棺桶で生まれた和尚さん(東京都世田谷区) | コワイハナシ47

棺桶で生まれた和尚さん(東京都世田谷区)

私の愛読書『耳嚢』に「棺中出産の子の事」という話が載っている。

──江戸時代、享保年間の中頃に、星野又四郎という下級役人の妻が懐胎し、今しも出産するというときに亡くなった。又四郎は仕方なく、妻の亡骸を納棺して菩提寺から僧侶を呼び、火葬にしてもらおうとした。

すると、そこに居合わせた兄が又四郎と僧侶に待ったをかけて曰く、「こういうときは火葬しない方がいいと聞いたことがある。兄弟で菩提寺に行って相談しよう」。

そして菩提寺に行くと住職に、「火葬のことが気がかりです。可哀そうだからそのまま葬ってください」と直談判した。

住職は「母子が共に亡くなっても、分娩はするだろう」と言って、下級役人の家に来た。そして棺の前で座禅を組んで瞑想すると、「今夜零時より前にこれは解決します」と宣言し、やがて夜の八時過ぎ頃に棺に向かって一喝した。

途端に、棺の中から赤ん坊の産声があがった。棺を開いてみると、男の子が生まれていた。住職は「この子が六歳まで生きていたら、必ず私の弟子にするように」と下級役人に命じた。

男の子は無事に育ち、六つになると住職の寺に預けられて出家した。この寺は牛込原町の清久寺という曹洞宗の寺院で、件の住職の号は大枝、男児は大方と名づけられた。

大方は、後に武州瀬田ヶ谷勝光院の住職に就き、七三歳で隠居するまで勤めた。

又四郎は後妻を迎えてまた男子を生し、又四郎の名と職を継がせた──。

ちなみに武州瀬田ヶ谷勝光院とは、現在の東京都世田谷区桜にある同名の名刹で、吉良氏の菩提寺。牛込原町の清久寺は、国会図書館が所蔵する江戸幕府の『寺社書上』などに文政の頃までの記録が残されているが、今はもう存在しない。

二月下旬、世田谷の勝光院を訪れてみた。

あの『耳嚢』に書かれた人が住職になったお寺が実際にあるとは信じがたい。でも、ここで間違いないのだ。

鬱蒼とした竹林に深く抱かれた端正な境内で、世田谷区指定文化財になっている梵鐘の由来を読んだり、吉良氏歴代の墓を眺めたりした。

今回は見つけられなかったけれど、棺桶から生まれた三百年前の和尚さんのお墓も境内のどこかにあるはず……。

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