これは私が普段からお世話になっている住職の元へ、広島土産を渡しに向かった時の話。
彼の奥様に勧められリビングで待っていると、昼だというのに寝間着姿の住職が現れた。
「地元へ戻っていたらしいな。わざわざ土産まで……気を使わせたな」
よく見ると、彼の右手には包帯が巻かれている。何があったのだろうか。
「ああ、これは……祓うのに失敗してな。やっちまった」
何とも気になることを言うので、私は話を聞かせてほしいと頼む。
「失敗談を語るには、些か早すぎると思うが」
苦笑しながら私の向かい席へ座り、住職は事の顛末を語り始めた。
「この子……輝幸に憑いた悪霊を祓っていただきたいのです」
そう言って頭を下げるのは品の良さそうな中年女性。隣には憔悴し切った表情の子供が、中学校の制服を着て正座している。
「何があったのでしょうか」
住職が訊ねると母親は横目で息子を見つめながら話す。
「この子は近々、高校受験を控えていまして……仲の良い同級生と二人で近くの神社へ合格祈願に向かったそうなのです。その日をきっかけに、毎晩恐ろしい夢を見るようになったらしく、勉強にも集中できないようで……他にも……」
「他にも?」
「……ほら、自分の口で言いなさい」
横から母親に肘でつつかれ、息子は独り言のように呟く。
「……身体中が針で刺されているように痛くて……まっつんも事故に遭ったって聞いたし……」
「まっつんというのは、一緒に祈願した友人だね?」
住職の問いに、輝幸は頷いてみせる。
「病院にも連れていきましたが、成長痛や受験のストレスからくる神経痛じゃないかと言って、はっきりとしたことなど仰ってはくれませんでした。これで受験に落ちでもしたら――」
「その制服……近くの神社というのは、牛窓神社か?」
母親の話を遮って更に訊ねた。輝幸は更に頷く。
「成程……輝幸君、我々に何か隠し事があるだろう」
えっ、と両者が思わず驚きの声を漏らす。だが住職には確信があった。
目をまっすぐに見つめ、告げられる言葉を待つ。その沈黙に相手は耐えられなくなり、口を割ってしまう。
「……まっつんが……神社に置かれているものには、力が込められているから……だから落ちていた石を拾って……」
「持ち帰ったのか」
住職は溜息を吐き、頭を抱える。狼狽える母親は「あの」と声をかけた。
「ただの石、ですよね……?それが何か問題になるんですか?」
「石には鉱物霊が宿っており、参拝に訪れた無数の人たちの悲しみや苦しみの念、現世利益をひたすら求める我欲の念が籠もりやすい。御神域にあるものは持ち帰るべからず……息子さんには禁忌を犯したことによる罰が降りかかっているのです」
「ど、どうすれば……何をすれば……」
「石は、まだ手元に?」
「……怖くなって捨てた……近所のコンビニのゴミ箱に」
「身体が痛むと言っていたな。見せてもらうことは可能か?」
素直に住職の言うことを聞き、上着を脱ぐ少年。背中や腕が赤くなっている。
「これは……急いでお祓いをしたほうがいい」
着衣してもらい、お祓いの準備を進める。
住職はこの時、思ったらしい。
(霊障が進行している。一週間遅ければ大変なことになっていたかもしれん)
時間をかけ、しっかりとしたお祓いを行った。とりあえず、これで恐ろしい夢を見ることはなくなるだろうし次第に身体の痛みも消えるだろうと告げると、母親は泣きそうな顔で感謝してくれた。
――だが、その日の深夜に事態は急変する。
『もう大丈夫だと仰っていましたよね!?どういうことですか!』
電話から聞こえてきたのは、輝幸君の母親からだった。
「落ち着いて状況を説明してください」
『輝幸が苦しんで暴れ始めたのよ!救急車を呼んで、集中治療室に運ばれたわ!』
病院の待合室にいるが、怒りが抑えきれず電話をかけてきた様子。
「今すぐそちらへ向かいます」
住職は急いで服を着替え、車にて教えてもらった病院を目指す。
到着したのは明け方近く、輝幸君は一般病室へと移されていた。母親に事情を聞くが、何も答えてはくれない。どうするべきかと困りながら朝を迎え、回診の時間となった時に主治医から声をかけられる。
「彼のお父様でいらっしゃいますか?」
「いいえ。私はこういう者です」
名刺を渡し、今日の出来事を話す。医師は腕を組み俯いてみせた。
「立場上、貴方の仰る霊障というものを鵜呑みにする訳にはいきません。彼の背中は広範囲の火傷を負っており、私は虐待が行われていたのではないかと推測しました。けれど……」
医師は周りに聞かれるのを配慮してか、住職との距離を狭めて小声で話し始める。
「つい先日、今回と似た症例の患者を診ました。父親が運転する車の助手席にいて、事故に見舞われたのですが……ここへ運ばれた時、酷い火傷状態となっていました。車が炎上したのかと訊ねると、フロント部分は大破したが火は出ていないと言う。ならばなぜ、少年はこのような状態になっているのかと不思議に思った訳です」
「……その子供、まさか……」
「今も入院されてますが、どうしますか?」
住職は持参した数珠を取り出し、医師に向かって告げた。
「面会をお願いします」
個室の扉を叩き、住職は中へ入る。ベッドに座り、虚ろな目で窓の外を眺める少年に住職は話しかけた。
「君が、まっつんか」
振り向いた表情は驚きに満ちている。住職は相手の目を見つめながら、ゆっくりと質問を繰り出した。
「友達の輝幸君が、つい先程病院に運ばれてきた。大きな火傷を負って、な」
がくがくと少年の身体は震え始めた。しかし住職は意にも介さない。
「彼は母親とともに私を頼って除霊に来た。こちらもキッチリと仕事をこなしたつもりだが、また霊障は起こってしまった。それはなぜだと思う?」
椅子を寄せて座る。二人の距離は息がかかるほど近い。
「原因は君達が牛窓神社から石を持ち帰ったこと。輝幸君は怖くなって捨てたと証言している。君は石をどうした?」
「ぼ、ぼくは……ぼくは……」
「安心していい、私が必ず祓う。だから正直に答えてほしい」
まっつんは涙を流しながら謝罪する。そして語った。
「お父さんに話したら怒られて……すぐ返しに行くぞって車を出してくれて……その途中で事故に遭って……石は、どこにいったか分からない……けど……」
「けど、何だ?」
「……あの日、僕は……彼のカバンに……隠れて……石を……」
つまり輝幸は、本人も知らないところで呪いの元を持ち続けていた、それこそ除霊が効かなかった理由。
「よく話してくれた。退院したら、すぐに私が除霊を――」
「た、大変です!輝幸君が……!」
女性看護師が病室に飛び込んできて、住職は駆け出す。
「輝幸ッ!輝幸ぃいいいいっ!」
廊下では母親が涙を流しながら絶叫し、両脇を看護師に支えられている。その横を通り中へ入ると、こちらも地獄のような光景が広がっていた。
先程の医師が女性看護師と一緒になって暴れる輝幸を押さえつけている。目を疑ったのは輝幸の身体から湯気のようなものが出ていること。
只事ではないと判断した住職は、数珠を取り出し念仏を唱える。邪気を祓うため、輝幸の背中に触れた瞬間――激しい痛みが住職を襲う。
けれど住職は手を離さない。慌てた看護師が引き離そうと近寄るが、医師はそれを制す。
「――――――」
念仏は続き、次第に輝幸も落ち着いていく。一部始終を見ていた医師は「……何ということだ」と感嘆の声を上げる。
「きゃあっ!あ、あなた……手が……!」
女性看護師が指差したのは、住職の手。それはまるで焼け石を掴んだかのように焼けただれていました。当然、人の皮膚に触れただけではこのような状態になるはずもない。
「……目の当たりにしてしまっては、認めざるを得ん……」
医師はそう言って、住職の手に治療を施したと言う。
話を聞き終えた後、私はじっと住職の手を見つめた。
ちなみに、輝幸達や残された石はどうなったのだろう。それが気になる。
「母親の許可を貰い、輝幸君の部屋を捜索させてもらった。彼のカバンには、まっつんが証言した通り石が出てきた。更に……」
他にも何かあったのだろうか。
「彼は怖くなって、自分が持ち出した石を近くのコンビニへ捨てたと言っていた。事前にどんな石だったか聞いてみたが、端に特徴的なXの傷が付いていたらしい。どうにも部屋から居心地の悪い空気を感じていてな。徹底的に探ってみたら見つけたよ、ベッドの下から――Xの傷が付いた石を」
……そんな馬鹿な。捨てたはずの石が戻ってくるなどありえない。
「実際の所は分からん。だが全国には数々の焼き討ち神社が存在してな……有名なものだと比叡山延暦寺か。牛窓神社も例に漏れず、その流れを汲んでいるのかもしれん」
焼き討ち神社――とんでもないキラーワードだ。
「随分と話し込んでしまった。どれ、せっかくなので頂いた土産を一緒に食べようじゃないか」
包装された紙を破りながら住職が言う。私は思わず「あっ」と声を漏らす。
中身を見た瞬間、住職も引きつった笑みを浮かべた。
「……よもや焼き菓子とは、皮肉が効いているな……」
沈黙する私達を、お茶を持ってきた奥様が不思議そうな顔で眺めていた。