猫嫌い(佐賀県) | コワイハナシ47

猫嫌い(佐賀県)

佐々木君の父親という人は、大の猫嫌いであった。

はるか遠くであっても、野良猫らしき影を見かければ数日はその道を避け、鳴き声を聞いた途端に顔の色をなくして狼狽する。テレビに仔猫でも映ろうものなら、家族の抗議も聞かず即座にチャンネルを変えてしまう……その徹底ぶりは息子の彼から見ても、やや極端にすぎるほどであったという。

成人を迎えてしばらく経ったころ、父親と晩酌を酌み交わしていた彼は、ふと「どうしてそこまで猫が嫌いなのか」を訊ねてみた。

以下はその際に告白された、父親──道晴さんが少年時代の出来事である。

道晴少年は小学校の時分、佐賀市に暮らしていた。身体が弱く、あまり外で遊べなかった彼にとって、数すくない楽しみのひとつが《映画観賞》であったのだという。

「ゲームもなく、テレビも珍しかった当時は、映画が娯楽の王道だったんだそうです。父によれば、そのころ佐賀市には十館ほどの映画館があったとか」

そんな映画館のひとつを親戚が経営していたおかげで、道晴少年は半ば《顔パス》で映画を楽しむことができたのだそうだ。

「裕次郎から西部劇まで、そのころ上映された名作はすべて観たと豪語していましたね」

ある夏の日だった。

「今日はなにが観れるかな」と、いつものように映画館へ向かっていた道晴少年は、入口の大看板を目にするなり、絶句してしまう。

ざんばら髪の女が唇から血を滴らせながら、こちらを怨うらめしそうに睨んでいる。その脇に『怪談佐賀屋敷』なる文字が、おどろおどろしい書体で書かれていた。

そのころは、お盆の時期にあわせて怪談映画を上映するのが一般的であったのだという。四谷怪談や牡丹灯籠など人気作は幾つかあったが、なかでも《化け猫映画》と称される、佐賀の鍋島藩で起こった怪猫騒動をあつかった作品は、とりわけ好評を博していた。

「特に、佐賀では客入りが良かったようです。現在でいうところの《ご当地ムービー》的な感覚だったのかもしれませんね」

しかし、いかに地元が舞台であったとしても、否、地元が舞台だからこそ彼は躊躇った。これまでにも怪談映画の類は何度か観賞していたが、いずれも両親を同伴してのことである。独りぼっちでスクリーンいっぱいに展開する怪異と向き合うのは、あまりにハードルが高かったようだ。

今日は、止めようかな。

こっそり引きかえそうとしたその直後、不運にも、道晴少年は受付に座っている馴染みの女性(当時は表に切符の販売所があったのだという)と目が合ってしまった。

「お、いらっしゃい。今日のは、怖かよぉ」

女性が微笑みながら、ゆっくりと手招きをする。退却できる雰囲気ではなかった。ここで帰っては、彼女から親戚を介し、両親にも自分の臆病さが伝わりかねない。

意を決し、彼は館内へと足を進めた。

「その映画がよほど怖かった所為で猫嫌いになったのかと思ったんですが……違うんだそうです。そもそも、父はその映画の内容を、ほとんど知らないんですって」

上映がはじまるなり道晴少年は、ぎゅっと目を瞑り両手を耳に押しあてて、映画が終わるそのときを、ひたすら待ったのである。ゆえに映画の中身をまるで憶えていないのだそうだ。

「そこまで怖いなら観なきゃ良いだろうと思うんですが、そこは意地だったんでしょう」

その日の夕暮れ。味わったことのない疲労感に包まれながら、彼は帰路を急いでいた。

ときおり薄目を開けて覗き見たスクリーンへ大写しになっていた、青白い女の表情が頭から離れない。塞いだ耳の隙間から侵入してくる絶叫を思いだすたび、動悸が速くなった。

早く帰ろう。

小走りで横町を抜け、古い家々が並ぶ裏路地へ入る。

足が止まった。

一匹の汚れた猫が、路のまんなかにちょこんと座っている。

ごわごわとした体毛の間に見える生傷が、年季の入った野良猫であることを告げていた。

猫は道晴少年を見てもまるで動じる気配などなく、じっとこちらを見つめている。すべてを見透かしたようなまなざしが、獣のものとは思えなかった。

野良犬に比べれば怖くはないが、いま観てきた映画が映画だけに、なんとも気味が悪い。だが、迂回すれば帰宅はすっかりと遅くなってしまう。

目の前にいるのは、単なるよぼよぼの猫だ。あの映画とは、なんの関係もないんだ。

自分に強く言い聞かせ、深呼吸をしてから彼は再び歩きはじめた。

横を通りすぎる段になっても、野良猫はあいかわらず微動だにせず、首だけをめぐらせて道晴少年を観察している。不遜な態度への苛立ちと、無事に通過できる安心感をないまぜに、彼は猫を挑発したのだという。

「化け猫、ちっとも怖くなかったばい。笑ってしもうたわ」

得意げに吐き捨てて、間もなくだった。

あははははははははははははは。

背後から弾はじけるような笑い声が聞こえ、道晴少年は咄嗟に振りむいた。

猫が嗤っていた。

目を吊つりあげ、唇をひん曲げて、人間そっくりの声をあげていた。

どこをどうやって帰ったのかは、まるで記憶にない。泣きながら帰宅した息子を、両親はたいそう驚きながら迎え入れたそうである。

「……で、それ以来父は、猫が大の苦手なんだそうです。〝アイツらは人の考えとることを、まるっと見抜いとるからな。油断したら、また嗤われる〟と、忌々しげに呟つぶやいていましたよ」

余談である。

二年前に父の葬儀をおこなった際、佐々木君は檀那寺の境内にちょこんと座った、一匹の老猫を目撃している。

体毛のけばだった、やけに落ち着いた態度の猫であったという。

驚く彼の前で老猫はひと声、なあん、と鳴いてから軽く頭を下げ、どこへともなく去っていった。のちに住職へ訊ねてみたが、「このへんで、そんな猫なんて見かけませんがねえ」と、首を傾げるばかりであったそうだ。

【化け猫映画】

怪談映画のジャンルのひとつ。その多くは佐賀県鍋島藩の化け猫騒動を題材にしており、一九一二年『鍋島の猫』にはじまり一九七五年『怪猫トルコ風呂』にいたるまで、戦前戦後合わせて六十本以上の映画が作られている。

とりわけ、一九五三年に公開された『怪談佐賀屋敷』は、戦後下火になりかけていた化け猫映画を再び流行させるヒット作となった。猫に取り憑つかれる「お豊」を演じた入江たか子は、この後も『怪猫有馬御殿』『怪猫岡崎騒動』などに出演し、「化け猫女優」と呼ばれた。

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