さるお方(大分県) | コワイハナシ47

さるお方(大分県)

大分県と熊本県、宮崎県に跨がる祖母山。

その祖母山の大分県側の某所で、辛島さんのお祖父さんはひとりで暮らしていた。

今から約五十年前辺り、昭和の時代だ。

お祖父さんがまだ二十歳そこそこ、両親と死に別れた頃の話である。

家は今では考えられないような粗末さで、掘っ立て小屋と称した方が相応しい。少し強い風が吹くと今にも倒れそうなほど揺れる。元より強風が起こりやすい地域故、季節によっては安心して眠れない事もあったと言う。

当時、両親の葬式代や借金で住む場所がなくなり、やっと見つけたのがこの家だ。

暮らしも楽ではなく、言いようのない不安に苛まれる毎日だった。

ある、冬の早朝だった。

連日の冷え込みと風のせいでよく眠れないままお祖父さんは起きた。

まだ日は昇っていない。殆ど真っ暗だ。

(今日もまた仕事か)

寒さと寝不足で、重い身体を奮い立たせる気力もない。

ぐったりしている最中、戸が叩かれた。

薄い木戸の向こうから声を掛けられる。

「……起きちょんかえ?」

上品な中年女性の声だった。知り合いのものではない。

「はい。置きちょんが。どなたか?」

答えながら戸を開ければ、そこにいたのは四十代ほどの女性だった。

目も鼻も口も小さめな造作だったが、整っていると言っても過言ではない。

仕立ての良さそうな薄紫のコートを身に纏っている。

ぴしっと纏められたひっつめ髪だが、頭頂部に近いところが一房白髪になっていた。

(こげん人がなして我が家へやっち来たんやろか?)

用事を訊こうと口を開き掛けたとき、遮るように女性が言葉を発した。

「これから〈さるお方〉がやっち来る」

さるお方?ということは誰か偉い人だろうか。しかしこんな荒ら屋にどうして来なくてはいけないのか。一瞬のうちに様々な思考が湧き起こる。

女性は更に続けた。

「やけん、今日は一日、家ぢ待っちょっごっ」

一日、家で待て。女性の口調は命令そのものだった。

「俺も働かな食えん。やけん、一日でも仕事は休めん」

女性は首を振った。いいから、家で〈さるお方〉を待てと命じ、コートの内側から紙幣を取り出し、お祖父さんに握らせた。

「今日は一日、家ぢ、待っちょっごっ。ひとときも家から出らんごつ」

女性は念を押し、街の方へ歩いて行く。

その背中を見送りながら、ふと気がついた。

すでに太陽は昇り、辺りは明るくなっていることに。

(……まだ暗かったに、なんで、あんしン姿がはっきり見えたんか?)

思わず手の中にあった紙幣を確かめた。

そこには、自分が半月ほど働いて得るだけの金額があった。

もう一度、女性の方へ視線を戻したが、すでにその姿は何処にもなかった。

金を貰ってしまったからと、約束通り自宅で〈さるお方〉を待つことにした。

仕事先へ連絡は出来ない。当時は電話もなかったし、職場へ直接連絡に行くには時間が掛かる。それに、あの女性は「ひとときも家から出らんごつ」と言っていた。

仕事は無断欠勤になるが、腹を括る。

(俺が来ないとなれば、誰か呼びに来るやろう。そんとき、言い訳すればよか)

しかし、誰ひとり姿を見せなかった。仕事関係の人間も、〈さるお方〉も。

結局、朝の女性以外、誰も姿を見せなかった。

翌日、雇い主の所へ行くとけんもほろろだ。そして「馘」と告げられた。

仕事がなくなると収入がなくなる。必死に縋り付くが答えは変わらない。

「昨日、お前ん家に使いをやったが、何処にもおらんかったって聞いたぞ?どこぢ遊んじょったか?」

家に居た。一歩も外には出ていないと正直に答えたが、信じて貰えない。

聞く耳を持って貰えないまま、職を失った。

残ったのは、昨日女性から貰った紙幣だけだった。

仕方なくお祖父さんは家を引き払い、大分市の方へ出た。

元手として、女性から貰った紙幣の一部を使わせて貰ったのだ。

時は高度経済成長期。特に大分市は著しい発展を始める最中であった。

たまたま就職した先の会社で頭角を現したお祖父さんは、見る間に出世していった。現場叩き上げとは言え、上からの評価が高かったお陰である。

所帯も持ち、子供も数名もうけ、幸せな人生を歩むことになったお祖父さんは、こんな言葉を家族によく漏らした。

「最悪な出来事じゃち思っていても、後にそれが幸福を運ぶこともある」

お祖父さんは晩年、辛島さんたち孫の一部に紙幣を譲ってくれた。

とても古いもので、見たことがないデザインのものだった。

「こりゃ、あん日貰うたお金ちゃ。大事にとっちょって欲しい」

いつ、あの女性が〈あるお方〉を連れてくるか分からないから、そのときにお礼を言って返して欲しい。そして自分が残した財産から幾ばくかの礼金も包んで欲しいと頼まれた。

それから半年経たないうちに、お祖父さんは穏やかな表情で亡くなった。

辛島さんは、今も女性と〈さるお方〉を待っている。

お祖父さんの言っていることを信じ切っているわけではない。そもそも、当時四十代の女性が生きているかどうかすら怪しいのだから。

しかし、約束は約束なのだ。例の紙幣は大切にとってある。

ただ――ある年の一月三日、お祖父さんのお墓を親族一同で参ったときだ。

駐車場に高級車が止まっており、後部座席に上品な婦人が座っていた。

服は分からなかったが、ひっつめ髪で、頭頂部近くに一房の白髪が見える。

あっと思ったときには遅く、車は走り去ってしまった。

まさか、と考えながらお祖父さんのお墓の前に行くと、沢山の花と線香、焼酎がお供えしてあった。

そこではっと気がついた。

(あの車のナンバーは?)

そこから身元が判明するかも知れない。

しかし、誰もが〈横浜ナンバー〉だったことだけしか覚えておらず、肝心の数字をひとりとして思い出せなかった。

平成三十一年。平成最後のお正月のことであった。

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