ある人が都内の十条の病院前で手を上げた。
ハザードを点滅させて、一台のタクシーが寄ってきた。
ところが、後部座席のドアが開かない。
あれ?
と、微妙な間があって、前のドアが開いた。
そこから運転手が身を乗り出すようにしていぶかしい顔を出した。「お客さん、尾お久ぐですか?」
「いえ、違います」
「そうですか、じゃあどうぞ」と笑顔で後部座席のドアが開いた。
そのままタクシーは走り出したが、どうもさっきの態度と言葉が気になる。
「なにかあったの?」ときいてみた。
すると「いやあ、ちょっと妙なことがありましてね」と、運転手が話し出した。
三時頃、十条の病院前で手を上げたおばあさんを乗せたのだという。
「尾久に行ってくださいな」と言われた。
尾久のある場所でおばあさんを降ろすと、すぐ次の客が見つかった。
初老の紳士。
「池袋駅まで」
「この時間、明治通りは混んでるかもしれませんので、北口でいいですか」と聞くと「ああ、駅に着きさえすればどこでもいいから」と言う。
北口で紳士を降ろした。
するとすぐ前で、手を上げているOLがいる。
「十条までお願いします」と言う。
今日は運がいい、客が途切れることなく一周したと、喜んだのだという。
OLを降ろして、さあ、近くの駅へ流しにでも行こうかと走りかけると病院の前で手を上げている人がいる。近づくと、さっきのおばあさんだ。
「あら、さっきの運転手さん」と先方も驚いている。
「おばあさん、さっき尾久まで乗って行かれましたよね」
すると「そうだったんだけどね、忘れ物したのに気がついてね、タクシーで戻って来たんですよ」
「じゃあ、また尾久ですか?」
「そうしておくれ」
また同じところでおばあさんを降ろした。
走り出すと、前で手を上げたのがさっきの老紳士。
「さっきの運転手さんじゃないか」とまた驚かれた。
「せっかく池袋まで行ってもらったのに、忘れ物に気がついてね、タクシーでここまで戻って来たんだよ」と言う。
「じゃあまた池袋ですか」
「そう」
お客さんがつながるのはいいが、ちょっと流れを変えたくなった。
「時間帯も変わりましたので、今度は東口でいいですか」
「ああいいよ。駅に着けばいいんだから」
そして老紳士を東口で降ろした。
まさかもうないだろうと思いながら走り出すと、目の前に見み憶おぼえのあるOLが手を上げている。
……。
「あら、さっきの運転手さん」
「あの、もしかしてお忘れ物かなにかで十条ですか?」
「ええ。えっ!?どうしてご存じ?」
ふた周りしたなぁと思った。
そうしてつい先ほどOLを降ろした。
そこからはどうしても病院前を通る。
あのおばあさんがいたらどうしよう……。
すると、手を上げている人がいる。
よかった違う人だ。
安心したけれど、もし行き先が尾久だったら新しい二周目がはじまるような気がしてちょっと怖かったのだという。