Skypeでの取材に応じてくれた、現在は羽曳野市にお住まいのNさんから聞いた話。
「もう凄い前の話なんですがね、大阪駅のキオスクで働いてました。
そこで、大阪駅のホームに手を引っ張って助けてくれる幽霊がおるって、お客さんに聞いたことがあります。どういうことかと言いますと、毎日よう来てくれるお客さんがおったんです。
その人は、ジュースを買ってくれることが多かった。特にオレンジのジュースが好きな方やったと覚えてます。
せやけどその日はジュースやなくって、お酒を二缶買われてね。ちょっと手が震えてたんです。どうかされましたか?って言うたら、ここでちょっと飲んでいいですかと聞かれたんで、どうぞって答えました。
でもその人、缶のプルタブを起こしても、お酒に口を付けずに、しばらく両手で抱えるように持って黙ってるんです。
特にお客さんが多い時間帯でも無かったんで、なんかありましたか?って聞いたら、実はさっき私、死のうと思ってましてんと言い出して。
ええっ、どういうことですか?驚いたんで尋ねてみたところ、なんか借金の保証人やらでどうにもならんようになっとったとかで、金策もろくにあらへんから、こんな世の中生きとってもしゃあないなあと、ふっと過ったみたいで、電車に飛び込もうと思ったって言うんです。
話は変わりますけど、電車に飛び込む事故ほど、むごいもんはありませんからね。絶対にやろうと思わんでください。
仕事中に見てしまったことあるんですけど、もう、あれは一生忘れられへんくらい、人間が人間やなくなってしまった姿でしたから。
そのお客さん、飛び込もうとしたところ、ぐうっと誰かに手を引かれてホームに引き戻されたって言うんです。
最初は風のせいか、気の迷いでそうなったんかと思ったらしいんですけど、二度目も失敗というか、手を引かれて戻されたと言うんです。
まあ、特にそんな話を聞いても、言うことあれへんから、折角助からはった命やから大切にしてくださいとだけ伝えたんです。
こういう話って一人で仕舞っておくのは負担というか、私、お喋りやから、同じ駅で働く同僚に言うたんです。そしたら同僚が、仕事終わったらお前に見せたいものがあると。
それで連れていかれたのが、清水太右衛門殉職碑やった。
清水太右衛門さんは、明治時代の大阪駅にあった踏切番で、ある日、おしずって名前の六歳の女の子が、上り下りの電車が来るのに遮断機を潜って線路に入り込んでしまったんです。
とっさにおしずちゃんを救うために、清水さんは線路に飛び込み、国鉄初の踏切事故の犠牲者になってしまったんです。
清水さんは岐阜の出身で、長良川の大洪水によって職を失い大阪に来はった人らしくてね、まじめな働き者で、子供が特に好きやったそうで。
大怪我を負っても『危険や』『危ないで』と子供に言い続けて、病院に搬送されたそうです。
そういう話を聞かされて、なんで、こんなん見せるんやって聞いたら同僚がね、酔ってホームから落ちそうなった人がおった時、何も無い場所からぐっと腕が出て、引っ張って助かったところを見たことあるっていうんです。
その腕の服の袖がね、古い国鉄の制服やったから、この人ちゃうかなって、思ったそうで。
まあ正義感の強い人やから、幽霊になっても人助けやなんかが出来るってことなんでしょうかねえ。
殉職碑は現在は移転されたとかで、今は一般の人には見られへん場所にあるんやったかな」
Nさんはそう言い、会ったこともない人やけど、この怪談会の参加者の皆さんで合掌しましょうかという提案をした。
理由を問うと、たまたまその清水太右衛門さんが殉死された命日だからだということだった。
現在も大阪駅の駅員は制服姿で殉職碑の前で手を合わせ、安全の誓いをたてる人が多くいるそうだ。