続・於岩稲荷(東京都) | コワイハナシ47

続・於岩稲荷(東京都)

以前、「於岩稲荷」なる作品を掲載した。四谷怪談にゆかりの深い於岩稲荷田宮神社、通称《お岩稲荷》にまつわる、私自身の体験談である。

未読の方のためにかいつまんで説明しておこう。

数年前の夜、したたかに酔っていた私は定宿である四谷のホテルまでの帰りしな、お岩稲荷に立ち寄った。いきおいに任せて賽銭を弾もうとしたのであったのである。しかし、幸か不幸か財布には小銭を用意しておらず、私は「あとから部屋まで取りにきてくれ」と軽口を叩たたいてその場を去った。はたして宿に戻って間もなく、来客が訪ねてきた。ドア越しの対面であったが、来客はどうにもこの世のものとは思えない。《賽銭を取りに来た何者か》であると察した私は、翌日に再びお岩稲荷を訪問し、財布の中身をありったけ賽銭箱へ放りこんだ……と、そのような話である。

鶴屋南北の『東海道四谷怪談』をはじめとする、一連の「四谷怪談もの」。それらをすべてまごうことなき創作──実在の人物や史実をエッセンスとして取り入れた、という言い方が適切だろうか──と認識していた私にとっては、なかなか刺激的な出来事であった。

もっとも、それは一夜かぎりの出来事、もう終わったものだと信じて疑わなかった。

その認識は、間違いであったのだが。

今年のはじめ、私は知人の編集者N氏とともに、都内の巣鴨を訪れていた。

先述の「於岩稲荷」において、私は最後の文を「次に上京した折は、取材費と称して一万円札でも賽銭箱に入れてくるべきか」と結んでいた。

それを読み、N氏はメールを送ってきたのである。

「だったら、お岩さんの墓にもお参りしといたほうが良いんじゃないですかね」

メールにはそのような提案が記されていた。いわく、お岩さんのモデルとなった田宮岩の墓は巣鴨の寺院にあり、「四谷怪談」を題に扱う映画やテレビの関係者はかならずその寺を参拝するのだという。

偶然にも、メールを受けとった翌週は上京の予定が入っていた。なにかの巡り合わせかもしれないと、私は彼とともに巣鴨を訪ねることにしたのである。

日曜日ということも手伝ってか、《お婆ちゃんの原宿》として有名な巣鴨は、大勢の老人でにぎわっていた。人の多さとは裏腹に、漂う空気はなんとも長閑である。おなじ都内でも、新宿や渋谷とは印象がまるで違う。人々の歩く速度の所為だろうか。そんなことをつらつら考えながら、都電荒川線の庚申塚駅を横目に繁華街を進む。

「ここは、お岩通りと言うんですよ」

N氏が路傍を指さした。なるほど、柱状の標識には《お岩通り》の文字が刻まれている。半ば観光地と化しているのかもしれない。

「通りの名前になるくらいですもの、お岩さんの墓は有名なんですね。凄いなあ」

嬉しそうな彼に対し、私はひそかに冷めていた。

田宮岩という女性が実在したのは事実である。しかし彼女は「四谷怪談」に登場するお岩さんのモデルに過ぎず、本人が生前に誰かを祟り殺したなどという事実はない。いわば墓に眠っている「田宮岩」と「お岩さん」は別物なのだ。似て非なる人物なのだ。そんな人間の墓に手を合わせたところで、いったいなにになるというのか……そんな思いが拭えなかった。

要するに、私は信じかねていたのだ。我が身に起こった奇妙きわまりない出来事も四谷怪談にまつわる数多の因縁話も、すべて偶然の産物なのではないかという疑念が払拭できずにいたのである。そこにきて、この朗らかな町なみと観光地めいた案内標識(実際は参拝者の多さに配慮して立てたのだろうが)とあっては、「怯えろ」というほうが無茶である。

まあ、適当に拝んでおしまいにするか。

気持ちを切り替えようとひそかに努めながら、私は彼とならんで歩いた。

寺の入口には、《四谷怪談お岩様の墓》と彫られた石碑が立っていた。案内図に従い、境内を闊歩する。墓参に訪れた者が焚いていったのか、墓地いっぱいに線香のにおいが漂っていた。

「あ、ありましたありました」

前を歩いていたN氏がふいに立ち止まり、弾んだ声で告げる。見れば、目の前にちいさな朱色の鳥居が設置されており、その奥にこぢんまりとした墓がぽつんと立っていた。

墓石の周囲をぐるりと囲む卒塔婆には、聞き覚えのあるテレビ番組や有名な遊園地の名が記されている。なるほど、関係者が訪れるというのは事実らしい。

だが、それらを見てもなお、私はなんの感慨も湧かなかった。

《ホンモノ》だったら、証明しておくれよ。片目くらいは呉れてやるからさ。

手を合わせつつ、なんとも不遜な挑発を心のなかで囁く。

当然ながら墓はなにも答えない。あやしげな現象も、まるで起こらなかった。

ひそかに舌打ちをする私の横で、陽気なN氏が嬉しそうに写真を撮り続けていた。

彼と別れ、私は別の打ち合わせのために新宿へ向かっていた。

電車の座席に空きを見つけ、どっかりと座りこむ。

ふいに、墓地でさんざん嗅かいだ線香のにおいが、鼻に届いたような気がした。

ぎょっとして、ためしに片目ずつ瞑り視力を確かめる。しかしこれといった異常は見られない。ウインクをされたとでも思ったのか、前の席に座っていた若い女性が顔を伏せた。こちらもなんだか気まずくなり、スマートフォンを探すふりをして鞄を開いた。

「ん」

鞄の底をまさぐっていた指が、数本のちいさな細長い物体に触れた。爪で叩いてみると、やけに硬い。プラスチックのような質感である。

コンビニで割り箸ばしを貰もらった際、袋から爪楊枝でも零れたのだろうか。

記憶をたどりながら、一本を摘みあげると、それは、長さ数センチほどのやや平べったいかたまりだった。全体が蜂蜜のように黄色く透過しており、先端が鋭角に研がれている。もう片方の端はプラモデルの《バリ》よろしく断面が粗かった。

パスタが折れたとか飴がいったん溶けてから再び固まったとか、壊れた鞄の金具とか。思いつくまま黄色いかけらの正体を探っていた私の頭に、あるものが閃いた。

これ、櫛じゃないのか。

改めてまじまじと眺めてみれば、細長い破片は確かに折れた櫛の歯である。透けているということは鼈甲の類なのだろうか。細かな傷を見るかぎり、それなりに古いもののようだ。

まるで、心あたりがなかった。

櫛はおろかヘアブラシさえ我が家にはないのだから、旅支度の際に紛れこむとは考え難い。そもそも、この鞄自体が出発の数日前に購入したものである。

なんとも不可解ではあったが、かといってこれ以上どうしようもない。

首を捻りつつ私は鞄からすべての櫛の歯を拾いあげると、駅の売店でガムを購入するついでに捨ててもらった。

改札を抜けるころには、櫛の歯の存在などすっかり忘れていた。その存在を再び思いだすのは、翌日である。

「……と、まあそんな出来事があったんですけどね」

翌日私は別件の打ち合わせがてらにN氏へ電話をかけた折、昨日のやや奇妙な出来事を語って聞かせた。べつだん、脅かそうと思っていたわけではない。単なる世間話のつもりだった。

ところが、私が話を終えるより早く、N氏はすこしばかり興奮した口ぶりで「あの……私、昨日、説明しませんでしたっけ」と言葉をかぶせてきた。きれぎれの単語から、戸惑いの色が滲んでいる。いったいどうしたのかと、受話器を握り直した。

説明って、なにを。言いかけた私の台詞は、再び彼の声に遮られてしまう。

「田宮岩のお墓って、遺骨が入っていないらしいんですよ」

そのときの私を誰かが見ていたなら、思わず吹きだしていたかもしれない。あんぐり口を開けて言葉の続きを待つ表情は、さぞや間抜けなものだっただろう。

「昨日のお寺、これまで二度ばかり移転しているんですが、遺骨を移そうとしたところ、彼女の骨はすでに土に還かえっていたみたいで……そのため、墓には」

彼女の形見の櫛がおさめられているんですって。

ぞっとした。

背中から全身へ寒気が一気にひろがり、視界がやや暗くなった。

なんだよ、それ。どういうことだよ。私の独り言に、N氏が答える。

「解りませんけど……もしかして昨日、お墓で余計なこと考えませんでしたか」

あきらかに私を訝しんでいる問いを曖昧にはぐらかし、電話を切った。

帰宅して数日は「視力が落ちるのではないか」と、不安で堪らなかった。幸いにもそれは杞憂であったらしく、私はいまもこうしてパソコンの前で原稿を書いている。

だが、この後どうなるかは解らない。もしもあれが《警告》だったとすれば、私はそれを無視したことになる。

実在の「田宮岩」か創作の「お岩さま」、どちらなのかは解らない。いずれにせよ、彼女が寛大な人物であることを、いまは願うばかりだ。

【髪梳き】

「四谷怪談もの」において、お岩の所有していた櫛は重要な役割を持っている。歌舞伎『東海道四谷怪談』の二幕目「元の伊右衛門浪宅の場」では、毒で二目と見られぬ顔になったお岩が、お歯黒を塗りながら母の形見の櫛で髪を梳しけずる場面がある。ひと櫛ごとに髪が抜け落ちる壮絶な場面は「髪梳き」と呼ばれ、「戸板返し」や「提灯抜け」とならんで、作品のおおきな見どころになっている。

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