背中の傷 極道になりそこねた男(愛媛県) | コワイハナシ47

背中の傷 極道になりそこねた男(愛媛県)

田所さんは、ご本人いわく「極道になりそこねた」人物である。

「ウチの実家は愛媛の農家でしてね、物心ついたころには、長男の私が跡を継ぐことが強制的に決まっていました。それが厭で十八のときに東京へ家出しまして……悪い友だちと知り合いになっちまったんですよ」

連日の夜遊び、盛り場での派手な喧嘩、非合法すれすれの小遣い稼ぎ。落ちていくまでに、それほど時間はかからなかった。気がつけば田所さんは友人とともに、暴力団の組事務所へ通うようになっていたのだという。

ふたりの面倒を見ていたのは、若頭と呼ばれる青年だった。田所さんよりわずか二、三歳年上に思えたが、ときおり見せるまなざしは、すべてを達観した老人のようであったそうだ。

「ホンモノの貫禄というんですかね。〝ああ、この人は誰かを殺したことがあるんだ〟と直感しました。いまなら敬遠すべき人種なんですが、若さってのは厄介でしてね……憧れてしまったんです。この人に信頼される極道になってやろうと、決意を新たにしちまったんです」

田所さんは若頭のために働いた。一般的な労働とはひどくかけ離れたものではあったが、それでも真剣だった。みかじめ料を払わない店を脅し、借金を抱えて逃げた債務者を襲う。ときには拳や刃物を用いて目的を達成した。すべては、この世界で認めてもらいたい一心であったという。

そんな努力の甲斐あって、ある日ふたりは若頭に呼びだしをうけた。

「お前ら、そろそろ正式にウチの舎弟になるか。その気があるなら、背中に彫りもん入れてこいや。ソイツがあがるころには、晴れて極道だ」

若頭はそう言うと、ふたりに知りあいの彫り師を紹介した。

「そのときは〝これで俺もいよいよ一人前だ〟なんて喜んでいました。馬鹿ですよね」

ところが、田所さんの背中を見るなり、彫り師は顔をしかめて「なんだお前、この生傷は。コイツが治るまで、紋々なんか入れられるかい」と吐き捨てた。

慌てて便所へ走り、洗面所の鏡で確かめる。

「……どがいしたなら、こりゃあ」

太い枝を伸ばした樹木を思わせる傷が、背中いちめんに広がっていた。生皮を剝いだように赤々とした、指で押せば血と膿があふれてきそうなほど新しい傷であったという。

田所さんは戸惑った。これほどの傷ならば、いつどこで負ったか忘れようはずもないし、そもそも痛みもおぼえぬまま平然と暮らしていたのが信じられない。

不可解ではあったが、彫れぬと断言されてはそれ以上どうしようもない。彼は泣く泣く傷が癒えるのを待った。

「若頭は〝肝炎になったら面倒だからな。養生しろや〟と、そのときは優しかったんですが」

傷はいっこうに治らなかった。

あいかわらず大木のような形のまま、薄桃色の肌がじゅくじゅくと透明な汁を滲ませるばかりで、瘡蓋になる気配すらない。

不思議と、痛みはまるで感じなかったそうだ。

そうしているうちにも、友人の背中には鮮やかな不動明王の刺青が着々と彫られていく。焦りが募った。仕事にも身が入らず、どやされることが多くなった。

すっかり意気消沈していた、ある日。ゴルフ場まで若頭を送迎していた最中、田所さんは後部座席の若頭から静かな声で訊たずねられた。

「おい……まさか舎弟になるのが厭で、テメエで背中やらかしてんじゃねえだろうな」

バックミラーごしに目が合う。

幼いころに動物園で見た虎そっくりのまなざしが、こちらを睨んで。

「その瞬間、スッと冷めたんです。〝いずれ自分は見切られるんだ。行き着く先は殺されるか、それより非道い目に遭うだけだ〟と思いました。そのころには薬とか賭博とか、マズい内情をいろいろ知っていましたしね」

その夜、田所さんは逃げた。隣町のカプセルホテルに泊まり、翌日の早朝、故郷へ向かう列車に飛び乗った。

「実家へ戻ってからも、しばらくは追っ手が来るんじゃないかと眠れぬ日々が続きましたよ。まあ、自分みたいな小物は捕まえても得がないと思ったのか、それっきりですけどね」

放蕩息子の帰宅に、家族はたいそう驚いた。特に父は変わり果てた我が子の風貌に激怒し、二、三日は口を利こうともしなかったという。

そんな様子が一変したのは、一週間ほどが過ぎた、ある晩のことだった。

「お前、まさか刺青なんぞ入れとらんよな」

廊下ですれ違いざま、静かな口調で問いかけてきた父に、田所さんは思わず一連の奇妙な出来事を語って聞かせてしまったのだという。

「いまにして思えば、母のいる前では聞きたくなかったんでしょう。私も久々に父から声をかけられたのがちょっと嬉しくて、つい喋っちゃったんです」

父は黙って話に耳を傾けていたが、やがて「背中、見てみい」と呟いた。

言葉の真意が理解できぬまま、玄関の姿見に背中を映す。

「えっ、あれっ」

傷は、どこにもなかった。背中にはニキビの跡がぽつぽつと残っているだけで、痕跡さえ見あたらない。絶句する田所さんを眺めながら、再び父が口を開いた。

「母ちゃん、お前がおらんようになってから毎週末、伊予の稲荷さんへ出かけちょってのう。〝息子が無事で帰ってきますように〟って拝んどったわい」

「……それとこれと、なんか関係あるんか」

呆然としながら訊ねる田所さんをちらりと見てから、父は言葉を続けた。

「樹みたいな傷ちゅうんは、たいがい(多分)、伊予の稲荷さんの尾っぽじゃろな。それがなかったら、ごくどされ(極道)なっとったろうに」

はっとした。

確かに、あの傷がなければ自分は刺青を彫り、まっとうな生活を捨てていたに違いない。

「……稲荷さんが、守ってくれよったんか」

その場にへたりこんだ彼を、「あほう」と父が笑う。

「守ってくれたんは、母ちゃんじゃ」

「あれから、四半世紀が経ちました。父はすでに鬼籍の人ですが、母にはいまでもその話をときたま持ちだされては叱られます。おかげで、毎年お稲荷さんへのお参りは、私が運転手役ですよ」

若気の至りというのは、なんとも代償が大きいもんですなあ。

田所さんは恥ずかしそうに、ふしくれだった太い指で頭を搔いた。

【伊予稲荷神社】

愛媛県伊予市にある神社。弘仁年間に伏見稲荷大社より御分霊を勧請、寛永のころには大洲・新谷両藩の祈願所となった。伊予稲荷神社と称するようになったのは戦後からである。

境内の宝物殿には、根元から九つに分かれた《狐の尾》が祀られている。これは幕末のころ、旅人が世話になった家へ置いていったものとされ、人の手を渡り歩いたがあまりの霊力の強さに神社へ奉納されたものであるという。ほかにも境内には、大雨の日に小石を産むとされる《亀石》、子供の泣き声が聞こえるという《夜泣き石》などがある。

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