戦艦大和の亡霊(広島県呉市) | コワイハナシ47

戦艦大和の亡霊(広島県呉市)

戦艦大和をご存知だろうか?

戦時中、世界最強と言われた日本の戦艦で全長263メートル、幅38・9メートル、ビルにすれば約15階にもなる高さを誇った。

昭和20年4月、アメリカ軍の総攻撃を受けて沈没。引き揚げもできず鹿児島の海に今も眠る、幻の名鑑。

現在も世界が認める戦艦の1位にこの「戦艦大和」がある。

それほどに、世界中の人々の称賛を浴びて乗り出した船だったのだ。

呉の港はその当時、東洋一の軍港で、この戦艦が建造された港。

海軍工廠といわれる旧海軍の造船所で作られていた。

ところがこの巨大な戦艦は進水式までただの一度も、建造されているのを見られたことがなかった。地元の人は誰一人知らなかったのだ。

呉は港の反対側は丘のような山になっている。今も「歴史の見える丘」には港を見下ろせるような立地があり、人々は港を見下ろすような場所に住んでいた。なのになぜ? これは当時からの語り草となっていた。

「戦艦大和は別の港から持ってきたんじゃ」

「同盟国で作らせたのを、呉に持ってきたんじゃないか」

真相を言うと、戦艦大和は確実に呉の港のドックで造られた。

実はこの戦艦大和の建造は、最大の国家機密として粛々と進められた。工事に関わる人間は皆、身分証や身元など徹底して調べられた。ドックは板塀や屋根、網などで目隠しされ、絶対に外からはわからないようにしてあった。

それほど、大和は当時の最新鋭の技術と武器を備えていたのだった。

そして、呉に住む人の大多数が海軍工廠で働いていたにもかかわらず、たった一人もこの造船を漏らす人物はいなかったのだ。

何千人もの関係者がいて、関係者には家族もいたのに誰もこの事実を漏らさなかった。それだけでも実にミステリーである。

昭和15年8月、大和は建造ドック内から船で引き出される形でその姿を見せた。しかしそれも極秘であり、突然式典が始まったという。

その海軍工廠に勤めていた矢田善國さん(仮名)はまだ20代で、その姿を厳粛に見つめ、関係者や家族は港まで旗を振りに行った。大和は、それはもうとんでもない艦で、その先の日本の勝利をこの大和が握っていると思ったという。

どの関係者も、海軍兵、将校、誰もが大和に絶大な自信を持っていた。

「不沈戦艦」人々はそう呼んだ。

沈まないバランスを持てるよう、魚雷攻撃で浸水した場合、反対側にも同量の水が入るようできていたのもある。

善國さんの弟、輝夫さんはまだ17歳だったが、母親の定さんに別れを告げ、意気揚々と乗り込んでいった。海兵団に所属していたためだ。当時は15歳でも乗組員になっていた者もいた。嫌々ではなく、海軍に入るんだ! 大和に乗るんだ! という意気揚々とした輝夫さんを、家族は笑顔で送り出した。

定さんは末っ子の輝夫さんを溺愛しており、一人涙を流していた。

「大和は沈まんけ、大丈夫じゃ」

善國さんはそう言って、輝夫さんの肩を抱き、別れた。

「わかっとります。お国のために勝ってきます」

不沈の神話を乗せた一つの山のような戦艦に、希望の旗を振る呉港の人々。

海軍式の敬礼をした輝夫さんのピンク色の頬は輝いていた。それが輝夫さんの最期の姿だった。

本当は、戦艦大和の出撃は「海上特攻」だった。戦線の沖縄に向かい海から特攻を仕掛ける戦艦。大和の砲台の破壊力は、戦艦一隻を沈められる威力があったからだ。沖縄の浅瀬に乗り上げても、空と海からの襲撃にあっても、無謀にも突っ込んで行くという運命にあった。戻れる作戦ではなかったという。

昭和20年4月7日。アメリカの魚雷10本と空からのグラマン機の巧みな攻撃にやられ、遂に大和が沈む。

3000人以上の乗組員の9割が、海で亡くなった。

大和と運命を共に沈んでしまった者、海に投げ出された者。

「輝夫は、どげんなったじゃろか」

「大和から助かった人もおる、いうとった」

しかし願いむなしく、輝夫さんの戦死通知がきて、家族は肩を落とし悲しんだ。

定さんはもう、がっくりとして寝込むようになってしまった。

戦争が終わり、何年か経ったあと、寝たきりになっていた定さんはやせこけ、立ち上がることもできなくなっていた。輝夫さんの位牌を抱いては涙ばかり流している。善國さんは結婚もせず、定さんの面倒を見ていた。

夜中、突然汽笛が鳴った。港の船は着いておらず、漁船が繋いである程度。汽笛を鳴らすような船はいない。もしや、あの汽笛は……?

突然、壁にかけていた輝夫の遺影が傾いた。

「て、輝夫が、帰ってきとる! 大和が港に戻ってきとる!」

ほとんど動く事ができなかった定さんがすっくと立ち上がり、以前のように元気に歩き出した。玄関先に走っていく。

慌てて善國さんが後を追う。

「母さん! 母さん、もう輝夫はおらん。死んどる」

「いや、今、下の港に来とる。大和に乗って戻ってきとる」

家は丘の中腹にあり、坂道になっている。港は真正面にあり、行き来する船は眼下に見える。善國さんは定さんを追って、玄関から外に出た。

その時、高らかなラッパが鳴り響いた。海軍のラッパだ。

もう一度、大きく汽笛が鳴った。

「善國! ほら、港みてごらん。大和が戻ってきとるじゃろ!」

善國さんは目をこすった。

本当にあの大和が港に入って来る。彼が造ったあの大和。忘れるわけがない。霧のような白いもやがかかっているが、確かに大和だ。

「本当じゃ……大和じゃ……」

「港まで、輝夫を迎えに行こう、なあ、行こう!」

あの定さんが小走りに坂道を降りていく。善國さんも大和に向かって走る。

港のそばまでいくと、巨大な船から海軍服を来た兵士が降りて来る。セーラー服に帝国海軍の文字が入った帽子。詰襟服、白い煙筒服、様々な人が笑顔で桟橋に降り立っていた。

「輝夫! 矢田輝夫はおりませんか?」

「矢田輝夫! 母さんと兄さんが迎えにきたぞ! どこじゃ!」

善國さんと定さんは声を張り上げて言った。

ぞろぞろと出てくる海兵たちは、二人を見ようともせず通り過ぎていく。

「ちょっと、すみません、矢田輝夫を知りませんか? 二等兵です」

善國さんはいてもたってもおられず、一人のセーラー服の兵士の肩を掴んだ。

ところが、掴めなかった。空気しかなかった。

海兵の一人がぶつかりそうになった。肩が当たると思った時、その海兵は善國さんの体を通り抜けて、去って行った。

「これは、生身の連中じゃない……」

思えば、これだけの船が入港し、汽笛やラッパが鳴る中、町の人間がだれも起きてこない。

もしや幽霊船じゃないか? 善國さんが思った瞬間だった。

「輝夫! ああよかった輝夫! 戻ってきた!」

定さんが悲鳴を上げて、輝夫さんの元に駆け寄っていった。

「母さん、いかん、これは幽霊じゃ、幻じゃ!」

しかしなぜか、善國さんの声が出ない。

10メートルくらい先に輝夫さんが立っていた。

桟橋から降り立ち、あの日と同じようにピンク色の頬を輝かせ、セーラー服に帽子を被り、笑顔の輝夫さんが大きく左右に手を振っていた。

善國さんはその姿に、ただただ涙が溢れ、体が固まってしまった。

輝夫さんの後ろに明るい白い光が煌々と輝いていた。

「輝夫! こっちに早く!」

定さんが手を伸ばした瞬間、

「母さん、兄さん、ただいま」

声は聞こえないが、輝夫の口の動きでそれが見えた。

定さんが手を掴もうとする。しかし輝夫がその場で「来るな」というゼスチャーをして首を横に振った。よく見たら、輝夫の腰から下は透けていた。

「輝夫……」

海に落ちそうになった定さんをようやく掴まえ、善國さんは後ろに倒れた。

よく見ると桟橋も少しずつ消えかかっている。それも幻だったのだ。

気が付くともう輝夫の姿はなかった。

「ボーボーボー」

再度汽笛が鳴り、大和は霧に囲まれたまま港を出て行った。そしてその姿は数秒もすると、視界からかき消えてしまった。

「母さん?」

定さんは気を失っていた。おぶって、また家に戻った。海は何事もなかったように静かだった。霧だけが深まっていた。

翌朝、仏壇を見ると輝夫の遺品の帽子が濡れていた。定さんは以前より元気になり、歩けるようになった。

「輝夫がちゃんと別れを言いにきたんじゃろ」

「やっと戻ってこれたのう、輝夫」

定さんと善國さんは位牌と帽子を交互に抱き、涙した。

近所では戦死した乗組員が枕元に立ったとか噂が立った。もしかすると、あの時の大和は亡くなった乗組員を港に送ってきてくれたのかもしれない。

しかし時折、大和の汽笛が鳴るとも言われる。大和自身がこの母なる港に戻ってきているのだろう。人々に愛され過ぎた大和のふるさとは、今も呉だからだ。

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