鹿児島県内には〈十五夜綱引き〉という祭りがある。
隼人族の月信仰と関係があると言われている。
ツナネリ(綱を綯う)ことから始め、夜はそれを使った綱引き、続いて縄で土俵を造り、相撲を取り合うのだ。
河童伝承が残る薩摩川内市では、〈十五夜綱引き〉を基調とした「川内大綱引き」という行事も市を挙げて行われている。
ある人は、十歳になるまでこの〈十五夜綱引き〉の相撲で勝ったことがなかった。
彼は背だけが高く、痩せていた。
自分より小さな相手に投げ飛ばされるのが悔しくて仕方がない。
父親と相撲の稽古をしたが、効果は薄い。
体重を増やそうとして大食いもしたがお腹を壊す。
打つ手がなくなったとき、父親が教えてくれた。
「河童さんは相撲が強いっち聞くが。一度頼んでみるといいかも知れん」
しかしどうやって頼めば良いのか分からない。
父親が調べたところ、「河童さんは水神様だから、水神様に頼むといい」と言い出した。
水神様を求めて、父親と川沿いを歩く。
漸く〈水神様〉の石碑を見つけ、そこで祈った。
水神様、河童さん、僕が相撲で勝てますように力を貸して下さい、と。
祈りが通じたのか、綱引きのときから力が漲っていた。
相撲が始まる。
相手は自分より大きな子だ。
がっぷり四つの状態から必死に力を込めると、相手が勢いよくもんどり打って倒れた。
初めての勝利だった。
取り組みの後、相手の子が首を傾げている。
「お前とやっちょっときよ、なんか知らんけれど、急にふわっと身体が浮いたようになって、気がついたら倒れちょった。自分でもよく分からん負け方やったが」
何かずるをした、していないと言い争いになり、せっかくの勝ちに水を差された気分になった。
後日、父親と水神様へお礼へ行った。
相撲で勝って貰った鉛筆の箱を一度お供えして、手を合わせる。
そして最後、箱の中から鉛筆を一本取りだし、そのまま置いて帰った。
翌日その水神様の前を通ると、鉛筆は姿を消していた。
◆
鹿児島県某所に川沿いの家がある。
元々は、とある会社経営者が避暑のために建てたコンクリート製の別宅であった。
三階建ての豪華なもので、かなり凝った造りだ。
が、途中から経営者の親族が住み始めたという。
三十代の両親と、小学生の男子二人の家族構成だった。
ところが住み始めてから少しして、子供の兄の方が三階の吹き抜けから落下し、死亡。
葬儀を出した後、間もなくして父親も出先で急死してしまった。
残った二人の家族は別の場所へ居を移して、この家は空き家となった。
持ち主である経営者がこの家を手放したのか、売り家の看板が掲げられた。
次に入ったのは個人経営の会社事務所であった。
川に向かって大きな窓が切ってあるのだが、そこが応接室になったのは、外から見てすぐ分かる。
ところが二ヶ月もしないうちに、応接室の窓が内側から塞がれた。
カーテンやブラインドではなく、段ボールだったので完全な目隠し状態だ。
せっかくのロケーションなのに勿体ないなと噂しあっていると、この事務所も短期間で移転してしまった。
次に入ったのも会社関連だったが、半年もせぬ内に出て行ってしまう。
誰かが漏らした。
「川沿いに家を建てると、人が死ぬからよくない」と。
川沿いに建てられた家は、住んだ人が死ぬ家になると言う。
理由は、川面から上がってくる湿気で健康を損なうこと。
また、場所によってはカワンカミ(川の神)の障りがあるから、らしい。
この川沿いの家に入った事務所に勤めていたある人が言う。
〈残業していると、おかしな気配がする〉
〈三階の吹き抜けの真下で、何か大きな落下音が聞こえるが、何もない〉
〈川沿いの窓から何かが覗いていることがあった。小さな黒い頭に目だけが見える〉
〈会社にいる人間が次から次に病気に罹った〉
数々の出来事に、社員は恐れを成した。
社長に相談し、何度かお祓いをして貰ったが効き目がない。
物件に何かがあるのだと全員の意見が一致したとき、社長がある決断を下した。
〈事務所の移転をしよう。世の中には目に見えない何かがあるのだ〉
社員数が少ないとは言え、ここへ移るには各種費用が掛かっている。
それすら無駄にしても良いのだという判断だった。当然会社そのものへのダメージは計り知れない。それでも、という英断であった。
が、こういう集団の中にはあまり気にしない者も居る。
その人物が冗談めかして、こんなことを話した。
〈川沿いだから、きっと河童の祟りじゃないの?まあ、そんなのないけど。だいたいさぁ、そんなので引っ越すなんてアホらしいやん?〉
そう言っても、いろいろなことが起こっている。
中には彼の態度を諫める者も出てきて、よく口論になった。
それでも彼は何度も〈河童のせい〉だと吹聴した。
準備が整い、事務所移転当日となった。
その日、この〈河童のせい〉と口にしていた社員が、三階からの階段を転げ落ち、大怪我を負った。
見ていた人が言うには「物理法則を無視したような落ち方」だったと言う。
彼は会社へ復帰しようとしたが後遺症もあり、結局自主退社してしまった。
この川沿いの家は、物見遊山で侵入者が増え、近隣に迷惑が掛かるようになった。
問題の元を絶つために取り壊され、今はただの川沿いの空き地である。