喫茶店の観音菩薩(北海道旭川市) | コワイハナシ47

喫茶店の観音菩薩(北海道旭川市)

喫茶店の観音菩薩

北海道の旭川市には大正時代に「カフェー文化」が花開き、その後も酒を扱うカフェーと酒類を置かない純喫茶とが均衡しながら街に根づいてきた。

容子さんが一九八七年から九〇年ぐらいにかけて通っていた喫茶店もその一つで、二〇年ほど前に店を畳んでしまったそうだが、一時はかなり繁盛していたようだ。

流行っている喫茶店は他にもあったけれど、その店の人気の秘密は非常に神秘的な性質のものだったので、好奇心旺盛な若い女性を中心にファンが多かったという。

最初に訪ねたとき容子さんは高校二年生で、親友に誘われて行ったのだった。

赤いビロード張りのソファを置いたボックス席が五つある店内は、ヨーロッパの骨董家具や陶磁器が随所に置かれ、アンティーク調の趣きで統一されていた。

しかしよく見ると壁に一枚の額装された観音菩薩像の写真が飾ってあり、洋風の店の中でそこだけ違和感があった。写真は成人式の写真によくある大判の四切サイズで、観音菩薩像については、これがどこの何という像を写したものか容子さんは知らなかったのだが、店のママに貰った複写を大切に保管しているというので見せていただいたところ、今回、京都の泉涌寺にある楊貴妃観音であることが判明した。

楊貴妃を寵愛した玄宗皇帝が、その死を悼んで在りし日の妃の姿を模して作らせたといわれる聖観音像が、一二三〇年に俊芿の弟子・湛海律師によって南宋から日本へ運ばれた。それが泉涌寺の楊貴妃観音で、非常に女性的で美麗な像だ。それを写したモノクロ写真を店の壁に飾っていたそうなのだが、単なる飾りではなく、この写真には特別な力が宿っていた。

これに手をかざして願い事をすると、願いが叶うときはかざした手がビリビリと痺れ、叶わないときは掌に息を吹きかけられたように感じるというのだ。

容子さんと友人もママに勧められて試してみた。すると本当に痺れたり優しい風に掌を撫でられたりしたのでやみつきになり、毎日のように店に顔を出すようになった。

また、ママは客の体調をひと目で見抜き、一種の治療を施すことが出来た。

あるとき容子さんが胃痛に悩んでいたところ、ママに「こっちに来て背中を向けてごらん」と言われた。ママが容子さんの背中に手をかざすと、これを見ていた友人が大声をあげた。

「容子ちゃんの背中から陽炎みたいなのが出てきた!」

背中が熱くなり、「治療」は三分ほどで終わった。その直後から胃の調子が良くなった。

ママは客の悩みごとに耳を傾け、的確にアドバイスすることもあったという。

──観音菩薩は、現世に住んで我々人間の声を聴き、幸運を授ける慈悲の菩薩だ。

私には、件のママが観音菩薩の化身のように思われてならないのだが……。

奇妙な家

容子さんは、八歳から一八歳までの約一〇年間、奇妙な家に住んでいた。

まず、彼女が小学二年生のときに、子宮筋腫で入院していた母が退院の前夜にこんな夢を見た──郊外の住宅地で一軒の廃墟を眺めていると、やってきた顔見知りのラーメン屋の主人から「ここに引っ越したんだね?」と問われて「そうなの」と──答えたところで目が覚めて、起きてからも、廃墟の周囲の景色までつぶさに憶えていたのだという。

そして、父が容子さんを助手席に乗せて病院に母を車で迎えに行ったのだが、母を乗せると、父は自宅の前を素通りして、旭川市の郊外にある住宅地に建つ一軒の家に二人を連れていって、突然、「ここを買おうと思う」と宣言した。

急なことだったので容子さんも驚いたが、母はもっと吃驚していた。

なぜなら、家以外は夢で見た景色とそっくりだったのだ。

父によれば、ここは何らかの宗教活動をしていた人が住んでいた物件で、とても安く売りに出ていたということだった。しかし外観には、どんな宗教色も感じなかった。北海道に多く見られる屋根が深く傾斜した二階家で、煙突と二階に直接行ける外階段がついていた。

ところが屋内には変わった特徴がみられた。

旅館のそれのように大きな下駄箱と広い玄関。一階の奥にある、四方の壁をギラギラした金色に塗った四畳半の和室。その部屋は普通なら仏間にするような位置にあったが、壁を塗り替えるのが面倒なので、結局、物置にした。

さて、この家で暮らしはじめると、奇怪なことが頻発した。

外階段で直接入れる二階の部屋は、父が経営する電気工事会社の事務所になり、午前中と夕方の二時間前後のみ社員が出入りしていたが、昼頃から午後の四時ぐらいまでは無人になった。事務所へは、兄と容子さんのそれぞれの部屋の前を通って行くことも出来た。

ある日、事務所に誰もいないはずの時間帯に、二階の廊下を走るドドドッという足音がした。一階の居間でテレビを観ていた容子さんが見に行くと、二階には誰もいなかった。

また、奥の金色の部屋からは、時折、生活音が聞こえてきた。閉じた板戸の向こうから、新聞を捲る音や年輩の男のしわぶき、衣擦れがするのだった。

ラップ音もよく聞こえ、中学生のときも高校生のときも、それぞれ別の友だちから、階段の踊り場に女の幽霊がいると指摘された。

「こんなこと言っていい?あそこにいるよね」

容子さんは自分は幽霊が視えなくて幸いだとつくづく思った。視えたら、たぶんこの家は幽霊だらけだから……。

家の相

奇妙な家に引っ越して間もない頃、夕方、容子さんの母が仕事から帰ってきたら、見知らぬ男が家をじっと見つめていた。

「うちに何か御用ですか?」と母が訊ねると、男はこう予言して立ち去った。

「この家には男が逃げていく相が出てる。ここに住むのは良くないよ」

それから約一年後、容子さんが小学三年生のときに、父が愛人を作って出ていった。

それと同時に事務所も移転したので、社員たちも家に出入りしなくなった。

そして数年後、兄が札幌の専門学校に進学すると、本当に家から男が消えてしまった。

こうなってみると、両隣の家でそれぞれに女が悲惨な最期を遂げたことも意味ありげに思えてきたのだと容子さんは言う。

右隣の家では、出戻りの娘さんが子どもの目の前でストーカー男に刺し殺された。

左隣の家では、落雷に打たれて奥さんが死んだ。

四、五年前に元の家を見に行ったら、三軒とも空き家になっていたとのことだ。

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