当時、岡山県倉敷市にある『古城池トンネル』は有名な心霊スポットだったらしい。
内容を聞くと「車と並走してくる老婆、通称『ジェットババア』が現れる」のだとか。そのネーミングセンスから昭和を感じさせ、検証するのも馬鹿らしいと思ってしまう。
更にはトンネル近くが古城や処刑場跡だったことから「落ち武者が現れる」という噂もあるが、調べると火葬場があったという話くらいで有力情報は得られなかった。
けれど古城池トンネルは他のトンネルに比べれば明らかに事故率が高い。どこにでもある何の変哲もない直線トンネルなのになぜか。
これは男友達が実際に体験をした話である。
免許を取得したばかりの友人は、安い中古車を探していた。ある日、某ディーラーから「希望に添う中古車が入荷した」という連絡を受けて店へ向かう。型も良く走行距離も短い上にカーナビまで付いた車だった。何より驚いたのは、その値段。
「別のお客様も購入したいと仰っています」と急かされ、この機会を逃す訳にはいかないと考えた友人は長期ローンで購入。人生で最も高額な買い物をした。
「普段は近場を乗り回し、休みの日には彼女と海を見に行く予定を立ててさ」
当日、せっかくだからとカーナビを使うことに。すると登録していない位置情報が画面に現れる。
「前の所有者が設定していたものを、消し忘れたんだろうな」
興味本位で調べてみることに。
「これって、おかしくない?目的地がトンネルになっているけど」
彼女の言う通りだった。わざわざトンネルに出向く者など、そうはいない。
「トンネル工事の作業員とか、トンネルマニアだったのかもしんないぞ」
「何よ、トンネルマニアって」
そんな話をしながら、車は発進する。
昼過ぎに海へ到着、ショッピングや食事を楽しんでいると時間は深夜になってしまった。友人としてはどこかで一泊したいと思っていたが、朝から講義だからと彼女に断られる。
渋々帰路に就いていると、突然カーナビが音声ガイドを発した。
『次ノ信号ヲ左折デス』
画面は何も表示されておらず、設定を行った記憶もない。
「故障か?うるさいから電源切っておこうぜ」
「これってタッチパネルでしょ?触っても反応しないんだけど」
友人が乱暴に画面を叩くが、やはり反応はない。更に音声ガイドは続く。
『次ノ交差点ヲ左折デス』
最初は無視を続けていたが、タイミングよく会話に割り込んでくるので次第に苛々してきた。ミュートもままならず、いっそ本体ごと外してやろうかとも考えたがネジで固定されているためにそれもできない。
「てかこれ、どこへ連れていこうとしてんだよ」
ナビのルートから外れると音量が上がった気がした。まるで「言う通りにしろ」と告げているかのように。
二人の会話は、いつしかなくなっていた。ガイドの言うことを聞くつもりなどなかったが、気付けば誘導されるように車は進んでいく。
「……そういえば出発の時、目的地が設定されていたよね……?」
「トンネルがどうとかって、あれか……?」
「そう……古城池トンネル……」
トンネルは近くまで迫っている。普段だと何も思わない普通のトンネルが、まるで怪物の咥内へ飛び込むような気味の悪い感覚に襲われた。
それは彼女も同じだったようで、運転している友人の袖を掴んでくる。
友人は息を止め、アクセルを踏み込む。大丈夫だ、すぐに突っ切れば問題ない……そう願いながら。
車がトンネルへ入った瞬間――キンッという高低差で味わうような耳鳴りが襲ってきた。軽い眩暈を起こしつつ冷静に運転を続けようとした時、異変が起こる。
「…………?」
前を走っていたはずの車が突如として消えていた。それだけではない、対向車も後ろにいた車の列も全てなくなっている。トンネル内に自分達しかいないのだ。
現状が把握できないままでいると、再びカーナビが音声を発する。
『目的地ニ到着シマシタオ疲レ様デシタ』
同時に腕から激しい痛みが走った。表情を歪めながら目線を向けると、彼女の指先が深く食い込んでいる。それだけではない、ギリギリと万力で絞められているような痛みと骨が軋む音まで聞こえてくる。
「ちょっ……痛……おい……ッ」
助手席の彼女と目が合う。否、正確にはあっていないかもしれない。なぜなら瞳の焦点が定まっていないからだ。彼女は首を傾げ、大きく口を開けている。
「――――ヒッ……!」
悲鳴を上げそうになった瞬間、物凄い力で腕を引っ張られた。ハンドルを掴んだままだったため、車体は大きく左へと曲がり――。
トンネルの壁へ激突してしまう。
「っあ……ぐ……!」
気を失っていたようだが、強い痛みで目が覚める。フロントガラスは割れており、至る所に破片が散らばっていた。隣に座る彼女はがっくりと頭を垂れて、名前を呼んでも返事をしてくれない。早く救急車を呼ばなければ。
シートベルトを外して車から降りる。身体中が重く、特に左腕は全く動いてくれない。
静かすぎるトンネル内、足を引きずらせながら出口に向かう。このまま延々と出られなかったらどうしようと恐怖したが、予想に反して外へ出ることができたので友人は安堵する。
幸いなことにトンネルを出てすぐの場所に電話ボックスがあった。財布は持っていなかったが緊急番号にお金がかからないことは知っている。扉を開けて中に入り、受話器を耳に当てて一一九をプッシュ。
早く、早く出てくれと祈る友人。その時、受話器の向こうから声がした。
『引キ返セ』
恐怖のあまり受話器から手を放してしまった瞬間、後方からバン!という大きな音がして電話ボックス自体が揺れる。恐る恐る友人が振り返ると、そこには――。
血だらけの女性が睨み付けていたという。
友人は病院のベッドで目覚めた。意識が混濁としていた彼に医師が説明をする。
「貴方は恋人とドライブ中にトンネル内で事故を起こし、二日も眠り続けていたのですよ」
その衝撃で三箇所の骨折と擦過傷、打ち身をしていた様子。中でも特に酷かったのが左腕で、筋組織が潰されており今後も障害は残るかもしれないと言われた。
「あの……助手席にいた彼女は無事だったんですか?」
「大きな外傷はなかったよ。けどね……」
友人よりも早く目覚めた彼女は怯えたように暴れたらしい。かなりの恐怖心を植えつけられたようで自分の髪を引き抜いたり、舌を噛み切ろうとしたり大変だった、と。
「昨日、御両親に連れられて退院されたよ。貴方宛てに手紙も預かっている」
「……俺に、ですか?」
片手が不自由なので医師に読み上げてもらうことにした。書いたのは彼女の母親らしく、内容は『娘がこのようになってしまった以上、もう顔を見せないでほしい。貴方を恨むつもりはありません。どうか御自愛ください』というものだった。
友人は心に大きな穴が開いた気がして、その後しばらく自宅で引きこもるようになってしまった。
ちなみに事故を起こした車は業者に引き取ってもらったという話だが、廃車になったとは聞いていない。
もしかしたら今もどこかの中古車店で、新たな持ち主を待っているかもしれない。