縁側の湯呑 (鹿児島県) | コワイハナシ47

縁側の湯呑 (鹿児島県)

昭和二〇年代の話。

高松奈保子さんは、一歳から五歳まで鹿児島県の父方の祖父の屋敷に預けられていた。

奈保子さんの祖父は、連れ合いを早くに喪って男やもめの生活が長かったせいか、当時の男性としては珍しいほど家事全般が得意で、子煩悩な性質でもあった。通いの女中を雇っていたが、彼がほとんど独りで幼い奈保子さんの世話をした。

奈保子さんは、当然、祖父に非常によく懐いた。母は産後、腎臓の持病が悪化して、床上げできぬまま亡くなった。失意の父は都会に出稼ぎに行き、祖父だけが頼りだったのだ。

しかし、五歳と半年で、祖父も急病であっけなく世を去った。

奈保子さんは、独りぼっちで祖父の屋敷に残された。日中は女中さんが来てくれるが、夜になると帰ってしまう。心細くてならず、しばらくの間は毎晩泣いて、泣きつかれると眠り、朝起きるとまた泣けてきて、食べ物も喉を通らなかった。

やがて涙も枯れ果てて、無感動な人形のような心地になると、女中さんが運んでくるご飯を食べられるようになった。寂しさに慣れて、生きることを選んだのである。

そんなある晩、奈保子さんは、尿意に目を覚まされた。御便所は母屋の外にあった。縁側をまたいで、真っ暗な庭を横切り、五右衛門風呂の裏へ回らないと辿りつけない。

独りで行くのは厭だった。暗闇が恐ろしい。でも漏らしたら女中さんに嫌われる。もうご飯をもらえなくなるかもしれない。

仕方なく起きて、屋敷の中をとぼとぼ歩いて縁側まで行くと、月明りの下、板敷きに座布団を敷いて祖父がお茶を飲んでいた。

「あっ、じいちゃん!」

「どげんした?オシッコか?ここで見ちょってあぐっで、済ましてきやんせ」

と優しく促されて、奈保子さんは、「はーい」と返事をした。急いで御便所で用を足して縁側に駆け戻ると、祖父が笑顔で「えれぞ。そしたや、はよ寝やんせ」と言った。

奈保子さんは、すっかり落ち着いた気分で布団に入った。それまで何もおかしいと思わなかったが、目を閉じた途端、はたと気づいた。

──あれ?じいちゃん、死んじゃったんだよね?

そこですぐさま再び飛び起きて縁側を見にいったが、祖父の姿はなく、ただ座布団のそばに生前愛用していた湯呑がポツンと置かれていて、触れてみたらまだ温かった。

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