奥津城(東京都港区) | コワイハナシ47

奥津城(東京都港区)

青山霊園には鳥居や草薙神剣を象った兜巾型の竿石が少なくない。

近所に住んで一二年ばかり経つが、最近、健康のために青山霊園を毎朝歩くようになって興味が湧き、理由を調べてみた。すると、元々明治初期の神仏分離政策の頃に神道専用の神葬墓地として拓かれた霊園だったことを知った。

一八七二年七月に現在の青山霊園・立山地区が立山墓地として先に造られ、同年一一月に立山墓地に隣接する青山家の下屋敷跡に青山墓地が新設された。いずれも当初は神葬墓地だったが、それから二年後の一八七四年に宗旨・宗派を問わない公共墓地に改められた。

こういう経緯のために、鳥居や兜巾が多いのだな、と、私は納得したわけである。

青山霊園の神葬墓には神社と見紛うような規模の大きな墓所もある。その最たるは黒田長溥の墓所だと思う。うちの3LDKのマンションより広そうな面積を占め、入り口を高さ四メートルもあろうかという石造の鳥居と大小六基の狛犬に護られて、墓碑は高々と剣の如く天を突くという、豪壮な奥津城だ。

鳥居も狛犬も苔生して、墓所内の樹々が高く育って影が濃いので、朝や昼でも静謐な雰囲気に満ちている。まるで神社のような荘厳とした佇まいで、人さまのお墓という気がせず、つい、足を踏み入れた。

黒田長溥は筑前福岡藩の幕末大名で数々の偉業を遂げ、岩倉使節団の一員・黒田長知の父としても知られる有名人だから、墓を訪ねる人もたまには居よう。バチはあたるまいと思ったが、後ろめたさは多少あった。

なにしろ、一応、墓参ということになるのに何も持っていなかった。神道では故人は神になり、榊、蝋燭、お神酒を墓前にお供えするきまりなのだが……。せめてもの償いに神式の作法に則った合掌礼拝だけでも、と思い、墓碑に向かって二礼二拍手一礼した。

これが今年(二〇二〇年)五月中旬のことだった。

それからも雨が降らない限り、しばらくの間、ほぼ毎日、黒田長溥の墓所の前を通った。

ここがたいへん気に入ってしまったのである。魅せられたと言ってもいい。

一週間ほど通って、どうしても我慢できなくなり、私は再びこの墓所に入った。

そして、鳥居と狛犬を裏から──つまり墓碑にお尻を向けて──スマホで撮影した。

鳥居を潜って外に出ると、鴉が襲いかかってきて、被っていた帽子を擦ったかと思うと、鳥居に舞い降りて割れるような大音声で「カア!」と鳴いた。

それからは、神罰が恐ろしいので、鳥居の外から眺めるだけにしている。

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