「私、小さい頃から同じ夢を年に一度は見るんだよねぇ」
大学の同級生である吉田六花が、飲みの席で話を振ってきた。
どんな内容か訊ねると、自分が殺される夢だと言う。
「山奥の坂みたいな、そんな場所を上っていくと廃屋があんの。鉄の扉は壊れてて、中に入ると真っ白の何もない空間というか。そうそう、トンネルみたいな。奥に行くとボロボロの棚がいくつも並んでたり、ちょっと異質な感じ?」
吉田は一瞬、沈んだ表情を見せる。
「壺とか床に転がってて、マジで不気味。もう帰ろうと思った瞬間、突然背後から誰かに首を絞められるの」
一緒に話を聞いていた吉田と仲の良い門包(もんづつみ)彩華が、怯えた様子で自分の首を庇う。
「苦しくて暴れる時、自分の靴が見えるんだ。赤いスニーカー。段々と目の前が真っ暗になって、ああ私、死ぬんだって。なぜか知らんけど、それが二〇歳の自分ってことだけは理解してんだよなぁ」
二〇歳ということは、つまり……。
「そう、今年。この前、誕生日きた。だから幼い頃から、私は二〇歳までしか生きられないって思ってた」
「えぇ、やだよ。六花が死んだら私、哀しいよぉ」
本気で涙を流す門包に、吉田は慌てながら「ごめんごめん」と謝る。
「あくまで夢の話だから。わぁもう、泣くな泣くな」
テーブルに置かれたお手拭きで門包の涙を拭く吉田。二人は互いが大学に入って初めてできた友人らしく、いつも一緒に行動している印象が強い。受ける講義もサークルも一緒だ。
「何でこんな夢見るんだろって、小さい頃は怖かったけどさ。多感な時期に入るとムカついてきたよね、ふざけんなって」
所謂逆ギレという奴か。とはいえ気になる内容だった。確か夢診断によると廃屋は『辛い現実』『過去に囚われる』といった意味で、殺害は『成長』『状況の変化』を表していた気がする。
「それってつまり、人生を一変させるようなことが起きるってこと?うわーどうしよ。めっちゃイケメンの金持ちから求婚されたら」
はいはい、と呆れた感じで相槌を打ちながら烏龍茶を口にしていると、横から聞き慣れた声が飛び込んできた。
「何か面白そうな話してんじゃねぇか」
アルコールが回って顔を真っ赤にしたヤマさんが乱入してくる。学部こそ違うが、交友関係が広い彼は飲みの席で必ずといっていいほど呼ばれる人気者だ。正直、うらやましい。
「山奥の小屋に複数の棚と壺があったんだろ?それって間違いねぇよ」
「え?ヤマさん、何が間違いないの?」
普段は生意気な口調の吉田もヤマさんの前では敬語を使う。
ヤマさんは私の飲んでいた烏龍茶に、さも当然のごとく口を付け、じっくり間を置いて話す。
「…………納骨堂だよ」
「?ノーコツドーって何?」
骨壺に入れた遺骨を安置しておく建物と説明すると「えーやだー」という悲鳴が上がる。
ビビらせて遊ばないよう軽く睨んでヤマさんを牽制する。ただの陶芸小屋かもしれないのだから。
「いや、俺には確証があるね。近々またトシと心霊スポット巡りするために色々調べてたんだが、こういうのを見つけたのさ」
私の知らない所で、この人は何を計画しているのか。
「岡山市中区国富に廃納骨堂があるんだが、そこで数々の怪奇現象が報告されているらしい」
事前に用意されていた資料をカバンから取り出し、テーブルの上へ置く。全くこの人はいつもこんな物を持ち歩いているのか。
資料の書き込みによると、現場で心霊写真が撮れたり体調を崩したりする者が後を絶たない様子。
そもそも納骨堂や墓地といった場所は、霊が集まって当然と考えている。遊び半分でやってきた生者にフラッシュを焚かれ騒音を聞かされ、これほど迷惑な話もないだろう。
「そんなこと言う人、初めて見たよ……」
未確認生物でも発見したような顔で私を見る門包。
「写真もあるぞ。これ一枚だけだが」
写っていたのはボロボロの納骨堂らしき建物。こんなものを見せられただけでは何とも、と思ったが予想外の食いつきを見せたのは吉田だった。
「……この場所って近いの?」
「ああ、車だと二時間もかからないと思うぞ」
「…………似てる、かもしんない」
飲み屋の喧騒に包まれた空間で、やけに彼女の呟きが耳に通る。
「いつここへ行くの?皆で行こうよ、ねぇ!」
「ちょっ……六花!?」
「彩華も一緒に、ね?」
「わ、私は……」
「夜じゃなきゃいいんだしさ。市内行くならショッピングしようよ。どっかで美味しいもの食べてさ。いいでしょ?」
「でも、そういうの……ちょっと……」
両肩を掴まれ、それでも拒否しようとする門包に対して吉田は言い放つ。
「…………え、嫌なの?」
「り、六花あのね?話を聞いて」
「いつでも一緒っていってたよね。それなのに何かあった時には離れる訳?アンタの友情ってそんなもんなんだ?だったらもういいわ、頼まない」
流石に言い方というものがあるだろう。悪酔いしているのかもしれない。私が吉田を止めようとした時、門包が呟く。
「わ、分かった……行く……一緒に」
その言葉を聞いた瞬間、ぱあっと吉田の表情が一変。門包を抱きしめ「ありがとー!」と叫んでいる。
「で?いつ行く?予定決めちゃおうよ!」
「来週には車を借りられる。トシは木曜と金曜が講義なかったよな」
ちょっと待て、私が行くのは決定事項なのか。傍に置かれた酒を飲み、苦みから顔をしかめてみせた。
岡山平野を一望に収める瓶井山(みかいさん)の中腹に建立された重要文化財、『安住院多宝塔』。そこに登る道すがらに、件の心霊スポットは存在する。山道を登っていくと、見渡す限りの墓群が姿を現す。
「何とも異様な雰囲気を漂わせているな……」
ヤマさんの言いたいことは分かる。現に私の背中から痺れが生じていた。
無数にある墓のほとんどが手入れもなく放置されている感じに思える。土に眠る先人達も、さぞ悲しんでいるだろう。
警戒心を上げつつ、傍にいた吉田へ声をかける。夢に見た光景と同じか否か。
「……階段……両脇に小さなお地蔵様がいない……?」
気にしながら奥まで進む。そして――。
「……おいおい、マジか」
確かに存在した。
階段に地蔵、その先には廃納骨堂が見下ろすように建っている。
場所が墓地であれば階段も地蔵もあって当然。だが吉田は『両脇』だと言い当てた。これを偶然で片付ける訳にはいかない。
「夢に見たものと同じだとすれば……ここで殺されるってのか……?」
引き返すという選択もありだと思う。しかし吉田は、それを拒否。
「……大丈夫、私一人って訳じゃないし」
とにかく彼女だけにしないことを誓い、廃納骨堂の入り口へ進む。
「鉄の扉が壊れているとも言っていたよな。アレを見てみろよ」
こちらも、ズバリ的中している。ここまでくると驚きもしなくなった。
扉は横に三つ並んでいる。まずは手前から調べてみることに。
「トンネルの意味も、よく分かるぜ。中は何もないぞ」
棚や壺が転がっていると聞いたが、それもない。
ただ、所々に燃えた後のような箇所がある。火葬場としても使っていたようには思えないが、何か事故でもあったのだろうか。
「おい吉田、他には何か――吉田?」
室内を覗き込む私達が振り返ると、吉田と門包の姿が消えていた。嫌な予感が増していくのが分かる。
「吉田、門包、どこだ!?」
ヤマさんの声に応答はない。僅か数秒間の出来事、二人は必ず近くにいるはずだ。
別の場所を調べているのだろう、そう思って我々も中央の扉へ移動。
「ここは……祭壇、か?」
破壊されているものの、確かに何かを祀る場所であったことは分かる。
横には夢の話でも出ていた棚がずらりと並ぶ。ここに骨壺を保管していたのだろうか……。
「こういった物を放置したまま、管理者は何をしているんだろうな」
一般的な廃屋だと家族が夜逃げをしたり一家心中をしたりというケースが多い。だが廃納骨堂のみならず墓地全体が投げ捨てられた感じだ。一体どんな原因でこんなことになったのか、私には想像も付かない。
「とにかく今は二人が心配だ。早く見つけてやらねぇと」
私は頷き、最後の扉へと向かう。
「ここも最初の部屋と同じような造りか。二人ともいないぞ……?」
いや違う。確かに造り自体は同じだが、よく見ると奥は曲がり角となっていて、どうやら部屋が続いている様子。
「おお、よく気付いたな。よし、行ってみようぜ」
私達は部屋の奥に進む。その時――。
「あぁ――ご――ぅ――――」
呻き声に似たものが聞こえてきて戦慄する。ヤマさんにも聞こえたようで、こちらに話しかけてこようとするのを私は口元に指を当てて制す。
……この奥か。中へ入ると、夥しい程の棚が置かれていた。中には倒れて通行を妨げているものもあったが、それらを避けて更に先へ。
すると、少し開けた場所に出てきた。ここが一体何の場所かは分からないが……中央に吉田と門包の姿も見える。
「探したぞ!こんな所で何をして――」
そこで見た光景に、私達は思わず動けなくなってしまう。
「ぉお……!あ……!が……!」
呻き声は、門包から発せられるものだった。彼女は後ろから吉田に首を掴まれ、もがき苦しんでいるのである。足をバタつかせながら。
そう、つまり吉田の細腕で門包の靴底は地面から離れているのである。
信じられないが、実際に目の前で繰り広げられているのだから認めざるを得ない。ヤマさんは大声で「何やってんだお前!」と叫び吉田の腕を掴む。私は門包の身体を抱え、二人から引き離そうと試みた。
「ちょ……待て……!離れねぇぞ……!」
困惑するヤマさんを尻目に、私は吉田の表情を拝む。
――否、見てしまったと言うべきか。
普段お調子者で小動物を彷彿とさせる可愛らしい印象の吉田が、今は鬼のような形相をしているのだ。顔のあちこちに血管を浮かべ、目も焦点が定まっていない。
形容するなら――『鬼』のようだった。
私は恐怖に慄きつつ、吉田の指を剥がしにかかる。門包の白い肌に吉田の爪が食い込み、赤く変色していた。女性のなせる業ではない。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!』
突如、吉田が咆哮。納骨堂が震えたのではないかという音量に顔をしかめてしまう。
それと同時に、私の腕に着けていた数珠のブレスレットが切れて床に散らばる。これはお世話になっている住職から万が一のためにと貰った物だが、心霊スポットに赴く際には必ず持っていくようにしていた。それがまさか切れるとは。
『ガアア……アッ……!』
すると吉田の手から門包が解き放たれ、二人ともその場へ倒れ込んでしまう。
「何が……一体、何が起こったんだ……?」
ヤマさんの言葉を、そのまま返したい。
とにかく私達は二人を背負って外へ出ることにした。
「……まさか殺される夢が殺す夢になるとはな……」
そんな呟きに、私は反論する。全てが正夢になったと。
「は?それはどういう意味だよ」
私は門包を背負っているのだが、視界の端から彼女の履いている靴が見える。吉田は言っていた。殺される瞬間、赤いスニーカーが見えたと。
「た、確かに門包は赤のスニーカーで、吉田は白のスニーカーだけどさ……」
恐らく吉田自身も気にして、わざと靴を変えてきたのだろう。それに夢も現実も、首を絞められたのは後ろから。相手の顔など確認できてはいない。
「つ、つまり夢は最初から……被害者の視点だったということか?」
とにかく、吉田が目を覚ましたら話を聞いてみよう。それで真相は明らかになるはずだ。きっと……。
岡山市内の病院へ二人を連れていき、門包は翌日には退院。しかし吉田は脳波に異常な乱れがあるとかで、目を覚まさずにいた。更に腕が疲労骨折を起こしており、時折悪い夢でも見ているかのように身体を跳ね上げるのだとか。
ようやく目覚めたのは三日が過ぎてのこと。連絡を受けて病院へ向かうことにしたが、門包だけはそれを拒否した。
「仕方ないさ、一番信頼していた友人に殺されかけたとなればな」
やむを得ず私とヤマさんの二人で見舞いへ向かう。正直、私も怖かった。あの日の鬼気迫る吉田の表情が脳裏に浮かび上がって恐ろしくなる。だが、皆が彼女の元から逃げ去ってしまってはあまりに酷だ。勇気を振り絞って病室の扉を開けた。
彼女はベッドに座り、虚ろな目で窓の外を見ている。
「よう、身体の調子はどうだ?」
見舞いの果物を掲げつつ、努めて明るい声をかけるヤマさん。吉田は、ゆっくりと私達に目を向けて呟く。
「…………誰、ですか?」
吉田は過去の記憶を失っていた。自分や家族の名前以外、まるで思い出せないらしい。
ひとまずここを退院できたら、大学を中退して施設でゆっくりと治療を進めていく予定だと聞いた。
「それでも完全に記憶が戻ることは、ほぼないんだとさ……」
病院を出て、煙草を吸いながらヤマさんが話す。
「俺が、廃納骨堂の話題を持ち掛けなければ……」
いや――分からないが、これは決められた運命だったように思う。吉田が飲みの席で夢の話を始めた段階からセットされてしまっていた結末……そんなふうに思われてならない。仮にヤマさんが誘わなかったとしても、きっと吉田は誰かを誘ってあの場所へ向かったはずだ。
「トシは、これが霊の仕業だと思うか……?」
それについても分からない。ただ、あの場所が普通ではないことは分かる。
後日、住職の元へ私は向かった。数珠が壊れてしまったことを説明するために。
こちらの話を黙って聞き終えた住職は、顎を擦りながら告げる。
「祟られていたのかもしれんなぁ」
驚くことを言う。吉田はお調子者ではあったが、人から恨まれるような人間ではなかった。
「その娘じゃない。先祖の話だ」
一体、どういう意味だろうか。
「祟りや呪いにも色々ある。肝要なのは『いつ降りかかるか分からない』点にある」
まさか世代を越えて……?もしそうなら、執念深さが半端ではない。
「何にせよ、かなり強い怨念だったようだな。可哀想に」
住職は目を閉じて念仏を唱え始めた。私も同じように合掌する。
『――幼い頃から、私は二〇歳までしか生きられないって思ってた――』
どこか悲しげに語る姿が思い浮かぶ。
彼女の新しい人生が幸せであることを、切に願う。