己斐峠・中村家(広島市西区・佐伯区) | コワイハナシ47

己斐峠・中村家(広島市西区・佐伯区)

広島の心霊スポットにおいて、最も有名といっても過言ではない場所、それが己斐峠(こいとうげ)である。

『広島で免許を取ったら山賊へ向かい、己斐峠には近付くな』という名言があるが、これは隣県である山口県の有名飲食店「山賊」まで辿り着けば一人前のドライバー、運転技術が未熟な内に己斐峠へ行けば事故を起こすぞという意味だ。

事実、己斐峠は急カーブの多い山道で、頻繁に事故が起きることから『魔の己斐峠』などと呼ばれている。

では、単に死亡事故が多いから心霊スポットとして評判なのかと言われれば、そうではない。本当に恐ろしいのは後に続く「中村家」なのだ。

「噂を聞いたことあるか?」

ヤマさんの言葉に「勿論」と返す。

己斐峠の途中にある白壁の民家、それが中村家である。数十年前に祖母・娘・夫が精神異常者に惨殺される事件が発生、犯人は玄関傍で祖母を、奥の部屋で娘を、更に二階で夫を刺殺。現在も犯人は捕まっていないと聞く。

中村家は自宅兼仕事場として使っていたようで、犯人は雇っていた従業員ではないかという噂もある。しかし――。

「殺された家族は四人だったとか、社長の父親が経営難を苦に一家心中を図ったとか、色んな説が飛び交っているな」

そう、話はあくまで噂の域を出ない。私の両親も事件のことは知らず、新聞記事なども調べた限りではない。

「何だ、デマ情報ってことか」

だが実際に中村家の噂が世に流れ始めてから、事故は激増した。何らかの関連があったとしても不思議でなかった。

「火のない所に煙は……ってことか。とにかく行けば何か分かるはず」

簡単に言ってくれるヤマさんに溜息を漏らす。

「出発は明日ってことにして、やっぱり深夜に探索するほうが霊は出やすいよな?」

ヤマさんの言葉に「いや、そうとは限らない」と答える。

深夜二時の丑三つ時が霊の時間と言われているが、常識的に考えて暗闇で何かを探すとすれば見落としが出るだろう。思うに夜六時台、俗に言う〈逢魔ヶ刻〉のほうが霊に遭遇しやすい。夕刻は『黄昏』、『誰そ彼』とも表記される。

「成程……何か本当に霊と会える気がしてきたな」

内心、会いたくない本音と会わなければ立証できない矛盾の板挟みで複雑だった。

翌日、地元の広島へ到着した私達はまっすぐ己斐峠へと向かった。

右へ左へと揺られる車内、昼に食べたカレーが胃を逆流してくる。

「トシ、見てみろ。あれが情報にもあった例の……」

車をバス停傍の路肩に停めて指差す先には、比較的新しい地蔵の姿。

この地蔵は事故犠牲者をこれ以上出さないために設置されたものらしいが、道路沿いに点々と七体も設置してあるのだとか。

「だが、七体目の地蔵を目撃した者は呪われるとか、深夜に地蔵の前で車が謎のエンストを起こしたという噂もある」

私が過去に聞いたのは、この己斐峠で事故を起こし、長く入院していた男性が地蔵のおかげで助かったとお礼参りに行った所、合掌している背後から「死ねばよかったのに」という声が聞こえた、という話だ。

「己斐峠の、というか中村家の呪いを解くために置かれた地蔵だよな?むしろ呪いが広まってないか?」

確かにヤマさんの言う通りだ。結局、適当な作り話で脅かしている可能性は高い。

「何はともあれ、肝心の心霊スポットだが……峠の中間、林に囲まれた鬱蒼とした場所としか分からなかった」

それだけの情報を頼りに探すとなると気が滅入る。

「とりあえず、上ってみるしかないな。そこの細道から山へ入れそうだ、行こう」

先へ進んでいくと、遠くに白い外壁の家が見えた。情報に書かれた通りなので、そこが中村家に間違いなさそうである。意外とあっさり見つかってしまった。

周囲の林がざわざわと揺れて不気味さを演出する。何より目に留まるのは赤く錆びついた巨大な門。侵入者を拒むように上部には有刺鉄線が張られ、外界と隔絶されている雰囲気が色濃い。

「読みにくいが……門に『入るな?危険』『死ぬ』と書かれているぞ」

門は先人の侵入者が作ったのであろう隙間がある。ここから入れそうだ。

「一応は敷地内だからな、見つかったら建造物侵入罪か」

確か三年以下の懲役または一〇万円以下の罰金だったはず……呪いよりも前科者になるほうがよっぽど怖い。社会的に死んでしまう。

「三年で時効になるって書かれていたから、逃げ通そう」

呆れた意見に溜息を漏らしつつ、ここで引き下がることもできない私は敷地内へと進む。

「思ったよりも広い……というか、別荘みたいな佇まいだな」

二手に分かれて周辺を歩き調べていると、ヤマさんから「おい、こっち」と呼ばれた。駆け足で向かうと扉があり、そこには『井上靖ようこそ』と落書きされている。

「誰だ?芸能人か?」

芥川賞を取った小説家だと答えると、ヤマさんは「へぇ」と興味なさそうに答えた。

「それじゃ、すんません。失礼します」

彼は手をあわせ、深々とお辞儀してから家の中へ入る。私もそれにならって後に続いた。

「リビング、というか作業場みたいな感じだな……」

確かに資材やロッカーなどが置かれているのでそのような印象を受ける。壁の一面がシャッターになっており、荷物の運搬をしていた可能性は高い。奥には鉄骨でできた赤い階段があり、二階に上がることもできそうだ。

「仮に玄関がここだとすれば、中村家の祖母が殺害された場所になる」

斧か何かで斬り殺されたという噂だが、荒れている室内に血痕などそれらしきものは残されていない。

「どうだ、霊がいる感じするか?」

私は周囲を見ながら少し考え「いや、感じない」と答える。

「別の場所に行ってみよう」

隣の部屋は広く、角には洗面所や浴室が見えた。木材が散乱しているボロボロの床に足を踏み入れると、不気味な音とともに柔らかい感触がした。

「気を付けろ、底が抜けるかもしれない」

奥へ向かうのは危険と判断し、その場から部屋を見渡す。押し入れのようなものが見えるが、はっきりと中を確認することはできない。

「娘が殺害されたらしいが……おかしな点は特にないな」

とりあえず一階は一通り見たので、鉄筋階段を上ってみる。

二階の床には腐った畳のようなものが散乱していた。右にトイレ、左に錠付きの扉が見える。他の部屋と違って明るく感じるのは、白壁の効果かもしれない。

「壁の作りといい錠付き扉といい、何か特別な部屋だったのかもしれないな」

現在は心ない侵入者のせいで訳の分からない絵や汚い文字が書かれている。床には煙草の吸い殻や酒の空き缶などが散乱。やりたい放題だ。

「おい、使い捨てカメラが落ちているぞ。帰って現像してみようぜ」

そういうとヤマさんは手にしたカメラをポケットに入れる。

「別の部屋は……和室か?腐った畳ばっかりだ」

どこも広々として何もない。いや、一階に比べてなさすぎる。もっと生活用具が残っていても不思議ではないと思う。持ち帰った、或いは盗まれたのだろうか。

「結局、噂に関するものは発見できなかったな……暗くなってきたし、写真を撮って退散しよう」

ヤマさんが撮影をしている間、私はあちこちを見て回る。一つ気になったのは一階へ向かう階段の壁に書かれた文字。上ってきた時には気付かなかったが、そこには『西島家』と書かれていた。中村家、ではない。ただの悪戯である可能性は高いが、妙に引っかかる。

「待たせたな、それじゃ行こう」

私は頷き、それ以上深く考えるのをやめた。

家を出ると辺りは暗く、やってきた時より不気味さが増していた。急いで下山することを決め、私は先導するヤマさんの後を追って歩いた。

車道へ出るまでの道程はほぼ直線だった気がするのに、ヤマさんは「こっちへ行くほうが早い」と言って別の方向へ進む。林の中を掻き分けて一〇分以上は歩いたと思う。流石におかしいと気付いた私はヤマさんに「本当にこっちで大丈夫?」と訊ねた。

「……」

ヤマさんは何も答えない。黙々と進み続けるのみ。

しばらくすると、突然開けた場所に到着。遠くには小さな街の明かりが見えることから、逆に山を登ってきたものだと理解する。

「ここじゃない、戻ろう」と話しかけるが、ヤマさんは聞こえないのか前へ進んでいく。待て、そっちに道なんてないぞ。私は大声で彼の名前を呼んだ。

「ヤマさん!ヤマさん!」

こちらの言うことが耳に入っていない様子だ。私は走って彼の背中へ追い付き、腕を掴んだ。

「――ヤマ――」

次の瞬間、私の背中に痺れが走った。『何かヤバイ……』そう感じた時、私の横を真っ黒な人影がすり抜けた。

黒い影はそのままの勢いで先へ進み、山の端から身を投げた。

突然の出来事に口元を押さえてしまう。同時に前方のヤマさんが糸の切れた人形のようにガクリと両膝を折り地面へしゃがみ込む。

ここは……危険だ。その証拠に先程から悪寒が消えない。ヤマさんの袖を掴む自分の掌に汗が広がっていくのが分かる。早く、一刻も早くこの場から離れないと。

「ヤマさん……!立って……!ヤマさん……!」

必死に持ち上げようとするが、体格の良い彼の身体は動かない。とりあえず自分だけでも逃げて助けを求めるべきか?いや、こんな状態の友人を置いていく訳にはいかない。ではどうする?どうするどうするどうする……混乱しながら、やってきた林の方向へ振り返る。するとそこには――男性が立っていた。遠くから、じっと私達を見つめているように思う。

なぜこんな時間、こんな場所に人がいる?しかも男の頭位置が『異常』に高い。

私のパニックを他所に、突き刺さるような視線はどんどん増えていく。少し離れた林の中、乱雑に置かれた鉄材の陰……視界の至る所から青白い人間の顔が浮かび現れては、こちらの様子を窺っている。それらが「現世の者」でないことは明らかだった。

安息の場所を荒らされた中村家の怨霊が私達に襲い掛かってきたのだろうか。とにかく恐怖で身体が動かないでいると、唐突に背中を掴まれた。思わず「えっ」と声を出して振り返ると、そこには俯いたヤマさんが立っていた。

ヤマさんの頭がゆるりと私に近付くと、しわがれた年寄りのような声で囁く。

「――死ねばよかったのに」

ここで私の意識は途絶えてしまった。

翌日、私は車の助手席で目を覚ました。慌てて状況を把握しようとする私に、運転席のヤマさんが「お、目が覚めたか」と声をかけてくる。

何があったのか状況を聞くと、ヤマさんは呆れたような顔で「覚えてないのか?」と言う。

「中村家を出た頃から、突然様子がおかしくなったんだよ。ぼうっとして上の空みたいな感じでさ。話しかけても反応ないし、とりあえず山を下りるぞってことになって。俺が先導して車道に出て後ろを振り返ったらトシがいない。どこへ行ったんだと山の中を一時間近く捜索したかな……これは大変なことになったと思って、とりあえず警察へ連絡しなくちゃと一旦車を置いた場所へ戻ったのさ。そしたらお前、ちゃっかり助手席で寝ているしよ。マジで焦ったぞ」

……本当に覚えていない。

一人で車に戻った?では私が見た、あの出来事は夢とでもいうのか?

「どうした、青白い顔して。何かあったのか?」

私はヤマさんに事情を説明。真剣に話を聞いていた彼は、あることを思い出した様子。

「そういえば……己斐峠について調べた際、ある新聞記事を見た。そもそも俺達が生まれるずっと前から、峠では悲惨な事件が頻繁に起こっているらしい。土砂崩れによる生き埋め事故や女性誘拐、死体遺棄や自殺など……中村家の噂が広まる、ずっと以前からだ」

それらの事件は全て、己斐峠山頂付近で起こったらしい。だとすれば私が見た、あの青白い存在は……過去、この地で亡くなった怨霊とでも言うのだろうか。

「元々、この山そのものが怨霊の溜まり場となっていたとして……そんな場所に家を建ててしまったことから不幸に巻き込まれたという可能性はあるんじゃないか?」

話を聞き終えた私は深い溜息とともに座席をリクライニングさせた。噂は、あくまで噂でしかない。けれど最初ヤマさんが言った通り、火のない所に煙は立たない。何かしらの原因が、その場所にあるのだ。

「ちなみに岡山・広島は知る人ぞ知る心霊スポットの宝庫らしい。次は霊の証明ができるといいなぁ」

走り出した車の振動を感じながら、私は改めてとんでもないことに片足を突っ込んでしまったなと後悔していた。

――後日、ヤマさんが撮影した写真は一枚残らず真っ暗になっていた。インスタントカメラなのでレンズに蓋がついたままだったというケアレスミスではない。残ったフィルムで大学を撮影したがそちらには異常はなく、写真屋が現像の際に何かしらミスをしたのではないかという結論に至った。店の主人が謝りながら何度も首を傾げていたのを覚えている。

そしてもう一つ、中村家からヤマさんが持ち出したカメラ。こちらも現像してみると、昼間にやってきたのだろう若い男女が映っていた。しかし……。

二人の全身は、なぜかオレンジのようなモヤに囲まれている。それを見たヤマさんはぼそりと、「まるで焼身しているみたいだな」と呟いた。名も知れぬ二人の安否を願う。

あれから時が経ち、令和の今、この廃屋は現存していない。

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