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生き延びた高橋
八〇年代の出来事だという。博子さんは当時、北海道の岩内郡岩内町というところに住んでいた。海水浴場がある海沿いの町だ。
北海道の夏は短く、遊泳が解禁されるのは盛夏の一ヶ月間だけだった。地元の子どもたちは、その一ヶ月限定の海を目一杯愉しんだものだった。
博子さんが中二の夏休み、同じ中学校に在学する男子生徒が三人も海で亡くなった。
そのうち一人は地元にある件の海水浴場で、あとの二人は何十キロも離れた遠い所の海水浴場で、それぞれ命を落とした。どれもがいわゆる水難事故で、溺死したものであり、自殺を含めて事件性は皆無だった。
ただし一つだけ奇妙な点があった。
鬼籍に入った三人は全員、姓が「高橋」だったのだ。
事故後、博子さんの学校では海水浴を禁止した。「高橋」という姓の教師が、最も真剣に海水浴禁止を説いてまわった。高橋先生は、その後も長らく、海を恐れていた。
閑話休題メヌカの嫉妬
博子さんが記憶している岩内大浜海水浴場はすでに無い。そこには九〇年頃から工業団地とフェリーターミナルが造られた。だが、二〇年余り前にフェリーの運航も廃止されて、今は寂しい光景を呈している。しかし岩内町には、他にも観光資源が多々ある。
その一つが、次のようなアイヌと義経の伝説だ。
──義経一行はアイヌとの争いに敗れて、首長・チパに囚われた。しかし勝利したアイヌの人々が祝いの宴を開いたところ、急に祭壇が崩れた。チパは義経を捕らえたことに対して神が怒っているのだと悟り、義経たちを解放してもてなした。そのうち、チパの娘・メヌカと義経がただならぬ仲に……。やがて別れのときが来て、義経はメヌカに「来年はきっと帰る」と約束した。だが一年経っても義経は戻らず、絶望したメヌカは岩から海に身を投げた。
その岩は「メヌカ岩」、そしてこの地は義経がメヌカに約束した「らいねん」を元に「雷電」と名付けられたのだというが、怖いのは、それ以降この辺りの海では内地から来た女性の乗っている船が難破するようになったと言い伝えられていることだ。
メヌカは義経の正室・郷御前に嫉妬したのだろう。しかし、その他大勢の内地の女としては、そうも無差別に祟られてはたまったものではないと思う。