺症で、まだ若いのに、百歳の老人のようなしわがれ声になってしまった。

病院でリハビリに励んでいた三九歳のとき、以前の取引先の女性社長が見舞いに来て、うちで働かないかと誘ってくれた。喜んで承諾すると、ただし退院したらすぐにある霊能者に鑑定してもらうことと入社に条件を付けられた。

その霊能者は、若い頃に亡くした社長の夫を降霊してみせたことがあり、かねてより社長が信頼を寄せる人物ということだった。社長は、龍矢さんが短い間に立て続けに災難に遭っている原因は霊障かもしれないと疑っていた。

「塩釜にいるので紹介する。本物の霊能力の持ち主で、誠実な人だから任せなさい」と言う。

そこで退院後すぐに、社長と共に塩釜の霊能者を訪ねた。出入り口に鳥居がある神仏習合の寺院のような瓦屋根の邸宅で年輩の女性に迎えられた。この人が霊能者で、彼を見るなりこう言った。

「若ぐして三河で死んだ女がいる。宮古の親族が供養してぐれねぁがら寂しがっとる」

龍矢さんは驚いた。三河と言えば現在の愛知県。若い頃、仲間に誘われて愛知県の建設会社に就職して三年ぐらい働いていたことがあったのだ。そのことを霊能者に話すと、

「その女の霊さ、導がれで行っだんだ。女は、あんだと似通った運命にあった人だがら。あんだは少年の時分にも死にがげだごどがありますね?」

確かに、一一歳のときクローン病を発病し、何度か重態に陥った。

「それも祟りが原因だ。実家のすぐ傍さ、祠があっぺ?」

なぜわかるのだろう……。たしかに昔から実家の傍に小さな祠があるが……。

「誰も手入れしていねぇだべ?水神さまを祀って拝んでだ祠だ。粗末にしたがら、神さまが何度もいのぢの危険さ味あわせでは『こごさいる』ど訴えがげでる。んだがらあんだは死にそうになるのに、危ういどごろで死なずに助がる。神さまに守護されでっからだ。

んだがらと言って、今はまだ機ぃ熟していねぁがら、その祠さ近づがねぁでください」

くちなわ ──蛇のスミコ──

龍矢さんは実家に帰ると、母に、病院で遭った「くちなわ」のこと、塩釜の霊能者から聞いたことを大まかに打ち明けた。

「……その濡れだぁ女の人は、蛇に祟り殺されたスミコさんだぁがぁね」

母が言うには、敷地を共有する隣の本家──龍矢さんの家は分家だ──の娘でスミコさんという人がいたのだという。

スミコという名前には龍矢さんにも心あたりがあった。三歳ぐらいの頃に、体つきがふっくらした若い女の人に遊んでもらったことがあって、その人がスミコさんと呼ばれていた。

母はそれを聞くと顔をこわばらせた。

「そねえなおっかねこと言うもんでねぇがぁ!お前が二つか三つの頃、スミコさんは嫁ぎさぎで奇病さ罹って死んだんだぁが!おっかねぇがぁ!」

「奇病つうのんは、おれどおんなじクローン病だぁべ。おれど似だ運命にあったんだぁが」

「ちがぁでば、おめぇのは普通の病気だぁが。まず、スミコさんは小せえ頃に、おぞましぃ鱗みてぇなぁのんが生えできて腰が立だなぐなったんだぁ。這いつくばって動ぐのんが蛇に似でだぁがら、本家では蛇の祟りだど言って、そごの祠にお神酒と卵供えるようになった。すったけぇば、いっぺえあった鱗が消えたんだぁずが」

「んだども、スミコさんは愛知県で死んだんだぁべ?」

「おらまぁ!知ってだぁのが?」と母が驚いたので、霊能者が言っていたことを伝えた。

「……そうだがなぁ。スミコさんは愛知県の人と結婚すて、あっちで暮らし始めだんだぁずぅども、間もなくまた鱗が脚に出てきて、下半身から麻痺して……今度は助がらねがった。お墓が愛知にあんだぁずぅども、ほがさ嫁に行ったぁがら、こっちの人は誰も墓参りしてねえだぁずぅもんや。寂しがってんだぁべね……」

「祠が気になんなぁ。祀られたのは蛇神なんだぁべぇが?」

「蛇と言えば、スミコさんの叔母さんも亡ぐなる前に『蛇が来る』と言ってだんだっつぅ。スミコさんが亡ぐなった何年か後のごどだから、おめぇも憶えでだべ?」

それについては龍矢さんもおぼろげに記憶していた。

あれはスミコの叔母だったのか。仰向けになって漏斗を口に突っ込み、口もとから顎まで焼け爛れた異様で無惨な遺体となって、納屋で発見された本家のおばさんがいたのだが。

検死の結果、家にあった農薬の石灰硫黄合剤を自ら飲んだことによる化学熱傷で死んだとわかった。歯も舌も溶けてしまっていたという。

くちなわ ──神の怒り──

少なくとも明治時代から、龍矢さんの一族は宮古市の沿岸部に日当たりのいい広大な土地を有していた。本家と分家は敷地を共有し、堤防などを造る海洋土木業と入り江で行うアワビやウニの養殖業に共同で当たって、昭和時代は戦前、戦後とも豊かに暮らしてきた。

しかし遥かに遠い時代には山奥の僻地で貧しく暮らしていたのであり、先祖は、ここに先住していた人々を襲って土地を騙し盗ったのだと代々言い伝えられてきた。

──古来からこの土地に住んでいた人々が祀っていた神さまが、あの祠にいるのでは?

山の民だった先祖たちは、海辺の神を知らず、祀ることをしなかった。

「土地の神さまを粗末にするからこの子に祟りが出る」とイタコに祖母が叱られたことがあった。龍矢さんが一一歳でクローン病になったとき、母と祖母に連れられて隣町のイタコに霊視してもらったら、そう言われたのだった。

その頃、確かに本家は祠を放置していたので、彼の祖母はしばらくの間、祠に供え物をしていたが、孫のクローン病が寛解すると、お供えを怠けるようになり、やがてすっかり止めてしまった。祠の神さまを心から敬うようになったわけではなかったのだ。

本当に祠の神が祟っているのだろうか──龍矢さんの一族には四〇代で病死した者が多く、自殺や失踪も珍しくなかったそうである。

龍矢さんの父は愛人と出奔して行方が知れない。分家筋の男は今や彼一人だけ。本家の方も、五〇代後半の従兄を残して全員が鬼籍に入っている。従兄の両親は癌で早死にし、妻は先妻も後添えも病死した。沿岸部の事業が二〇一一年の地震津波で壊滅してから、彼は家に引き籠もっている。龍矢さんは盛岡の会社で働いており、分家で暮らしているのは脳梗塞で弱った祖母と母の二人きりだから、一族が海の産業で潤うのはもう難しいと思われる。

龍矢さんは祠が気になって仕方がないという。確かに、神の怒りを鎮めることが出来るものなら……と彼が思う気持ちは理解できる。機が熟すまで近づいてはいけないと塩釜で言われたのでやれずにいるが、出来れば祠を新しく建て直したいと思っているそうだ。

彼が建設業界で働くようになったきっかけは、高卒後、宮大工に弟子入りしたことだった。

なぜ宮大工に憧れたのか?祠を造れという神の意志だったような気がすると彼は言う。

気になることは他にもあり、父が見つかったら、自分の名の由来を確かめたいのだとか。

彼は辰年ではない。母は違う名前にしたがったが、父が強引に龍矢と名付けたのだ。もしかすると、龍神の加護を願ってのことだったのではないか……。

スミコさんのお墓もどうなっているか気がかりなので、近々訪ねてみるということだ。

宮古の龍

西日本では古くから蛇のことを「くちなわ」と呼んできた。日本では蛇と龍が水神として習合していること、宮古に龍神信仰があること、そしてこの土地の関西との結びつきを合わせて考えると、龍矢さんの話に出てきた祠は龍神を祀ったものだった可能性がある。

宮古市は岩手県の三陸海岸に面しており、リアス式海岸地形の特殊性によって沿岸は津波被害を蒙りやすく、古くから幾度も大規模な津波に襲われている。平安時代の貞観地震、明治時代の三陸地震……。昭和三陸地震による津波の後には、重茂姉吉地区に大津浪記念碑が建てられた。そして未だ記憶に新しい平成の東日本大震災でも津波の被害を受けた。

海と闘い、そして漁と交易という海の恵みによって生かされる人々が住まう土地。だからこそ、龍神信仰が生まれたのではないか。

宮古では龍神は「八大龍王」として祀られており、民は航海の安全と豊漁を祈って水神・海神として信仰してきた。

宮古市に伝わる黒森神楽(国指定重要無形文化財)の『浦島』では、若い漁師が美しい娘を釣りあげ、彼女に誘われて海底を訪ねる。娘は龍神の姫で、漁師は龍宮に婿入りする。

龍宮は、八大龍王の一つ「娑伽羅」が統べる海底の世界を指す。深い海の底は冥界にも通じ、本来、現身の人は行けば最後、恵比寿(水死体)となってしか現世に戻れない。

つまり、お伽噺の『浦島太郎』は龍宮から生還した人間の奇跡を描いているのだ。

宮古市鍬ヶ崎地区の龍神崎には、八大龍王の石碑がある。市内には他にも、八大龍神供養塔(崎山地区)、龍神塔(田老青野地区と磯鶏地区)があり、龍神への崇敬が深かったことがわかる。それだけ海への畏怖が強かったということなのではないか……。

また、宮古市には、龍神にまつわる説話も伝承されている。佐々木喜善の『聴耳草紙』と『宮古市史 民俗編(下巻)』を参照して短くまとめたものを紹介したい。

──昔、宮古浜で、ある娘が三月三日に潮干狩りに行って、波に攫われた。

一年後、孕み女になって海辺の岩の上に現れた。龍神さまの嫁になったと言われるようになり、娘が産まれると海女と名付けられ、龍神さまの子として大切に育てられた。海女は生まれたときから髪が八寸もあり、年頃になるといよいよ伸びて七尋三尺にもなった。このことから後に、髪長さまと呼ばれて崇められた──

この話を知ってから、スミコさんは蛇に祟られたのではなく、龍神に愛でられて龍の眷属となり、現世を離れた後は龍宮で暮らしているような……そんな気がしている。

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