人面と頭の石が写り込んだ記念写真(広島市 原爆ドーム) | コワイハナシ47

人面と頭の石が写り込んだ記念写真(広島市 原爆ドーム)

熊本からの修学旅行は、中学生は広島と決まっていた。

中学のクラスの同級生の路子は少し変わり者だった。でも今思えば、ただ霊感が強い少女だったのかもしれない。

ホテルでは8人部屋。小さなテレビがあり、消灯をすぎても路子はテレビを消さずにいた。さすがに注意すると、画面を見て号泣していた。

「どうしたと?」

「何でもなか、こういうこと、たまにあるとよ」

その画面はNHKの「戦争特集」のようなものだったと思う。子供を亡くしたお母さんの話だった。随分渋いテレビを見てるなと思うだけで、中学生の私は何も考えず眠った。

少し眠ると、私の右手を握るような感覚があった。私は確か壁側で、右側には誰も寝ていなかったが……と思うと、私の顔の上の空気をぎゅーっと締めていくような感じがあった。暗闇の中、見えない細いトンネルにひきこまれていくような感覚。遠くで鐘の音が聞こえはじめた。

うっ。このままだとヤバイ! と思ってついに目を覚ました。寝返りをうって壁を見たが、何もなかった。

何となく怖くなって、壁を背に、皆の方を見て寝なおした。

路子の目が開いたままこっちを見ていた。

ぎょっとした。

だがいびきをかいていた。目を開けて寝る習慣があったようだ。

平和記念公園、原爆資料館、そして原爆ドームを見学した。

平和に慣れた私達には、胸に迫るものがいくつもあって、この修学旅行の意味を考えている時だった。

「ここで写真を撮ろう!」

路子がドームを越えて橋を渡ったところでそう言った。ドームは川沿いにあるため、綺麗に撮るには少し離れたほうが確かによかったが、自由行動はしにくかった。取りあえず私と路子と二人でドームを背に写真を撮ってもらった。

路子は満足げにしていた。

その後、特に何も起きなかった。

母が修学旅行の写真を現像してきてくれ、あのドームの前で撮った写真を路子の分も焼き増しして学校に持って行った。

渡すと、写真を見るなり

「キャー!」

写真を投げ捨てた路子。

「どうしたと? 何するとね?」

「川に、川に……」

「川に何か写っとるとね」

「川の石が全部、人の頭と顔じゃないね!」

「顔?」

言い放った言葉に驚いて、もう一度写真を見た。河原の石も写っていたが、人面に見えなくはないが、ただの偶然にしか見えない。

しかし一人の霊感が少しある子が言った。

「この写真、オーブが写っとる。しかも赤いやつ……捨てた方がよかよ」

確かに赤い帯のようなものが路子の左側に写っていた。

「貸して! 私が破る!」

路子はビリビリっと写真を破ってしまった。

「ああ怖かった。変な写真持ってこんでよ」

その時の目を見開いた路子の顔が、まるで狐にでも憑かれたように吊り上がって見えた。

「ここまでせんでもいいとに……」

「あんたがわざとこんな写真持ってきて怖がらせたとでしょ!」

何だか私はせっかく焼き増ししてくれた母のことを想うとやるせなかった。

路子はそんなことは気にもせず、ドームの前の河原の石は人の顔や骨だったと大げさにしゃべってまわっていた。私は路子がすごく嫌いになっていた。それから卒業まで口を聞くことはなかった。

高校が別々になり、路子は看護学校に進んだ。しかし何か狂気めいたところは変わらず、学校を休みがちになっていたという。

成人式で中学時代の友人と再会した。

誰かが路子の話をしていた。

「……で死んだって」

思わず振り向いて話をもう一度聞いた。

「路子、何? どうなったと?」

「うん。18の時、脊椎のがんで死んだって。あの子中学でも腰にコルセット巻いとったでしょ。あれ、本当はがんだったらしか」

しばらく口が聞けなかった。でも、何となく路子は長生きしない気がしていた。

多分、あの修学旅行のホテルの部屋に、あの原爆で離ればなれになった母親の子供が来ていたんだと思う。

路子に救いを求めたが、ソリが合わなかったんだろう。

あのビリビリに破けた写真、誰が捨てたんだったっけ。

霊のオーブが見えると言っていた子がやってきた。彼女は同い年なのに、50歳くらいの肌になっていた。難病にかかったらしい。

もしかしたら、もしかしたら……私は何も考えずにその場を去った。

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