山伏塚(福岡県飯塚市) | コワイハナシ47

山伏塚(福岡県飯塚市)

福岡県飯塚市という土地はおもしろそうだが、まだ訪れたことがない。今がコロナ禍の二〇二〇年の春でなければ、さっそく取材に行くところだ。

第四四話の幽霊画について、問題の寺院の見当がついたが、お寺に電話して訊いたらはぐらかされてしまった。そんな安直なやり方では駄目なのだろう。菓子折り持参でご住職に頼み込むのは後日に回して、山伏塚の話をご紹介したいと思う。(※)

──時は一五五六年の春、室町幕府第一三代征夷大将軍・足利義輝の頃、筑前国の大名・宗像氏貞は愛娘のことで悩んでいた。

姫は一五歳で、氏貞はそれはそれは可愛がっていたのだが、この年の三月二三日に突然物狂いとなり、あらぬことを口走って暴れ、手のつけようがなかった。医者に匙を投げられてしまい、困り果てた氏貞は、「これは我が家に仇なす怨霊の祟りであろう」と考えて、怨霊調伏のために英彦山から山伏を招くことにした。

英彦山は名高い霊山なので、優れた修験者がいるに違いなかった。

頼みを聞いた英彦山では、ほかならぬ宗像様のためならば、と、選りすぐりの山伏三〇人を集めて、物狂いの姫と氏貞が待つ蔦ヶ岳城に遣わした。

氏貞は山伏の祈祷に備えて祭壇を用意し、そこに代々伝わる家宝の数々を供えた。

それに向かって山伏たちが祈祷したところ、姫は正気を取り戻した。氏貞は山伏たちに感謝して、調伏の報酬として金子を渡した。しかし山伏はそれで満足せず、「神前に供えられた物はすでに神の物である」と言い張り、祭壇の家宝を洗いざらい奪って城を後にした。

氏貞は、家臣のいる笠木城へ使いを出して、山伏から家宝を取り戻せと命じた。

笠木城の郎党は、英彦山への帰路にある三の谷で待ち伏せして、山伏を皆殺しにして、家宝を奪い返した。

福岡県飯塚市の大谷神社には、本殿脇に石造りの祠が四基祀られている。山伏たちの骸は、その祠の下に今も眠っている──

シェアする

フォローする