二枚の役札(群馬県) | コワイハナシ47

二枚の役札(群馬県)

「家族仲が良いというのも、時と場合によっては考えものですよ」

そんな言葉とともに浅間さんが紹介してくれた、自身の体験談である。

十数年前の正月、浅間さん一家は大広間に集まっていた。とはいってもおせち料理を食べていたわけでも、テレビで駅伝を見ていたわけでもない。

かるた、である。

「我が家では一月一日にかるた大会をおこなうんですよ。毎年恒例、全員参加の行事なんです。まあ……かるたと言っても、ちょっと変わったヤツなんですけどね」

彼の家でおこなわれていたのは《上毛かるた》。名物から歴史まで、群馬県のいろいろな事柄を題材にしたかるたで、浅間さんいわく「県内で知らぬ者はいない」のだそうだ。

「町内でのかるた大会から一般人参加の県競技大会まで、無数の大会があるんです。なので、自宅での練習は欠かせないわけです」

ゆえに、浅間さんの家でも正月の上毛かるた大会が恒例となっていたわけである。

一家でもっとも腕が立つのは祖父だった。上毛かるたには、高得点となる《役札》が何枚か存在する。祖父は、それらを巧みに集めてしまうのだという。

「取る札数はそれほど多くないんですが、最後はかならず祖父じいちゃんが優勝していました。〝役札の位置だけを憶おぼえておく〟のがコツだそうで。誰も勝てませんでしたね」

しかしその年、大広間に祖父の姿はなかった。

前年の七月、夏風邪をこじらせて肺炎にかかり、亡くなっていたからだ。

喪に服しているため、正月らしい行事は御法度だった。おせちのない食卓、初詣に行かない朝。当然ながらかるた大会も開催が見送られるだろう──浅間さんはそう踏んでいたのだという。

そんな予想を裏切ったのは、父だった。

「やろうよ。一年に一度の楽しみだったんだから、中止じゃ祖父さんも寂しがるよ」

そのひと声で家族はすぐさま、大広間に集合した。いま思えば、父もしんみりとした正月に辟易していたのではないか、と浅間さんはいう。

しかし、大会がいつものように盛りあがることはなかった。

「冷静に考えれば当たり前ですよね、強豪がひとり欠席しているんですから」

淡々と唱えられる読み札、黙々と取られていく絵札。お手つきにも歓声はあがらず、ただただ時間だけが過ぎていった。

「……なんだか、今年は張り合いがないな」

父が漏らす。家族の誰もが、「祖父ちゃんがいれば」という言葉を堪えていた。

来年は、中止かな。

ひそかに思いつつ、こっそり溜め息をつく。

その直後だった。

「紅葉に映えるゥ……」

ぱしん。

家族が見守るなか、畳に撒まかれた一枚の絵札が跳ねあがった。

読まれたのは、高得点の《役札》。

思わず全員が顔を見合わせる。「まさかね」と呟つぶやいてから、父が次の札を読みあげた。

「裾野は長しイ……」

ぱしん。

再び絵札が勢いよく回転し、表裏がさかさになって畳に落ちる。

もう、誰も疑わなかった。

「そこからは普段どおり、熱狂と興奮の大会になりました。もっとも祖父ちゃんが取ったのは、その二枚だけでしたけどね。父は〝祖父さんてば、あっちに行って耄碌したんじゃないか〟なんて、涙目で笑っていましたよ」

翌月、一家は新しい上毛かるたを購入した。

祖父が取った二枚の役札が、仏壇に飾られていたためである。

「それから十数年が経ちましたが、その札を読むときには〝祖父ちゃんが取るかもな〟とドキドキしますね」

現在も、浅間さんの実家では正月にかるた大会が開催されている。いまでは彼の息子も参加するようになり、いっそうにぎやかにおこなわれているそうだ。

【上毛かるた】

群馬県で広く親しまれている郷土かるた。全四十四枚の札はいずれも群馬の人や土地にちなんだ内容となっている。一九四六年、のちに二松学舎大学学長となる浦野匡彦が、キリスト教伝道者・須田清基の薦めを受けて「子供たちに群馬の素晴らしさを伝えたい」と考案、編纂委員会による句の選定を経て翌年に発売された。以来、現在でも毎年二月には上毛かるた県競技大会がおこなわれており、県内の子供たちは日頃から練習にはげんでいる。そのため、読み札を完璧に諳んじる群馬県民は少なくないという。

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