マニアの改心 八幡平首塚(群馬県) | コワイハナシ47

マニアの改心 八幡平首塚(群馬県)

世の中には、色々な趣味の人間がいる。第三者から見れば「何でそんなものを」と思うようなものに執着し、蒐集し、収蔵する、〝マニア〟は決して少なくない。

そして、Kさんもそんな〝マニア〟の一人だった。

「まあ、僕の場合は同好の士があまり居ないのが悩みの種ですよ。決して悪い趣味じゃないと思うんだけどなあ……首塚」

そう、彼は「首塚マニア」なのである。

もともとは史跡めぐりが趣味であったのだという。その後(何がきっかけであったのかは本人もよく憶えていないらしいのだが)気づいた時には、斬首された頭部が弔われている「首塚」を追い求め、週末毎に全国を旅するようになっていたのだそうだ。

「普通の史跡って、たいてい単なる石があるだけじゃないですか。でも、首塚はその下に歴史的な人物が必ず眠っているんですよ。頭だけ。そこが興奮するんでしょうね」

口角泡を飛ばして首塚の素晴らしさを語る彼へ、私は「そんなところばかり行ったら、妙な目に遭いませんか」と訊たずねる。予想に反し、彼は笑って否定した。

「別に掘り返してるわけじゃないですから、バチは当たりませんよ。申し訳ないですが怖い体験もほとんど……あ、でも」

一回だけ奇妙な事がありましたよ。

九年ほど前の出来事だという。

ある週末、彼は群馬県のA市を訪れた。目的はもちろん「首塚」である。

「八幡平首塚という、物凄い数の首が葬られている場所を見つけたんですよ。これはもう行くしかないと思って、無理やり日帰りで予定をねじこみました」

駅前でタクシーを拾うと、あらかじめ調べておいた近隣の住所を告げる。過去に「首塚まで」と言ったところ、脅えた運転手に断られた経験を踏まえての知恵だったという。

車は、五分ほどで田畑の広がる目的地に着いた。

運転手に二十分ほどで戻ると告げてから、バッグを座席に残して表へ出る。歩きだして間もなく、緩やかな勾こう配ばいの続く先に小さな屋根が見えた。

「首塚を供養しているお堂でした」

軽く手を合わせてから、周辺の塚や供養塔を次々に撮影する。電車の時刻を考慮すると、時間はあまり残されていなかった。

「考察は帰ってからでもできるので、まず資料と思いまして」

石碑の並ぶ敷地へ足を踏み入れてシャッターを切り、格子戸の隙間から腕を伸ばして、お堂の内部へストロボを焚たく。一見すると罰あたりに思える撮影会は、十五分あまり続いた。

まずまずの成果かな。

満足して、タクシーの待つ道へと戻った。

「ところがね」

「これからご旅行ですか」

再び駅へと走りだして間もなく、運転手がKさんに声をかけてきた。

意味が解らなかった。

今の状況を「旅行ですか」と問われたならともかく、「これから」とは、いったいどういう事か。

「いや……何故ですか」

おずおず問い返すと、運転手は正面を向いたまま「だって、お連れさんと待ち合わせだったんでしょ。合流して、これから駅に向かうんでしょ」と笑う。

「あの、すいません。お連れさんって、誰ですか」

彼の言葉に、運転手が「いや、ご一緒に乗って」と振り向くや急ブレーキを踏んだ。

「えっ、あれっ。だって今、あなたと長い髪の男性がふたり、バックミラーに……」

運転手は目を大きく見開いたまま、酸欠の金魚よろしく口をぱくぱく開閉している。

「……お客さん、今どちらに行ってこられたんですか」

顔面を蒼白にして訊ねられたが、曖昧な返事でその場は誤摩化したという。

「まあ、運転手さんも〝目の錯覚かな、アタシ疲れてんのかな〟なんて言うもんだから、つい〝そうだよな〟なんてホッとしちゃって……余計な事を聞いちゃったんですよね」

駅に着いて料金を渡しながら、Kさんは気まぐれに訊ねたのだという。

「そういえば運転手さん、さっき僕と一緒に乗ってきた人って、どんな格好でした」

現代風の衣装を答えるだろうと踏んでいた。そうであれば、仮に妙なモノを見たのだとしても、首塚とは無関係だろうと予想していたのだ。

運転手はお釣りを勘定しつつ首をひねっていたが、やがて、ぽつりと呟つぶやいた。

「おかしいなあ。首から下がね……どうにも記憶にないんですよ」

「それからは、現地へ行ってもあまり無茶をしないようになりました。やっぱり、故人が祀られている場所ですから、おごそかにしないとね」

マニアにも、やっぱりルールは必要ですよ。ええ。

自身の発言に何度も頷きながら、Kさんは得意げに胸を張った。

【群馬の達磨】

群馬県の名産として有名なのは張り子の達磨だが、この由来もなかなか怪談めいている。

その昔、碓氷川が氾濫した際、夜中に何やら怪しく光るものがあり、翌朝確かめてみるとそれは古木であった。古木は少林山の観音堂に納められたが、のちに一了居士が夢のお告げに従い、古木から達磨像を彫りあげた。時同じくして碓氷川に再び古木が流れ着いたが、そのウロは達磨像がちょうど収まる大きさであった。話を聞いた人々がこぞって参詣したため、少林山はとうとう達磨寺という寺を開いた。やがて門前で張り子の達磨が売られるようになり、現在に至るというわけである。

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