三千人塚前の家(東京都府中市) | コワイハナシ47

三千人塚前の家(東京都府中市)

──東京都府中市の《三千人塚》は、一三三三年の分倍河原の合戦による戦死者を埋葬した塚だとかつては信じられていたが、一九五五年の発掘調査で複数の蔵骨器が出土し、鎌倉時代後期の墓地であることが判明した。さらに二〇〇五年の調査では、石に経文を刻んだ「礫石経」が大量に出土し、年代測定の結果、現在ある塚そのものは江戸時代に造られたことがわかった。従って今日では、この三千人塚は鎌倉時代後期から江戸時代までの長きに亘る信仰の対象だったと推測されている──

宏志さんは父方の祖父が建てた家で生まれ育った。家は三千人塚の真ん前に建っており、そのせいか、一家は度々、怪異に見舞われた。怪異の原因が本当に三千人塚だったのかは確かめようがないが、少なくとも祖父母と両親は三千人塚の祟る力を信じていた。

たとえば、こんなことがあった。宏志さんが赤ん坊の頃、親子三人で川の字になって昼寝をしていたら、三千人塚の方を向いた窓から誰かが覗いていた。それに気がついた父は飛び起きて表に飛んでいき、母も驚いて窓に駆け寄ったけれど、覗き見していた何者かは煙のように姿を消してしまって、窓越しに夫婦で呆然と見つめ合うしかなかった──。

あるいは、子ども部屋で寝ていた弟が壁の中から出てきた手に腕を掴まれた──。

また、ときどき家中に弱い風が渦を巻くと同時に、景色に霞みがかかったようになることがあった。宏志さんの家族は、この現象を「空気が揺れる」と言い表していた。窓を閉め切っていても空気が揺らぐのは奇妙なことだが、家族は皆、慣れっこになっていた。

宏志さんはまた、一家と親しかった叔母や母によると、大人の目には見えない友だちと赤ん坊の頃からよく遊んでいたらしい。家では、それも三千人塚の影響だとされていた。

見えない友だちは「エンドウくん」だと宏志さんは考えている。

小学校の低学年の頃に彼はエンドウくんという同級生と仲良しで、しょっちゅう一緒に遊んでいた。しかし、エンドウくんを憶えているのは自分だけで、他の同級生は皆、そんな子は知らないと言うし、卒業アルバムにも載っていないのだ。エンドウくんは、たぶん小学校に入る前から傍にいたのだろう。エンドウくんが鎌倉時代の墓地だった三千人塚から現れた幽霊だったかどうかはわからないが……。

家は祖父が鬼籍に入ると少しずつ土地が切り売りされ、最後に残った建物も一五年前に手放して、奇怪な日常もろとも三千人塚も遠い想い出になったとのこと。

──私が取材で訪ねたときには、その家があった場所は駐車場になっていた。

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