秘境の洗礼(大分県) | コワイハナシ47

秘境の洗礼(大分県)

飯豊さんは、九州のとある地方都市で活躍するベテランカメラマンである。

「最近はキビしいねえ。以前は地元企業とか新聞とか依頼がけっこうあったんだけどさ、デジカメが登場してからはコンピューターで加工できるヤツのほうが偉くなっちゃって。ま、暇になったのを逆手に、いまは裏稼業で稼いでいるけどね。へっへっへ」

裏稼業とは《雑誌への写真提供》である。取材申請が必要な施設や、撮影禁止の土地をこっそり写真におさめ、撮影者をクレジットせずに掲載するのだという。

「東京からカメラマンを出張させるより安あがりだもの。郷土料理や観光地のイメージショットを撮って、メールで送るだけだからね。まあまあ悪くない仕事だよ」

彼によれば、ここ数年はオカルト雑誌からの需要が増えているとのことだった。やはり、いつの時代も不思議なものへの興味は尽きないようだ。

「でも〝いつの時代も〟とはいえ、昔とは変わったよ。いちばん違うのはクレームへの対応かな。ネタがネタだしさ、ヘタに廃墟や施設を撮影しちゃうと、すぐ抗議が送られてくるんだと。いまはネットで拡散されるから私有地の類はキビしいそうだ」

それゆえ、「現在のトレンドは史跡や神社なのだ」と飯豊さんは語る。古い遺跡や寺社のなかには、奇妙な謂われを有しているものもすくなくない。そこに煽りぎみの解説を添えれば、たちまち怪しげなスポットのできあがり、というわけだ。

「まあ、内心〝バカみてえだ〟と思っていたよ。つまり祟りだとか呪いだとか、そんなものはまるで信じちゃいなかったわけよ、オレは」

あの日まではね。

その日、飯豊さんは大分県のある神社を訪ねていた。

「地元新聞社の後輩が〝ヤバいところがあるらしい〟と知らせてくれたのよ」

山中の拝殿に手を合わせ、後輩に教わったとおり参道脇にある小道を進むこと、数分。やがて、垂直に連なった崖から垂れ下がる一本の鎖が視界に飛びこんできた。

おいおい、道が険しいとは聞いていたけど……これを行くのかよ。

苦笑しつつ、覚悟を決めてロッククライミングよろしく崖をのぼる。何度か足が滑り、数メートル下でぱらぱらと小石の転がる音が聞こえた。

ようやくのぼりきった先には、足場とおぼしき石が点在していた。いちおうは道になっているとはいえ、谷側には柵もなく、茂みに覆われて高さも明瞭しない。落ちれば良くて大怪我、あたりどころが悪ければ死にかねない。

崩れまいかと足場を慎重に確かめながら、ひと足ずつ、汗だくで前進した。

「十分くらい歩いたかな。道はだんだん細くなるわ藪はどんどん深くなるわで、いよいよ厭になってきてね。正直にいうと……すこし雰囲気にビビってたんだわ」

か、帰ろうかな。

勇気ある撤退を考えはじめていたその矢先、数メートル彼方に荒削りの宝塔が見えた。その奥には、なにやら洞穴めいた暗がりが口を開けている。

「カメラマンてのは、ゲンキンなもんでね」

先ほどまでの臆病風もどこへやら、飯豊さんは興奮に背中を押されるまま先を急いだ。

「うわ」

辿りつくと同時に、思わず声があがった。

大人ひとりが屈んでようやく進めるほどの洞窟。

そのなかに、数えきれないほどの骨が積み重なっている。

形状から察するに、骨は猪か鹿の頭蓋骨のように思えた。ゆうに三百はあるだろうか。幾つかの頭骨には、ペンで人名や月日が書かれている。

奉納したものなのか。ここは、神社かなにかということか。

そんな仮説を裏づけるように、飯豊さんは洞窟の奥にちいさな祠を発見する。祠までの進路の両脇には骨がうずたかく寄せられており、さながら花道である。

獣の遺骸を納める神社。頭蓋骨だらけの聖域。

カメラマン魂に火が点ついた。

「どこを撮っても画になるんだもの、夢中でシャッターを切ったよ。ところがそのうち、〝もっと良い画にならないかな〟と、欲にかられちまって……」

遺骸の山からはみだしている頭骨の一部を、すこしだけ動かしたのだという。

どんな神様か知らんが、ベストショットのためなら許してくれるよな。

「自分に言い聞かせたあとは、やりたい放題だったね。タガが外れちまった」

頭骨の山を組みなおし、バラバラの上顎と下顎を適当に見つくろって嵌める。邪魔な歯の欠片はそこらに放り投げ、罅割れがひどい骨は崖の下へと捨てた。

こうして一時間ほどを費やし、飯豊さんは数十枚を撮影したのである。

ふもとの神社へ辿りつくころには、陽がずいぶんと西へ傾いていた。

これ以上暗くなっては、山道の運転が危うくなってしまう。

すぐに下山しようと、彼は境内の片隅に停めていた愛車へ駆けよった。

「ん」

フロントガラスに白い汚れが点々と付着している。歪なキスマークを思わせる汚れは、ガラスの上を横断するように続いていた。

顔を近づけ、しげしげと観察する。と、首を曲げて見る角度を変えた途端、彼はそれがなんであるのかを理解した。

蹄だ。これは蹄の泥が乾いた跡だ。

「そりゃ緊張したよ。猪だったら襲われて大怪我するかもしれないでしょ。まあ、〝獣が車の上に乗るものか〟とは思ったけど、じっくり考える余裕なんてなかったからね」

あたふたと車のドアを開け運転席へ滑りこむ。念のため、ドアをロックしてから安堵の息を吐いた。

これでもう大丈夫だ。いやあ、なかなか刺激的な一日だったな。

深呼吸をしてからエンジンキーをまわし、汚れを落とそうとフロントガラスのワイパーを動かす。

「は」

消えなかった。

ワイパーはリズミカルに動いているのに、足跡はひとつもなくならない。

おそるおそるガラスへ手を伸ばし、指で擦る。

蹄のあとが、指に沿って滲んだ。

てことは、車の、なか。

「もう絶叫、ひたすら叫びながら山道を爆走した。で、ふもとのコンビニへ飛びこむなり、レジで紙おしぼりを貰って半泣きで拭いたってわけだ。いや、ああいうのは理屈じゃないんだな。相手が獣だけに、なおさらそう感じたよ」

飯豊さんは現在でも《裏稼業》に精をだしている。

ただし、現在は参拝と賽銭をけっして忘れないようにしているそうだ。

【シシ権現】

正式名称を白鹿権現という、大分県某所山中にある霊場。その昔、猟師が獲物の一部を神に捧ささげた場所、すなわち豊猟を祈願した原始宗教の名残ではないかといわれている。

シシ権現の近隣には、国の天然記念物に指定されている「風連鍾乳洞」や、太古祭祀の遺跡といわれる「佐田京石」、動かすと嵐が起こるなどの祟りをなすと伝えられる「こしき石いわ」などがある。

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