さげすむなかれ おむつ塚(山梨県) | コワイハナシ47

さげすむなかれ おむつ塚(山梨県)

鏑木さんは三十代のころ、山梨市でタクシー運転手を務めていた。

これは、そのころの話である。

「どう説明して良いものか、自分でもまるで解らないんですが……聞いてくれますか」

ある、小雨模様の深夜。

駅前まで続く郊外の国道を走っていた鏑木さんは、路傍で手を挙げる男性の姿を目に留めた。

男は上下とも真っ黒なスーツに身を包んでいる。葬儀か法事帰りのようないでたちだが、それにしてはあまりに時間が遅いし、このような辺鄙な場所に立っているのも解せない。あたりは農園が広がるばかりの郊外である。おまけに真夜中とあって、タクシーはおろか車もめったに通らない場所ときている。格好も時刻も、すべてがどこか妙に思えた。

しかしぱっと見たかぎりでは酔っている様子もなく、強盗をするような危うさもない。

もしかしたら、なにかの事情で急を要しているのかもしれないじゃないか。

半ば人助けのつもりで車を停めた。

それが、間違いだった。

男は後部座席へ乗りこむと「駅前まで」と早口で告げるや、髪の滴を飛ばさんばかりのいきおいで身を乗りだし、鏑木さんへ話しかけてきた。

「おむつに行ってきたんだよ」

「はあ……おむつ、ですか」

意味が解らぬままに生返事をすると、男は「おむつ塚だよ」と、ぼそぼそ呟つぶやいてから、鏑木さんの返事を待たず、一方的に話をはじめた。

男によれば、その昔《おむつ》という名の若い女性がこの付近で生き埋めにされて亡くなったのだという。その後、おむつの死に関係した者が次々と亡くなり、その魂を鎮めるため塚が作られたのだと男は語った。

「その塚に行ってきたのさ。いやあ、ありゃあ本物だった」

男は顔をぐい、と運転席に近づけ再び声を大きくした。場所が解らずに延々とさまよったこと、ようやく発見した塚が思いのほかちいさかったこと、塚の周囲に気味の悪い虫がぞろぞろ這っていてなんだか嬉うれしくなったこと……男はまるで独演会よろしく、朗々とお喋りを続けている。しかも、その中身が虫を潰してみただの塚に接吻してみただのと、次第に常軌を逸したものになりはじめている。

こりゃ、面倒くさいのを乗せちまったかな。

後悔したもののあとのまつりである。二十分も走れば目的地だと覚悟を決めて、彼はハンドルを握りなおした。こちらが興味を失っていると知れば、そのうち止めるだろうと高を括くくっていたのだそうだ。

ところが、会話は終わらなかった。

車が寂しい夜の国道をひた走るなか、男は再び「おむつ塚はな」「あそこは本物だぞ」とおなじ話を繰りかえしはじめた。熱を帯びている所為なのか、言葉は先ほどよりいっそう要領を得ず、気がつけば聴き取れるのは「おむつ」という名前だけになっている。

はじめこそ適当に相槌を打っていた鏑木さんも、いよいよ我慢がならなくなってきた。

なんとかして男のお喋りな口を塞ぎたいが、下手に遮ればトラブルになりかねない。

どうにか会話を止める術すべはないか──ひそかに考えたすえ、鏑木さんは「軽口を叩いてやろう」と決めた。気のない素振りを見せて話をはぐらかせば、男が臍を曲げるだろうと踏んだのである。

「それにしても、おむつってのは変な名前ですね。おしめの間違いじゃあないんですか。いや、おもらしかもしれませんねぇ」

努めて挑発的な口ぶりで問いかけた途端、男が唇を頰の端まで曲げて、

「ここで停めてくれぇ」と笑った。

「え、でもまだ駅はずいぶんと先で」

驚く鏑木さんにかまわず、男は笑みを湛えたまま、くしゃくしゃの千円札を運転席へ突きだした。戸惑いながらブレーキを踏み、運賃を受け取る。

後部座席のドアが開くと同時に、ぬっ、と顔を再び運転席に近づけて男が囁いた。

「さげすんだから、いのちがひとつ。あんたの番だ。ありがとうなぁ、ありがとうなぁ」

お経じみた抑揚で、数度「ありがとうなぁ」と連呼してから、男は釣り銭も受け取らぬまま、闇の向こうへ消えていった。

さて、望みどおり男を追い払ったにもかかわらず、鏑木さんの心は落ち着かなかった。あの男は誰だ。最後の台詞はなんなんだ。

動揺が運を追い払ったものか。結局その日はほかに客を拾えぬまま、終わった。

家に帰ってきたのは午前四時過ぎ。間もなく夜が明けるという頃合いであったという。

布団に寝転がってみたものの、どうにも眠る気になれない。

頭の芯がざわついて、目を瞑るたびにあの黒衣の男が瞼の裏に浮かぶ。

なぁにが、あんたの番だ。俺がどうなるっていうんだ。

「証拠を見せてみろしッ」

虚空に向かって絶叫する。応えるように、腹が鳴った。

飯でも食えば、すこしは落ち着くかね。

よろよろと起きあがり、冷蔵庫を開ける。昨日買ったコンビニ弁当を取りだすと、くたびれた目を指で揉みほぐしながら、電子レンジの扉を開けて弁当を突っこんだ。

一分かな。加熱ボタンを押そうとした指が、止まる。

なにかがおかしい。胸騒ぎがおさまらない。

その原因を探り、自分の行動を振りかえる。

布団から出て、冷蔵庫を開けて、レンジを。

「あッ」

慌てて扉を開ける。

弁当に追いやられ、レンジの奥で一羽の小鳥が震えていた。

妻子のいない鏑木さんにとって独りきりの家族、一年前から飼っているインコだった。

なんで、なんでこんなところに。

もし、ボタンを押していたら。

いのちがひとつ。

男の言葉を思いだす。

衰弱したインコを掌でくるんだまま、鏑木さんはその場に膝をついた。

「誰かが侵入したんだとしても、無意識に私がレンジへ放りこんだとしても、もしくは、もっと別な《なにか》の仕業だったとしても……いずれにせよ、耐えられませんでした。もうここに居てはいけないと思いました」

翌日会社へ辞表をだすと、彼はそのままアパートを引き払い、東京へ逃げた。

それきり、山梨には足を向けていない。

「これは推測なんですけど……あの男、おむつの塚でわざと悪さをはたらいて、それを私に擦りつけていったんじゃないか……そんな気がするんです」

話をひととおり終えたあたりで鏑木さんは声がいちだん低くなった。

「おむつは私にいったいなにをしようとしているのか。そもそもあの出来事は本当なのか……最近はそればかり考えています。なので、今度ね」

おむつ塚に行こうと思うんですよ。

それまでにこりともしなかった彼が、唇を歪ゆがませて笑う。

唐突な笑顔に怯んだ私は「その際は連絡を下さい」と告げて、取材場所をあとにした。

半年以上が経過したものの、彼から連絡はない。

【おむつ塚】

山梨県某市にある塚。かつてこの地に住んでいた好色な地頭が、嫁入りの挨拶に訪れたおむつという娘を手籠めにしようとした。おむつは拒んだが、軟禁のすえ拷問にかけられ、蛇やムカデとともに生き埋めにされてしまう。我が子の死を知ったおむつの母親もまた、娘の埋められた場所で呪詛を吐いて絶命した。その直後から地頭の周辺では怪異が起こり、やがて地頭も家人を斬り殺したあげく狂死してしまった。祟りを恐れた人々は塚を建てて、おむつを弔ったという。なお、塚は農園の一角にあるため、無断での進入は御法度である。

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