「最近、同じサークルの友達が引っ越しをしたらしいんだけどさ」
食堂で、ヤマさんが話題を振ってきた。
「そこが『いわくつき物件』で、家賃も破格だったらしい」
いくらなのか訊ねると、倉敷で一〇畳のリビングと六畳の和室、トイレと風呂も別の一軒家ながら家賃が四万円だと言う。破格すぎる。
「最初におかしいと誰もが思うわな。不動産屋としても、聞かれたら正直に答えなければいけない規則があるんだと。でも友人は全く気にしない性格だったし、この値段なら多少の問題があってしかるべきと考えた訳」
やめておけばいいものを、と呟きながら私はコップに注がれた水を飲む。
「そんな強気だった友人が、僅か一週間でギブアップ。しばらくは大学も休んでいたが、ようやく気持ちの整理が付いたようでまた講義に出てきたから、早速話を聞いてみた」
放っておいてあげればよいものを、彼も可哀想に。
「詳細を聞いてはいるが、それを今ここで話すのはつまらない。その物件に行ってみて、本当に心霊現象が起こるのか検証してみようぜ」
とんでもないことを言い出す。とはいえ、その友人は退去しているのだから調べるなんて不可能だ。
「ちっちっち、俺を誰だと思っている。既に不動産屋へ連絡を入れ、来週末に内見させてもらうよう頼んでおいた」
行動が早すぎる!私に予定が入っていたら、一人で行くつもりだったのか?
「トシに予定なんて入らないだろ」
おおっと、これは聞き捨てならない。名誉棄損だ、弁護士を呼べ。
「予定があるのか?」
ありません。
そんなことがあり、私達は話題の物件にやってきたのである。
不動産屋へ赴き、内見を頼んだことを伝えると気の良さそうな男性がやってきた。
「車を出しますので、どうぞ」
にこやかに対応してくれながら、私の心は痛む。最初から借りるつもりなどなく、ただ心霊現象が起こるか確かめるだけなのだから。
不動産会社のロゴが大きく描かれた車に乗り、私達は現場へ向かう。三〇分程進んだ後「もうすぐですよ」というので窓の外を注視するが、周囲にスーパーやコンビニはおろか家も少ない。
「随分と寂しい所ですね」
助手席のヤマさんもそれは感じたようで、思ったことを口にする。
「静かで落ち着くという方も多いですよ。山に囲まれて空気も綺麗ですし」
むしろ山に囲まれていない場所のほうが岡山は少ないと思ったが、わざわざ伝えることではないので何も言わない。
車はそのまま駐車場で停まり、私達は外へ出る。
「どうぞ、こちらの家です」
こぢんまりとした古い一軒家、最初の印象はそんな感じだった。
「築三〇年ですが、内装はリフォームされているので綺麗ですよ」
玄関へ向かい、不動産屋が鍵を取り出そうとしている時――私の背中に痺れが生じる。
確かにここは……何かが起こりそう。
「……やっぱり、そうなのか?」
ヤマさんが小声で訊ねてきたので、私は頷く。
「ああ、すみません。開きました」
扉の鍵が開き、中へどうぞと言ってくる。正直もう入りたくない気分だが、それでは検証にならないので我慢して進む。
「へえ、確かに中は綺麗なんですね」
フローリングの床や浴槽などをチェックする。人が部屋で亡くなり放置された場合、痕跡は強く残る。なぜかというと腐敗するからだ。もし部屋の一部が不自然に造り変えられていたら怪しいと思うべき。
だが、特別その箇所に違和感はない。けれども私には分かるのだ。
この家で何かがあったということが。
「これで四万円とか、凄いですよねぇ。もしかして元は墓場だったとかありません?」
いわくつき物件じゃないかと直接聞くのではなく、情報を得るために話題を出すヤマさん。ほんの一瞬だけ、不動産屋が引きつった表情をしたように思える。
「いいえ、そんなことはありませんよ」
「前に住んでいた方は、どうしてこんな良物件を手放したんでしょうねぇ」
「……体調不良だと聞いております。実家で療養するためにやむなく、ではないでしょうか」
「あぁ、そうなんですか」
「なのでお客様は非常に幸運ですよ」
「成程。もし自分が借りられるのなら借りたい、と」
「……そう、ですね。はい」
更に話を聞き出そうとするヤマさんだが、不動産屋が突然「すみません、電話が鳴ったようなのでちょっと失礼します」と言って家から出ていってしまう。
「嘘つけ、電話なんて鳴ってなかったじゃねぇかよ」
玄関扉を睨みながら呟くヤマさんには何も答えず、私はずっと部屋の中を物色していた。
「何か感じるか?」
私が部屋のクローゼットに近付いた時、異変は起こる。
『――――ァ――――ァァ――――』
物音……いや、どこかから声が聞こえた。振り返りヤマさんを見ると、彼にも聞こえたようで辺りを窺っている。女性……いや違う。赤ん坊の泣き声……?
呼吸を整え、私はクローゼットに手をかけた。針を刺すような背中の痛みが私に警告を出している。やめろ、これ以上は踏み込むなと。
唾を飲み込み、腕に力を込めた――次の瞬間。
ドンドンドンドンドンドンドンドンッッッ!!!
クローゼットの中から殴るような音が聞こえてきた。
「う、うおぉおおおおおおおおおっっ!?」
ヤマさんは驚き、その場に尻もちをついてしまう。私もクローゼットから手を離し、ここから出ようと申し出る。当然、反対の声など上がらない。
逃げるように外へ出ると、煙草を吸っていた不動産屋が慌てて火を消し、素知らぬ顔でこちらに向かってやってきた。
「どうされました?もう内見はよろしいのですか?」
めずらしく怯えて何も言えないヤマさんの代わりに、私が「……ええ、もう十分です」と答える。
ヤマさんが後から仕入れてきた噂だが、やはりあの家で事件は起こっていた。
数年前、カップルが住んでいた時の話である。彼氏であるAは遊び癖が酷く、他に女を作って家に帰らないことが多かった。
ある日、彼女のBが妊娠していることが分かった。Aは堕ろせと命じたが、Bにその費用はない。結果、病院にもいかず一人その家で子供を産み落とした。
このままでは自分も捨てられると思ったBは、子供に布団をかぶせてクローゼットの中へ放置、赤子は死亡した。
当然、そんな事態を隠し通せる訳もなく近隣住人の通報によって事件は明るみとなり、Bは逮捕されることとなった。
その後も部屋を借りる者は、赤ん坊の泣き声を聞いたり悪臭に見舞われたりしたという。
ヤマさんの友人に至っては勝手にクローゼットが勢いよく開いたり、常に誰かに見られているような視線を感じたりしてノイローゼになったらしい。
不動産屋もホームページで入居者を募ったが、写真を撮る度に不気味なものが写るので口コミによる募集しか叶わなかったと聞く。
噂の真偽は定かではないが、あの時クローゼットから聞こえた声と音を思えば、あながち嘘とも思えない。
店まで戻ってきた私達。車中では誰も一言として喋ることはなかった。
「……えぇと、お疲れ様でした!」
努めて明るい声を出す不動産屋。しかし私達の表情は暗い。
「上司とも相談をいたしまして、家賃に関して更に勉強させていただくことも可能です!いかがですか、是非御検討を!」
私とヤマさんは、にっこりと微笑んだ後に同じ言葉を発した。
「「結構です」」