ついてくる犬(埼玉県) | コワイハナシ47

ついてくる犬(埼玉県)

都内の出版社にお勤めの、大久保さんという男性よりうかがった話である。

彼のお祖母さまにまつわる出来事だという。

「祖母の家は秩父のO町というところなんですがね。その集落、奇妙な風習がいろいろ残っているんですよ」

たとえば、葬儀。一般的に誰かが亡くなった際は、その家族や親族、もしくは葬儀社の人間が湯灌をおこない、経帷子か.に着替えさせる。ところが、O町ではそのしきたりがやや異なるのだそうだ。

「女性が死んだ場合は男性が、逆に男性が死んだときは女性がその支度をするんです」

そのため、彼の祖母が亡くなった際には、孫である大久保さんをはじめ、親族の男衆がこぞって集まり、祖母の死に装束を準備したのだという。

「で、ひととおり支度を終えてから、酒の席で〝不思議な風習だねえ〟なんて親戚の男性と話をしていたんですがね。どうやら〝不思議〟って言葉に反応したらしくて」

このあたりゃあ、不思議なハナシはもっとあるぞ。

男性は、そう言ったのである。

昭和も半ばの話だという。

ある日、村に住むひとりの若い嬶が、いつものようにうどんを捏ねていた。

「O町では当時、蕎麦や饂飩を常食していのだと聞きました。山間部だからでしょうか、米食の習慣が入ってきたのはずいぶんと遅かったようです。日中のうちに粉をこねておき、夕食に茹でるんです。祖母は《おっきりこみ》とか《めんこ》と呼んでいました」

ところが台所を確かめると、うどんに添える天ぷらの具材がなにもない。畑に出ている夫はうどんに添え物がないと機嫌をひどく損ねる質で、下手をすれば翌日の朝まで嫌味を言われかねない。

どうしたものかと窓の外を見れば、空はまだ明るい。夕暮れまでにはずいぶんと時間があるように思えた。

裏山で、山菜でも採ってくるとするか。

山とはいっても、日頃から庭のごとく歩きまわっている場所である。この明るさならば問題なかろうと、嬶は鍋の火を止めて籠を背負い、山へ向かったのだそうだ。

目あての山菜がワラビであったのかゼンマイであったのか、そのあたりは定かではない。ともあれ嬶は山菜を見つけ、翌日のことも考えて余分に摘んだ。

それが良くなかった。

山を下りるころには、日が暮れかけていた。

空は暮れなずみ、東の空では星がまたたいている。村へ続く山道は夕陽に染まって、赤い灰でも降ったかのような色に変わっていた。

早く帰らなければ。嬶は急ぎ足で山をおりはじめた。

歩きだしてから、しばらく経ったころだったという。

ふいに自分以外の足音が聞こえたような気がして、嬶は背後をふりかえった。

一匹の犬が道の真ん中で、こちらをまっすぐに見つめている。

柴犬か秋田犬を彷彿とさせる、いわゆる日本犬の類たぐいのようだった。首輪はしていないが、野良犬にしては吠えるわけでも襲ってくるわけでもなく、逃げるような素振りも見せない。

やけに澄んだ、なにかを見透かしているようなまなざしが印象的であったそうだ。

「野犬の類が珍しくない時代だったものの、目の前の犬は野犬にしては品があり、粗暴な気配などまるで感じられなかったそうです。その所為か、彼女はあまり危機感を憶えなかったのだと言っていました」

どこぞの家から逃げた犬が、迷って山に入ったのかもしれない。

追い払うまでもないだろうと、嬶は再び家路を急いだ。

ところが、再び歩きはじめると、やはり背中の先から足音が聞こえる。どうやら犬は一定の距離を保って自分のあとを尾行しているらしいと知れた。

ふりかえれば、犬もその場に止まる。歩きだすと、犬もおなじ歩幅でついてくる。

「だるまさんが転んだ」を思わせる動きをくりかえしながら、嬶は暗くなった山道を歩き続けた。

砂利を踏む自分の歩みと、籠のなかで揺れる山菜、そして犬のやわらかな足音。奇妙な三重奏に耳を傾けていたその最中、嬶は幼い時分に祖父から聞いた寝物語を思いだした。

送り狼。山に入った人間を追尾し、誤って転んだ際には飛びかかり喰らってしまう……祖父が語ってくれたのは、そんな話だった。

もしやこの獣は、犬ではなく狼なのか。

私を、喰う気なのか。

ぞっとして、思わず背後へ向き直る。

「あれ」

獣の姿はどこにもなかった。

暗いとはいえ、村へ続く一本道のことである。もしも遠ざかったのであれば姿を見失うはずはないし、脇の藪へ逃げたのであっても音で気がつくはずだった。

呆気にとられその場に佇ずんでいると、山の奥から遠吠えが聞こえた。

長くて哀しげな、笛の音に似た声だった。

無意識のうちに深々と一礼してから、嬶は山をおりたという。

家に着くと、腹を空すかせた夫が玄関先で嬶の帰りを待っていた。

「実はな……狼が」

はじめ、夫は嬶の話をてんで信じず「狼なんざ居るわけねぇだんべ。とっくのまっくに死んじまった」と笑っていたが、遠吠えのくだりを聞くなり、さっと表情を変えた。

「三峯さんの神様かもなあ」

夫いわく、秩父にある神社では狼が神の使いとして祀られており、ときおり近隣の山に姿をあらわすのだという。

「喰おうとしたんじゃねぇや。守ろうとしたんだい」

夫の言葉に、あの透き通った瞳が浮かんだ。

うどんを食べ終わると、夫と嬶は表へ出て、裏山へ向かい手を合わせたそうだ。

【ニホンオオカミ】

かつて本州に生息していたオオカミの一種。岐阜大学が調査した結果、大陸のオオカミや犬とはDNAが遺伝的に異なると判明、日本独自の種とされている。縄張りに侵入した人間を監視する習性があったとされ、それが「送り狼」という言葉のもととなった。江戸時代の狼信仰により頭骨が珍重された結果、乱獲で個体数が激減。一九〇五(明治三十八)年を最後に存在は確認されていない。そのため環境省のレッドリストでは絶滅種となっているが、現在も各地で目撃談が報告されている。

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