御札の家(岡山県倉敷市) | コワイハナシ47

御札の家(岡山県倉敷市)

蛇の道は蛇、ということで以前よりお世話になっている住職にお話を伺った。

聞くべき内容は「過去にヤバイと感じた心霊スポットを教えてほしい」である。

彼は顎を擦りながら少し考え、ある場所を教えてくれた。

「育霊神社を知っているか?」

初めて聞く名前だったので、訊ねてみる。

「丑の刻参りが今でも行われているということで有名な場所さ」

丑の刻参りと言うと……憎い相手を藁人形に見立てて釘を打ち込むという古典的な呪術のはず。

「そうだ。午前一時から午前三時にかけて御神木に藁人形を穿つのだが、これにも色々と決まりごとがある。白衣に扮し、連夜七日間続けなければならない。一度でも人に見られたら効力は消え、更に呪いが成就すれば自身にも不幸が跳ね返る」

過去には呪いの最中に発見され、その人物を殺害したという話もあるらしい。

不思議なのは、本人にも呪いが返ってくると分かっていてなぜ丑の刻参りを敢行するのか、ということだ。

「真に打算なし。知らぬが仏だ」

傍に置かれた茶をすすった後、話は続く。

「かつて神社周辺には城があったようでな。敵に攻め込まれ落城する際に、姫が飼い猫とともに山の祠へ避難した。猫は賢く、姫のために里から食べ物を運んでいたらしい。そんなある日、猫は敵兵に気付かれ斬り殺されてしまう。姫はそれを知り嘆き苦しみ、最後には自害を選んだ。父である城主は姫と猫の祠を建てた後、残った力で丑の刻参りを行い……結果、敵兵は変死を遂げたという」

確か丑の刻参りの発祥は京都の貴船神社だと聞いたことがある。件の育霊神社は、その派生形だろうか。

「元は古墳時代まで遡るぞ。八世紀頃と思われる遺跡から胸に鉄釘が打ち込まれた木製人形も出土している。日本書紀や平家物語にも、丑の刻参りに関わる一文が残されている」

それだけメジャーな呪術にも拘わらず、限定的に貴船神社や育霊神社が名指しされる理由は何なのだろう。

「キーポイントは〈誰にも見られてはならない〉ってところだろうな。育霊神社は山頂の、しかも非常に分かりにくい場所へひっそりと建っている。呪術を行うにはうってつけだろう。貴船神社に至っては〈初丑祈祷〉というものがあり、祀られている貴船大明神の降臨が丑の年・丑の月・丑の日・丑の刻だったことが、起因していると思われるが」

そこで一体、どんな体験をしたというのか。

「一時期テレビで育霊神社が取り上げられ、存在が知れ渡ったようだ。そこから呪術を行おうとする輩が後を絶たなくなったらしい。何とも罰当たりなことだが。私も直接この目で現状を把握しておきたいと思い、若い頃に足を運んだことがある。オカルト好きの友人を運転手にして、な――」

岡山県新見市と場所は分かっているものの、現在のようにナビが主流ではなかったから何度も迷い、社務所へ着いた頃には図らずとも深夜になっていた。その足で奥の院がある山頂へ向かう運びとなったのだが……。

「育霊神社の白鳥居をくぐった瞬間に、何やらこう……心臓を冷たい手で握られたような感覚が走った」

友人は何も感じなかったようで「早く行くぞ」と急かしてくる。山を登っている最中も「深夜なのに鳥がうるせえな」と文句ばかり言っていたという。

「標高のある山ではないのに山道の傾斜がきつくてな。息が切れ、額にじわりと汗をかく程だった。参拝者への配慮や整備は行われておらず、懐中電灯で周囲を警戒しないと滑落する危険性すらあった。後から知ったことだが、日没後の参拝は禁じられていたらしい」

中腹まで到着するとバス停のような休憩場があったが、壁もベンチもボロボロになっていた。

「あれは浄め堂として、天上と現世を分ける結界の役割を担っていたはず。それが修繕もせず放置したままなど、管理している者の神経を疑ったよ」

思い出したら腹が立ったのか、彼は怒りを露わにする。

その後も進んでいくと、育霊神社と書かれた石塔を発見。同時に背後から「うおっ!?」という友人の悲鳴が上がった。

「悪い、石段につまずいた――って、おい。あれ」

明かりを照らす先に、目的地である奥の院を発見。ようやくか、と多少の達成感を抱きつつ近付いていく。

「さっきの休憩所に比べたら幾分かマシだが……ここもボロボロだな」

言う通りだと感じた。せっかくの歴史ある御堂もこのような扱いではと悲しい気持ちになる。

更に守り神らしき石像が鎮座されていた。通常ならば犬や狐、蛇などを模していることが多いが、伝承元となる姫の飼い猫がモチーフとされている様子。けれどその顔は目が剥き出しで鼻もなく、まるで――焼けた人面のようだ。

奥の院周辺には他にも、猫の地蔵や猫の置物があちこちに置かれている。だがどれもとって付けたようなものや、近くの商店に売ってあるようなものばかり。

「おい、こっち見ろよ。鉄鎚があるぞ」

友人が手にしたのは年季の入ったハンマー。丑の刻参りに訪れた者は、これを使って呪術を行ったのだろうか。

「とりあえず周辺の樹を探ってみようぜ。藁人形が見つかるかもしんねぇ」

二手に分かれて調べていく。そんなにすぐ見つかるはずもない――そう思いつつ、ひび割れた樹に光を照らす。しわがれた人肌のようだなと感じつつ触れてみる。すると何か硬い物に当たった。

「……ちょっと待て、これは……」

それは錆びた五寸釘。しかも並んで縦に三本突き刺されていた。藁人形は恐らく、発見した神社関係者が取り除いたのだろう。けれど分かる。場所的にこれは……頭、心臓、腹だ。

もしやと思い、他の樹も調べる。

……あった。釘の刺さった樹が、あちこちに。

噂が本当だったことに恐怖を感じていると、突然「バキバキッ!」と何かが折れる音が聞こえた。そう遠くない距離、何があったのかと駆け寄る。

そこには何もなかった。そう――『あるはずのもの』さえも。

友人の姿である。

まさかと思い、山の斜面に光を当てた。先程できたと思われる土の削れた跡と、友人の物であろう靴が片方だけ発見された。

全身が総毛立つのを感じる。

深夜だということも忘れて大声で友人の名を叫んだ。何度も、何度も。当時は携帯電話など持っておらず、下山しなければ救助を呼ぶこともできない。

どうすべきか悩んでいると、足元から「――おーい」という声が聞こえた。友人の声に間違いない。大丈夫なのか訊ねると「――足が」と言う。

とにかく友人の元へ向かおうと、慎重に樹々を掴みながら斜面を滑っていく。枯葉とぬかるみが相まって踵に力を込めなければどこまでも転がっていきそうな気がした。

「ここだ……痛ェ……マジで最悪……」

僅かに動く暗闇に光を当てると、眩しそうな友人の顔が見えて安堵する。大樹に寄りかかり、靴を履いてない足を地面に伸ばしていた。よくみると滑落の際に枝で切れたのだろう、額からも出血している。

「捻っちまったみたいで……自分で立つのが辛い。手を貸してくれ」

相手の腕を肩へ回して起こそうとしながら、何が起こったのか訊ねてみた。

「分かんねぇ。樹を調べていたら突然後ろから衝撃が……」

当然この場には我々しかいない。突風でも吹いたのだろうか。

「クソッ、そこら辺に財布も落としたみてぇだ……ってか、うるせぇな……」

さっきから気になっていたが、何に苛々としているのか。

「鳥だよ、鳥。恐らくキツツキだ……カンカンカンカンうるさくて仕方ねぇ」

うるさい?いや何も聞こえやしない。だがそれを友人に伝えると「嘘だろ?ずっと鳴っていたぞ。ほら、今だって」と言う。

……嫌な予感がする。もしかしてその音は、キツツキなどではなく……。

突如、ガサガサッという音が聞こえてきた。そして、何かが近付いてくる気配――。

どこからだと懐中電灯で周囲を照らす。そこでようやく二人は気付いた。

辺り一面の樹に、夥しい数の藁人形が突き刺さっていることに。

「うっ、うわぁぁあああああああああっっ」

友人の悲鳴を皮切りに、二人とも弾かれたように山を下る。痛みより恐怖が勝ったのだろう、足を怪我している友人も全速力で走っている。

「おっ、おいっ!う、ううう後ろっ!追ってきてるぞ!ああああああ!」

友人の言葉に一切耳を傾けず、ただがむしゃらに進み続けた。何度も樹に身体をぶつけながら、それでも何とか出発地点の白鳥居まで到着。

流石に限界がやってきて、その場に崩れ込む。息を切らせながら「大丈夫か」と訊ねると友人は何がとは言わないが「……消えた」とだけ答える。

彼もようやく気付く。登山中ずっと続いていた不気味な感じが気配ごと消えていることに。

「あの場所には二度と立ち寄りたくない」

再び茶をすすりながら、彼は溜息交じりに語る。

「そもそも丑の刻参りというのは相手に呪いをかけるものではなく、思いつめた気持ちを外へ放つというカウンセリング療法だ。しかし想いも強くなれば念と化す。書いて字の如く『心を今に落とす』までにな。我々の常識では考えられない出来事が起きたとしても、何ら不思議ではないだろうよ」

……つまり、それが心霊スポットということだろうか。

話を聞き終え、ふと不思議になったことを訊ねた。彼の友人が見た『何か』……足の怪我があったとはいえ、暗闇の山道を全力滑走している男達の速度に一般女性が追い付けると思えない。とすれば、やはり――。

「……分からん。それを聞く『手立て』もない」

その後、山に落としたとされる友人の靴や身分証が入った財布は今も発見されていない。

貝尾・坂元両集落(津山市)

その夜、突然アパートの呼び鈴が鳴らされた。訪問者を確認するとヤマさんで、手には大きな袋をぶら提げていた。

「パチンコで勝ったからさ、色々買ってきた」

惣菜やお菓子、飲み物を次々と部屋に並べていく。夕飯を食べ終えた後だったが、せっかくなので御相伴に与ることに。

その後、膨れた腹に幸福感で満たされていると「これ観ようぜ」と何かを取り出す。

駅の近くにあるビデオレンタル屋のケースに入ったVHSテープ、タイトルには『八つ墓村』と書かれている。

「観たことあるか?」と訊ねられたので私はないと答えた。

もはや知らない人こそ少ないと思うが、八つ墓村とは横溝正史の代表的長編推理小説『金田一耕助シリーズ』の一つである。映画のキャッチコピーに使用された「祟りじゃ~っ!」は流行語にもなったらしい。

そんな過去の名作を鑑賞。およそ二時間の上映を終えた後、感想を聞かれる。素直に面白いと感じた。残酷な描写は多々ありつつも、複雑に絡み合った過去と現在が一つに繋がる内容は流石の一言。

「これってさ、実在した事件が元になっているんだぜ」

私が「ほぉ」と感嘆の声を漏らしていると、ヤマさんは食い気味に「興味ある?あるよな?」と詰め寄ってきた。嫌な予感がする。

「日本史上最悪とも呼び声高い……それが『津山事件』さ」

一九三八年五月二一日、岡山県の貝尾集落にて三〇人にも上る村民が殺された。

殺人鬼の名前は『都井睦雄(とい むつお)』。父母を肺結核で亡くすが遺産があり、姉と祖母三人で比較的裕福な暮らしを送っていたらしい。

都井は小学校卒業直後に肋膜炎を患い、医師から農作業を禁止され、無為な日々を過ごす。病状は快方に向かい復学したが、姉が結婚した頃からじきに引きこもるようになっていく。

一九三七年、彼は結核を患い徴兵検査で不合格となる。集落は夜這いの風習があり、都井も複数の村娘と関係を持っていたが、病気が発覚してからは感染を恐れられ、次第に無視や陰口を叩かれるようになった。そんな心ない風評に、都井は復讐心を募らせていく。

同年、彼は狩猟免許を取得。自宅や土地を担保に借金をして、散弾銃や武器を大量購入、山で射撃練習に励むようになり、村民は不気味がった。

一時は警察の家宅捜査により凶器の類を全て失うが、知人や刀剣愛好家を伝手に執念で再び買い揃える。

駐在所の巡査が出征で欠員中ということも計算に入れ、都井は五月二〇日一七時頃に電柱に登り送電線を切断。田舎故に復旧は翌日以降となった。

五月二一日深夜一時四〇分頃。都井は詰襟の学生服に軍用ゲートルと地下足袋、頭のはちまきに懐中電灯を両側一本ずつ結わえつけ、首にはナショナルランプ、腰には日本刀と匕首を二振り、手には改造猟銃という武装した鬼のような姿で行動を開始。

最初に殺害されたのは自宅で就寝中の祖母だった。彼は後に残る不憫さを感じ、持っていた斧で祖母の首を刎ね即死させた。この考え方はサイコパス診断にも用いられている。

その後は隣A宅へ侵入し妻と子供三人を殺害。

更にB宅へ侵入して妻と娘二人を殺害。

三軒目のC宅では猟銃を使い、家の主人と妻、その親戚一人を射殺。その際、殺害された主人の母親が命乞いをしたが都井は「お前んトコには元々怨みを持っとらんじゃったが、嫁をもろうたから殺さにゃいけんようになった」と言い放ち発砲。母親は奇跡的に一命を取り留め、希少な証言者の一人となる。

四軒目はD宅。主人と長男とその妻、五女と六女を射殺するが四女に逃げられてしまう。

四女はそのまま隣のE宅へ助けを求めに向かった。E宅の主人は自分の娘とD宅四女を匿ったが射殺される。娘達は生き残ることができた。

更にF宅にて主人と母親を射殺、そのままG宅へ進み妻と二人の娘を射殺。気が触れてしまい猟銃を突き付けられても茫然としているG宅の主人に、都井は「お前はわしの悪口を言わんじゃったから堪えてやるけんの」と言われ見逃されたらしい。

H宅では主人の妹と母親を射殺。異変に気付いた主人は都井とかち合う前に隣町へ向かっており生還。駐在所に事件の一報を知らせた。

そしてI宅へ侵入し主人の両親と妻子供を射殺。J宅では雨戸を開けて外の様子を覗く妻を射殺し、そのままK宅へ進み主人と妻を射殺。

以上の犯行は一時間半に及んだという。

村での復讐劇を終えた都井は血に塗れた姿で隣町へ移動。以前より親交のあった者の家へ侵入し、そこの娘から鉛筆と紙を譲り受ける。去り際に都井は子供に向かい「うんと勉強して偉くなれよ」と声をかけた。

その後三・五キロ離れた荒坂峠山頂にて遺書を作成し自殺。猟銃にて自身の胸を打ち抜いており即死だったと思われる。

話を聞き終え、私は何とも言い難い感情に囚われた。身勝手きわまりない犯行動機には率直な怒りを覚えつつ、時折垣間見える複雑な感情の葛藤には一抹の哀れみを感じてしまう。

「そんな都井睦雄の足跡を明日、辿ってみようじゃないかって話さ」

長い前振りではあったが、つまりそういうことらしい。

「何でも倉見にある彼の生家は、今も残されているようだぞ」

日本犯罪史上最も残酷とまで言われていながら?どうしてだろうか。

「取り壊そうとすると、不幸な目に遭うとか」

もはや事故物件。話を聞いただけでは行きたいと思わなかっただろうが、映画を観た後となれば気持ちも変わる。私は「奢られたし、仕方ないな」と言いながら、若干の興味を抱いていた。

岡山の県北、美作加茂(みまさかかも)駅から平井病院沿いの道を進んだ先が貝尾集落である。田舎の美しい景観といえば聞こえが良いが、実際は限界集落化を何とか維持している状態らしい。

車の窓から『貝尾』と書かれた標識が見えた。年季の入った家が並び、中には放置され緑に覆われたもの、破壊されたままの廃墟まである。

外灯らしきものはなく、夜になれば周囲は闇に包まれるはず。集落全体が得体の知れない不気味な雰囲気を纏って感じられるのは、事件を知っているせいだろうか。

「当時の津山事件関係者は、ここに誰も残っていないらしいぞ」

その心中は察せられる。誰しも辛い過去を引きずりたくはない。

「この辺りで車を駐めて、散策してみよう」

ヤマさんの提案通り、私達は歩いて回ることに。しばらく進むと、あるものを発見した。

「これは、墓……だな。おい、ちょっと見てみろ」

墓石側面には亡くなった方の命日が掘られていた。昭和一三年五月二一日……。

「事件の被害者に間違いない。隣の墓も、その隣も同じ日だ」

疑っていた訳ではないが、はっきり証拠を目にして震えが走る。

「次は都井の住んでいた辺りに行ってみよう」

再び車に乗り込み、私達は先へ向かう。

何度も地図を確認しながら進んでいき、ヤマさんはある場所でブレーキを踏む。片側は畑、反対は転々と家が並んでいるだけの特筆すべき点が何もない場所だった。

「……この辺りのはずだが、家はもうないのか」

車を降りて付近を見渡すが、そこは更地になっていて特別なものはない。

「ダメ元で近所で話を聞いてみるか?」

躊躇する私を尻目にヤマさんは一番近い家の玄関扉を叩く。だが反応は返ってこなかった。

「留守なのか、既に人が住んでいないのか……残念だな」

私はどこかから見られている不気味な感じがして「早くここから離れよう」と急かす。ヤマさんも渋々車へと戻った。

「次は都井睦雄が自殺した場所へ向かうぞ」

荒坂峠へ向かう道は狭く、車で進むのは難しいと判断した私達は登山を決行。傾斜が五度はある山道をひたすら上り続けた。額に汗を浮かべ、息を切らしながら進むと集落が一望できる絶景ポイントへ辿り着く。

絵葉書にでも使えそうな景色を眺めていると、ヤマさんが「あったぞぉ」と死にそうな声で話しかけてきた。

振り返り指差す先を見ると、そこには小さな地蔵の姿。のっぺらぼうで、お世辞にも凝った造りとは言えないが何でも二百年以上前から設置されているのだとか。

「都井睦雄は……大量殺人を行った後、この地蔵へお参りしたらしい。そして横の山道を上り遺書をしたため自殺した」

貝尾集落を一望できるこの場所を最後に選んだのは偶然か、それとも。結核を患った男が凶器を背負い、この急こう配を上ってきたというのだから信じられない。

「遺書の内容も公開されている」

ヤマさんは事前に用意してきた紙を私に渡す。

『愈愈死するに当たり一筆書置申します、決行するにはしたが、うつべきをうたずうたいでもよいものをうった、時のはずみで、ああ祖母にはすみませぬ、まことにすまぬ、二歳のときからの育ての祖母、祖母は殺してはいけないのだけれど、後に残る不びんを考えてついああしたことを行った、楽に死ねる様と思ったらあまりみじめなことをした、まことにすみません、涙、涙、ただすまぬ涙がでるばかり、姉さんにもすまぬ、はなはだすみません、ゆるしてください、つまらぬ弟でした、この様なことをしたから決してはかをして下されなくてもよろしい、野にくされれば本望である、病気四年間の社会の冷胆、圧迫にはまことに泣いた、親族が少く愛と言うものの僕の身にとって少いにも泣いた、社会もすこしみよりのないもの結核患者に同情すべきだ、実際弱いのにはこりた、今度は強い強い人に生まれてこよう、実際僕も不幸な人生だった、今度は幸福に生まれてこよう。

思う様にはゆかなかった、今日決行を思いついたのは、僕と以前関係があった寺元ゆり子が貝尾に来たから、又西山良子も来たからである、しかし寺元ゆり子は逃がした、又寺元倉一と言う奴、実際あれを生かしたのは情けない、ああ言うものは此の世からほうむるべきだ、あいつは金があるからと言って未亡人でたつものばかりねらって貝尾でも彼とかんけいせぬと言うものはほとんどいない、岸本順一もえい密猟ばかり、土地でも人気が悪い、彼等の如きも此の世からほうむるべきだ』(※原文引用)

都井睦雄は集落の女性と肉体関係を結んでいなかったという話もある。つまり彼の妄想であり妄言である、と。

小説家を目指していたと聞くので『自分の中の世界』を作り上げる才能は確かにあったのかもしれない。死を前に、おかしくなった可能性もある。だが真相を知る術はない。

私は今一度景色を眺めながら、遺書最後の一文を心に呟く。

『もはや夜明けも近付いた、死にましょう』

戦中に生まれ、病を患ったことで徴兵に落ち、誹謗中傷を受けることとなった都井睦雄。彼が行ったことは到底許されることではない。だが時代に翻弄された被害者の一人とも言える。

悲しい思いを抱きながら私達は最後に貝尾から一〇キロ先、鳥取県との県境に位置する加茂町倉見にある都井の墓へ向かった。

都井家の墓から離れた場所にぽつんと置かれた小さな石。ここに都井睦雄が埋められているらしい。

話によると睦雄の姉は「せめて立派な石塔を作ってやりたい」と願った。けれど姉の夫は「石塔など、もってのほか。睦雄の墓だということは他人に知られてはならない」と言い、倉見川から拾った川石を石塔代わりにして睦雄の遺体を埋めた上に置いたのだとか。

死んだ後も、このような扱いを受けている。私達が墓へ赴いた時、草は伸び荒れ放題となっていた。これも彼が犯した罪に対する罰とでも言うのだろうか。

私は墓の前で合掌し、願った。もしも彼が生まれ変われたら……平和な世界で、健康に一生を過ごせるように。

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