いつものこと(福岡県) | コワイハナシ47

いつものこと(福岡県)

「お盆の里帰りでした」

数年前の夏、尾崎さん一家は旦那さんの実家である福岡市を訪れていた。

結婚してからはじめての、福岡で過ごすお盆であったという。

「私の故郷では午前中にお墓参りをするんですが、福岡では夕方なんですよね。ほかにも提灯の灯をお仏壇まで運んだりと、土地ならではの風習にちょっと感動していました」

やがて、一家はひととおりの行事を終え、《迎え火》を残すのみとなった。

玄関先に、苧殻と呼ばれる麻の木を積みあげて火を点ける。闇のなかに浮かびあがる炎のやさしい光と、苧殻の独特なにおいに、長旅で疲れた身体がほぐれていくのが解った。

ふと傍らを見れば、東京のマンションでは滅多に見られない光景に興奮しているようで、ふたりの子供たちも夢中になって迎え火を見つめている。

「ばあちゃん、花火ば用意しとうったい」

孫を気遣った祖母の言葉に、歓声があがる。

穏やかな、お盆の夜になるはずだった。

「どれ、迎え火も終わりばい。火の始末ばせんと」

水の入ったバケツを運ぼうとする義母を、尾崎さんは慌てて押しとどめた。

「嫁らしいところを見せなきゃと思ったんです。〝後かたづけは私がしますから、子供らの相手をお願いします〟と、家のなかへ送りました」

夫にも「晩酌の続きを楽しんでちょうだい」と促し、尾崎さんは独りきりになった。

ちょっとは、良い若ごりょんさん(若奥さん)に見えたかしら。

そんなことを考えて微笑みながら、屈んで路上の燃え屑を集めた、そのときだった。

ふと、視線の隅に誰かの足が見えて、彼女は無意識に顔をあげた。

「え」

老人が立っていた。

ぼんやりと、全身が光っていた。

「蓄光性、でしたっけ。暗くなっても、ぼおっと光る電灯の紐ひもとかあるじゃないですか。あんな感じの、鈍い輝きでした」

発光する老人は尾崎さんをじっと見つめ、「なんしよん」と嗄れ声で囁やいてから、消えた。

「あんまり憶えていないんですが、どうやら腰を抜かしたまま絶叫していたようで……気がついたときには、夫と義母に両脇を抱えられていました」

なにごとがおきたのかと訊ねるふたりに、尾崎さんはいま見たものを震えながら説明した。自分の頭がおかしくなったと思われぬよう、なるべく詳細に伝えた。

ところが、「怯えるのではないか」という彼女の予想に反し、老人の容姿を聞くなり、夫と義母は声を揃えて爆笑しはじめた。

結婚前に亡くなった、義父だというのである。

「でも、なんで、お義父さんが」

理解できぬまま問う彼女に、義母が目尻の涙を拭いながら答えた。

「いつものことよ。あの人ぁ生きとるときから、いっつもかっつも遅刻しよっちゃが」

まあ博多の男やけん、博多時間は仕方なかばい。

すかさず夫が「迎え火に遅れるとは、いかにも親父ばい」と手を叩たたく。

脱力する尾崎さんをよそに、ふたりはしばらく笑い続けていたという。

「なんでも、博多では遅れて訪問するのがマナーなんですって。それにしても、お盆にまで遅刻してこなくても……と、思うんですけどねえ」

尾崎さんは当時の状況を思いだしたのか、手で口を押さえながら微笑んだ。

いまでも、お盆の帰省の際は、そのときの出来事が酒の肴になる。

【博多時間】

博多の人間が宴会などで集まる際、大幅に遅れてくることを称した言葉。商家を訪問するときに相手を慮り、約束した時刻より遅れて訪ねる、博多商人の慣習の名残といわれている。

大企業の福岡支店が増えた四十年ほど前に生まれた言葉で、東京から転勤してきた人々が言いはじめたという説がある。九州ではほかにも宮崎の「日向時間」、鹿児島の「薩摩時間」、沖縄の「沖縄時間」など、同様の習慣をあらわす言葉が各地に存在する。

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