鳳蘭のおばちゃん(沖縄県) | コワイハナシ47

鳳蘭のおばちゃん(沖縄県)

知り合いで、経理の仕事をしている当時五十歳くらいの女性がいた。彼女は皆から蘭ちゃんと呼ばれ、慕われていた。身長百五十センチくらい、小太りで、三人の娘を出産し、いつも笑顔だったが、幼い頃に脳性まひにかかったせいで、左半身にチック症状のようなものを抱えながら生きていた。だが人と違った点は、そのようなことではなかった。彼女には時折、いろんな種類の神様が降りてきたのだ。

ある時はイエス・キリストの磔刑を間近で観たというサムエルという人物が降りてきたかと思うと、権現なる神様が降りてきたり、あるいは聖徳太子だったりしたのだが、もっとも頻繁に降りてくる神様は「鳳蘭」という名前の女性だった。

鳳蘭さんといえば、その昔宝塚のトップスターであった女優さんであるが、蘭さん曰く「あの鳳蘭はニセモノで、私が正真正銘の鳳蘭なるぞ」ということになるらしかった。

まあ、それが真実だったかどうかは、ともかくとして。

果たして、彼女が冗談でそのようなことを言っていたのか、あるいは周囲のものをかどわかすために、周到に設定を考えて、自らその役を演じていたのか、定かではない。あるいは本当に分裂症のような精神疾患だったのか、それさえもわからない。彼女によると鳳蘭という名前の女性は女神様で、富士山のそばの一軒家に住んでいるらしい。一度訪ねてみたいと本気で思っていたのだが、それも果たせぬ夢となってしまった。

彼女に会ったのはもう十年以上前だ。カメラマンをしていたせいで、印刷関係で働いていた蘭ちゃんと偶然知り合ったのである。彼女は私が京都出身だと知ると、矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。その多くはどこそこの神社にはどんな神様が祀られているのかといったものから、生八つ橋のおいしい食べ方についてなど、多岐に渡っていた。だがそのうちに、明らかに表情に変化が現われるというか、いきなり怪しい目つきになって、天井の蛍光灯を睨む瞬間を目撃することがあった。これがいわゆる「降りた」状態であった。

仕事中に彼女が「ターリ(降りた)」した状態になっても、会社の社長さん以下、別に気にしていない様子だった。彼女は社長さんの妹さんだったので、そこにいる社員一同、感知しない事にしていたようだった。だが私は今でも幾つかの不思議な瞬間のことを覚えている。

蘭ちゃんの言うことは、時として軽くあしらえないほど、ピタリと当たったのだ。

ある時、蘭ちゃんと知り合い数人で、マックでコーヒーを飲みながら談笑しているときだった。いきなり、神谷くんという知り合いの携帯が鳴った。その瞬間、蘭ちゃんの瞳の色が確実に変化して、彼女はこう告げたのだ。

「おばさんか誰かがなくなったけど、これは寿命だったのよ」

果たして神谷くんが出てみると、コザのおばさんが亡くなったという電話だった。

あるいはこんなこともあった。

大城君という、蘭ちゃんと一緒の職場で働いている男性が、子どもの運動会の父兄の玉入れ競争に参加して、くるぶしを骨折してしまった。翌朝、会社に休みますという電話を入れると、社長が「知ってるよ。足を怪我して休むって、うちの蘭が言ってたから予想はしてた」と言われた。

この蘭ちゃんと初めて会ったとき、「鳳蘭です」と自己紹介されたので、私は相手が冗談を言っていると思い、「あ、すいません。鳳ゲンです。お世話になります」と言ってしまった。鳳ゲンとはウルトラマンレオの主人公の名前だ。鳳というと、ゲンと啓助しか思いつかなかったのである。それから蘭ちゃんは私の事を「ゲンちゃん」と呼ぶようになった。

そんなこんなで、鳳蘭ちゃんは私の中で「不思議なおばさん」もしくは「神ダーリした人」という分類になった。

それから何年か経ったある日。さきほどの大城君から電話があり、鳳蘭ちゃんが亡くなったという知らせを受けた。最後に逢ったのは一年ほど前だった。スーパーで買い物をしていると、向こうのほうのレジに並んでいる鳳蘭ちゃんを見かけ、手を振ったら向こうも手を振ってくれた。その笑顔は元気そうで、陽気だった。

鳳蘭ちゃんは健康診断の結果、脳に血栓があるのではないかということで検査入院になったのだが、入院中に体調を崩し、一週間後に帰らぬ人となった。私もお葬式に出席し、ご家族の方々と一緒に焼き場までお手伝いさせてもらった。

お葬式も滞りなく終了してから一ヶ月ぐらいあとに、鳳蘭ちゃんの妹さんとお話しする機会があり、そこでこんな奇妙な話を伺った。

蘭ちゃんの脳に血栓があるようなので、入院することになった初日、彼女は一晩中ずっと「オリビア」という名前をうなされたように口にしていた。

「姉さん、オリビアって誰ね。歌手のオリビア・ニュートン・ジョンね?」妹さんが、あくる朝聞いてみた。

「違うさー。オリビアって友達だよ。ほら、南風原にいたさ、遠縁の、シズコ姉さんの妹さー」

「それって朝子さんのこと?」

「そうそう、オリビアさー」

「オリビアじゃないさ。姉さん、あの人は朝子さんだよ」

「オリビアがよ」蘭ちゃんは妹さんの話を無視して喋りだした。「私の大事にしている帽子を欲しいっていうわけさ。蘭ちゃんももうすぐこっち側へくるみたいだし、あの帽子、私にくれんかねーって言うわけさ。だから、あんたがそんなに欲しいんなら、どうぞ持っていってちょうだいねーって、言ったよ」

そういって鳳蘭ちゃんは、昨日病院に来る際に被ってきた帽子が置いてある病室のキャビネットを指差した。それは麦藁帽子を数段婦人用に格好よくした呈の、赤いリボンがアクセントでつけられている、可愛らしい帽子だった。

「でも姉さん、朝子さんは、昨年亡くなっていますよ」

「知っているさ。だから夢に出てきたんだよ。あんた、そんなこともわからんかねー」

ああ、姉さんは生前からボケていたけど、本格的に、そして医学的にもボケてしまったんだねーと、妹さんは思ったそうだ。そして二日目から、鳳蘭ちゃんの体調は見る見る悪くなっていった。しまいにはうまく喋ることもできなくなり、家族全員が呼ばれて、このままでは長くはありませんと医者から告げられた。

ちょうど入院してから五日目の昼のこと。妹さんが横の簡易ベッドで寝ていると、いきなり蘭ちゃんが「さようなら、オリビア。また会おうね」と言っているのが聞こえた。容態を確認したが、すやすやと吐息を立てて眠っているようだったので、そのまま安心して自身も眠りについた。

次の日の早朝、看護婦さんがいきなり部屋に入ってきて目が覚めた。「ショウコさん、ショウコさん! 大丈夫ですか!」看護婦が鳳蘭ちゃんの本名を大声で連呼していた。そのうち担当医も飛んできた。

鳳蘭ちゃんは、その日の朝、微笑むような笑顔で息を引き取ったという。

ふと、妹さんがキャビネットを見ると、あの帽子がそこになかった。昨夜はあったはずなのに、どこをどう探しても、とうとう帽子は出てこなかった。お葬式の間も、実家で荷物を整理している間も、いつも妹さんの心にあったのは、あの麦藁帽子のことだった。病院の荷物を整理していても、親戚に聞いても、誰も心当たりがなかった。あの帽子は忽然と病室から消えてしまった。

オリビアが持っていったのね、と妹さんは誰にも言わなかったが、そんな風に思っていたという。

鳳蘭ちゃんの四十九日も終わり、妹さんは近所のファミリーレストランで社長であるお兄さんと一息ついて食事をしていた。お兄さんが部下に種類を渡すというので、十分ほど席を離れていった。妹さんはうつらうつらしながら、しばらくすると眠ってしまったらしい。

と、いきなり今まで兄が座っていた席に、一人の体格のいい女性が現われて、勝手に座り込んだ。

「あの、その席は…」といいかけた途端、それが蘭ちゃんの言っていたオリビアこと、死んだ朝子さんであることがわかった。頭にはくだんの麦藁帽を被っていた。

「あのさ、あんたのお姉さんに言ってちょうだい。私の名前はオリビアじゃないって」朝子さんはかなり困っている様子でそう嘆願した。「あんたの姉さんがオリビア、オリビアっていうからさ、わたし困っているわけよ。それにさ、わたしこんな帽子、欲しいなんて言ったこと、一度もないんだけど。あんたの姉さんに言っても、受け取ってくれないわけさ」

「朝子姉さん、そんなこと私に言われても」妹さんはタジタジになってしまった。

「だからね、あんたにこれ、返すからさ、取りに来て頂戴」

「どこにです?」

「フッチャーよ。フッチャーに返すからさ、あんた、フッチャーまで取りに来てちょうだい」

「ええ、どこですって?」

「フッチャーよ。フッチャー、フッチャー」

そういいながら朝子さんは席を立ち、凄いスピードでファミレスから出て行った。

夢かうつつか、ぼんやりしていると、いきなり肩を揺すぶられ、そこにはニコニコした顔のお兄さんがいた。

「どうした?」とお兄さんが言った。

「フッチャー」と妹さんは言った。お兄さんは、わからないという風にかぶりを振った。

次の日曜日、フッチャーという言葉が気になった妹さんは、高校生の息子さんにお願いして、インターネットでフッチャーという言葉を検索してもらった、するとすぐにフッチャーの意味が分かった。南城市の佐敷手登根にある史跡の名前だった。その昔、尚巴志しょうはし王の弟である手登根大比屋(てぃでぃくんうふひゃ)が、手登根集落の後方にあるアカバンターという山の上から投げて、かなり離れたその場所に見事突き刺さったという伝説がある場所だった。どうせ行っても何もないだろうとは思いながら、妹さんは息子を連れて、南城市まで車を走らせた。

南城市に行くと、フッチャー石というものは確かに存在しており、何もないサトウキビ畑の中に、ひっそりと佇んでいた。高さ約二メートルほどの、長細い岩である。その横に大きな木が一本生えていて、その根元に、くだんの鳳蘭ちゃんの帽子がまるで場違いのように、ぽつねんと置かれてあった。

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