惚れ薬(大阪府) | コワイハナシ47

惚れ薬(大阪府)

鉱石愛好会のサークルで知り合った高山さんから聞いた話。

高山さんは昔、自殺を考えたことがあるという。

高山さんは国立大学を出て、大手メーカーのS社に就職が決まり、そこの技術部署でバリバリ働いていた。だが、そのメーカーが別企業と合併した影響で、高山さんはリストラ要員に入ってしまったようで、何をやっているのかよく分からない部署に配置換えされ、年下の社員に罵倒される日々を送っていた。

ストレスのせいか頭の毛が抜けはじめ、体重も半年で十三キロも減ってしまった。今まで会社のために頑張ってきたのに、最後にこの仕打ちなのかと思うと、悔しくて時々涙が出てきた。

任された覚えのない仕事のミスを数時間立ったままで指摘され、同僚に無視されつづけることもあった。

「もう死のうかな」

高山さんはそんなことばかり考えるようになって、ある日家を出てからコンビニに行ってビールを買いバス停で飲んで、どこに行くか表示も見ずに、来たバスに飛び乗った。

窓の外の景色をぼんやりと眺め、見覚えのない場所で降りた。

苦しい死に方は嫌だな。電車に飛び込むのは遅延に繋がるし、遺体を片づける人も気の毒だ。

飛び降りは下を見ると怖いし、これも遺体の始末をする人が可哀想だ。苦しくない死に方で、遺体の始末の負担も無い方法はなんだろう。

別のコンビニで酒を買いちびちびと飲みながら、そんなことを考えて歩いているうちに、神社の境内に迷い込んでいた。

歩き疲れたせいもあって、高山さんは神社の境内のベンチに座った。

「やっぱり首吊り自殺かなあ……」独り言が思わず口から洩れた。

すると背後から声がした。

「死ぬのなんて止めなさいよ」

振り返ると、昔話に出てくる仙人のような風貌の老人が立っていた。

「死にたいと思うのは自分のことが嫌いなんやろ、自分が愛おしかったら、そんな風に思われへん。これ飲んで元気だし」と、紙袋を高山さんに手渡した。

「この中に入っているのは、いもりの黒焼きを使った秘伝の惚れ薬。私は高津にある黒焼き屋で買って、これを煎じたんや。自分のことが愛しかったら自分の身を自然と大事に出来る筈やろ」

「はあ」怪しげな薬の押し売りかと思い、気の抜けた返事をした。

「薬の代金はいらんから。死ぬつもりやってんやろ。騙されたと思って飲んでみ」

そう言って足早にどこかに立ち去ってしまった。

その後、高山さんはタクシーに乗って近所のホームセンターに向かい、ロープとビニールシートを買った。

買ったばかりの荷物を持って家に帰り、遺書の内容を考えているうちに、ふと、どうせ死ぬなら貰ったイモリの薬を試しに飲んでみようと思った。

袋を開けると和紙にイモリの薬効について書かれていて、その隅に店名らしい印が押されていた。黒焼きと聞いていたので真っ黒になったイモリが丸まま入っているかと予想していたが、既に粉になっていた。

家の中に飲み忘れていた洋酒があることを思い出し、封を切ってとっておきのバカラグラスに注ぎ、イモリの黒焼きの粉をぐっと仰ぐようにして飲んだ。

普段飲みなれない高い度数の酒と一緒に服用したせいか、盛大に噎せてしまったが、袋に入っていた量の三分の二ほどが口に入った。

その後、酒のせいかどうかは分からないけれど、高山さんは抗いようのないほど強い眠気に襲われ、そのまま着替えもせずにソファーの上で眠りに落ちた。

翌日起きると昼過ぎになっていた。水を飲み鏡を見て、顔をピシリと二、三度引っぱたいた。

「なんで、あんなに俺、どうでもいいことで悩んでたんやろ」

まばらに生えた髭を剃りつつ、高山さんはそう呟いた。

親指の先がピリピリと電気風呂に入った時のように痺れていた。

寝過ぎたせいか背中と首筋が痛んだが、手早く着替えて近くの文具屋に行った。履歴書を買うためだった。

「なんか全部アホらしいというか、どうでもええわ、やったるわ!って気になってね、その日一日かけて、腕がしびれるまで履歴書を書いて、翌日職安で目についた求人にかたっぱしから送ったんです。

パワハラも、なんで今までそう言わへんかったんやろって思いましたが、同僚や上司には、弁護士と労働基準監督署に相談中です。このやりとりは録音しています。って言ったら、かなりマシになりました。

相手も面倒ごとは嫌だったんでしょうね。仕事量を減らされるとかはありましたが、どうせ辞める気でしたし、こんな会社そのうち潰れるやろって思って気楽でした。

それからとんとん拍子にとは、そう上手くいきはしませんでしたが、退職してから新しい仕事にも就けたし、ある程度貯金も出来て、こんな風に鉱石集めの趣味も見つけました。

魂に余裕が出来たんでしょうね。

あの黒焼きのおかげかどうかは知らんけど、自分の体を今はある程度は大切にしてますし、無茶をしたりとか自棄になることは減りました。

知人に言うたら、単なる睡眠不足が続いとって脳がおかしなっとっただけや、ヤモリやらの薬やのうて、お前はその時ちゃんと寝たから、体が回復したんやろうって。

不思議なんはね、袋の印を頼りに、その店にお礼しに行こうとしたら、どこにもそんな店無いんです。

近所の人に聞いたら高津宮付近にあった黒焼き屋は、薬事法やらの関係で随分長く黒焼きは作ってなかったし、そこの店主の人、随分前に亡くならはったでって聞いて。

もしかしたら、あの世から来て、惚れ薬を処方してくれたんでしょうか」

作家・織田作之助の『大阪発見』によると、高津神社の裏門筋にかつて、元祖本家・黒焼屋の津田黒焼舗と、一切黒焼屋の高津黒焼惣本家・鳥屋市兵衛本舗の二軒が、隣り合わせに並んでいたらしい。

そしてどちらも、惚れ薬となるイモリの黒焼きを売っていたそうだ。でも、津田黒焼舗は戦前に閉じてしまい、鳥屋市兵衛の子孫の方だけが、昭和五十年代の後半までイモリの黒焼きを作り続けていたという。

高津宮の近くには「縁切坂」もあり、これは悪縁を断ち切ってくれる坂だという。

高山さんが服用した黒焼きの正体や経緯は不明のままだけれど、今も黒焼き屋があったら、一度どんな味がしたのか、精力剤として効果があったのかどうかが気になるので、口にしてみたかったと思う。

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