石碑(京都府) | コワイハナシ47

石碑(京都府)

お寺の住職を長い間つとめてきたという九十歳の老僧から聞いた話。

京都市の南の郊外に競馬場がある。昭和四十八年頃、その周辺を整備するために大がかりな工事が行われた。

ある夜、現場の飯場で寝ていた従業員が幽霊を見たと大騒ぎになった。

ひとりの汚れた姿の侍で、手には〝誠〟と染め抜いた薄く朱色がかった紫色の旗を持っていた。

その姿から新撰組の隊士のように思えた。

驚いて見ていると、「元に戻せ、元に戻せ」と言いはじめた。

それを何度も繰り返したという。

報告を聞いた現場監督は「そんなバカなことがあるか。よし、俺が飯場につめて正体を確かめてやる」と、その夜泊りこんだ。

しかしほどなくして、「出たあ!」と悲鳴をあげて現場監督も飯場を飛び出した。やはり元へ戻せと言われたのだという。

監督みずから「これはえらいことになった、このまま工事を続けると事故になるかもしれない」と頭をかかえた。

それにしても、何を元に戻せというのだろう?現場の誰もが首をひねった。

いずれにしても、このままでは工期内に作業を終えることができない。

文献をあたってみると、この一帯は幕末に旧幕府軍が薩さつ長ちよう軍と激突した戊ぼ辰しん戦争との関わりがある場所だとわかった。

それならばと捜してみると、新撰組にゆかりのものらしい小さな石碑のようなものが出てきた。どうやらそれと知らずにブルドーザーで掘り起こしてしまったらしい。

当時、新撰組は賊軍と言われていた。なのでその石碑も、まるで目立たせず隠すかのように小さく作られていたのだろう。さらに草むらの中にあったので、工事の時に気がつかなかったのだ。

その石碑には〝埋骨鎮列〟という文字の下にこの老僧がいた寺の名があった。

そこで工事関係者が相談に訪れたのだという。

寺ではその石碑を毎年二月四日に塔婆を立てて供養していた。それで寺の名が刻みこまれていたのだ。その後、工事関係者だけでなく競馬場の関係者や馬主、調教師の方に至るまで大勢で相談に訪れた。寺で改めて供養を行ったところ、二度と幽霊は出なくなったという。

今もダービーの前日になると、競馬場関係者の方々と慰霊祭をしているのだという。

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