雨夜の常連客(東京都港区) | コワイハナシ47

雨夜の常連客(東京都港区)

雨夜の常連客

一九九八年頃、当時二〇代後半だった角田徹さんは、人生の一発逆転を図って六本木のキャバクラに就職した。まずは黒服になり、ゆくゆくは店長、そしてやがては風俗業界の帝王になるのだ。そのとき、残酷にも自分を見捨てたキャバ嬢・J子は後悔の涙を流すであろう。

……と、当時は本気でそう思っていた。

少し前まで、徹さんは大卒で新卒採用された不動産販売会社に就職し、平の営業社員として普通に働いてきたのである。しかし社長が夜逃げして二ヶ月分の給料が不払いになり、さらに社長は徹さん他何名かの社員を勝手に登記上の役員にしていたため裁判所から呼び出しを喰らい、社長が残した売掛金・不払い金等を払えと命じられた。

その額なんと五〇〇〇万円。合計ではなく、徹さんに課せられた金額が、だ。

当然払えない。彼は恋人を連れて逃避行の旅に出ようと決意した。それがJ子で、東京駅で待ち合わせをしたのだが、彼女は現れず、徹さんの電話やメールを着信拒否に。

だから徹さんはJ子からプレゼントされたネクタイで首を吊って死のうとした。ネクタイはJ子の心をよく反映したペラペラの安物で、彼の体重がかかった途端プッツリと切れ、お陰で命は助かったし、息子の自殺未遂事件に驚いた父親が慌てて弁護士をつけてくれたから借金も回避できた。が、徹さんの傷心は深かったのである。

そのキャバクラは、ホテルの地下階を全面使った大型店で、新規オープンしたばかりだった。人気嬢のダンスショーが売りで、本格的な照明装置を備えたステージもあった。

黒服の仕事というのは店の女の子のマネジメントと新人面接・事務仕事・宣伝広告と多岐にわたっていて、入社後、群馬県の伊香保で研修させられた。終礼は客が帰った午前二時過ぎ。その後さらに夜食のおにぎりを食べながら、客席で反省会兼ミーティング。

そんな黒服たちが、ボーイとは別に一〇数人いた。営業時間中、彼らは無線機のインカムで店長から指示を受けていた。

「店長は、店長室のモニターで客席の状況を監視して私たちに指示を出していたのですが、いつも雨の晩になると、誰もいない端っこのボックス席に早く女の子を行かせろと私たちを叱りました。なぜか雨の夜にはその席に決して客が座らなかったのも、奇妙と言えば奇妙でした。モニターで店内をチェックしている店長にだけ、そこにいる常連客の姿が見えているようでした。やがて店長は情緒不安定になり、女の子は辞めるし店の売り上げも落ちるし。結局、私はたった一年で黒服を辞めてしまいました。その店では他にもいろいろと怖い現象が起きたのですが……聞きたいですか?」

まだいたのか!

前項に引き続き、かつて六本木のキャバクラで黒服をしていた角田徹さんの話。

「オープン直後に、厨房スタッフが配膳口から覗き込んでいる変な人を見たのを皮切りに奇怪な現象が続いて起こりました」

しかし全員が異変に気づくまでには日数を要した。なぜなら初めのうちは限られた者にしか、怪異が見えなかったからだ。

店長だけに見える雨の夜の常連客も初期から起きはじめた現象だったが、存在しない客を「なぜ放っておくのか」と叱責されなければ、他の者は知り得なかった。また、配膳口から覗く者も厨房スタッフしか目撃者がおらず、どんな姿かという説明もなかった。

だが、開店からひと月ほどで状況が変わってきた。

ある雨の日の午後六時頃、徹さんが出入口に近い店内の廊下をモップがけしていたら、紫色の和服を着こなした女性がしずしずと客席フロアの通路を歩いていくのが目に入った。

白い帯を粋な角出しに結び、艶やかな髪をふっくらと結いあげた徒な姿は、一見して玄人だ。しかしキャバクラに勤めるタイプではないし、知らない顔だ。

「すみません」と徹さんは声を掛けた。聞こえなかったのか、女性は振り向きもせずトイレに入っていってしまった。「すみません!どちらさまですか?」と、モップを放り出して追いかけ、「失礼しますよ」と彼はトイレのドアを開けた。

着物の女性は消えていた。トイレは袋小路なのに。

やがてダンスショーのリハーサル中にも、野球帽を被った七、八歳の少年のシルエットが走りまわるという事件が起きた。円いスポットライトが店内を駆け巡る演出があったのだが、その光の中に野球帽をかぶった男の子の影がはっきりと何度も映ったのだ。

このときは、ショーメンバーの女の子一〇人と徹さんを含む黒服やダンスの振付師など一五名が目撃した。時刻は午後一時。地下にある店とは言え、白昼の出来事だった。

さらに、このダンスショーの本番を録画したビデオには、一〇人しかいない女の子が一一人映っていた。店長はこのビデオを封印するとして、黒服たちに箝口令を敷いた。

そして遂には女性用のロッカールームにも野球帽の少年が出没するようになった。

この頃から店の経営が傾きだして、退職者が続出し、徹さんも黒服を辞めた。

──それから一〇年後。現在勤めている会社に就職して月日が経ち、すでに会社員が板についた徹さんは、社用で六本木に行ったついでに、あの店を訪ねてみたのだった。

「経営者が変わって違う店になってましたが……でも驚いたことに女の子がこう言うじゃありませんか!『この店、野球帽かぶった男の子の幽霊が走りまわるんですよ』って」

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