たわけの代償(愛知県) | コワイハナシ47

たわけの代償(愛知県)

高山君は学生時代、《バカ山》という、大変ありがたくない渾名で呼ばれていた。理由は明白、本当に莫迦だったのである。

「カンコウせん(深慮しないの意)人間だったもんで、頭より先に身体が動いとるのよ。円頓寺の繁華街を裸でダッシュしてみたり、大須のアーケードに下がっとるデカい提灯に登ろうとしたり。まあ、いろいろやったがん。あははは」

禁止されるとやらずにはいられない……そんな困った性格が改まったのは、数年前の夏。とある体験がきっかけであったという。

「いやあ、あんなおそがい(恐ろしい)思いはもう懲り懲りだわ」

彼が在籍していた大学は愛知県T市にあった。名古屋市のベッドタウンとして知られる町であったが、高山君によれば「町は、別な顔も持っていた」のだという。

合戦跡。一五六〇年に織田信長が今川義元を破った、通称《桶狭間の戦い》。その舞台となったのが、ここT市なのである。

「だもんで、町のいたるところに史跡やら武将の墓があったんだわ。まあ、人がようけえ死んだところだもの、なかには薄気味悪わりぃとこもあって。ちぃと気になっとったのよ」

なかでも彼が注目していたのは、《お化け地蔵》と呼ばれる一体の地蔵だった。

ある寺の境内に建立されているその地蔵は、「桶狭間で死んだ者たちの霊を封印しているのだ」と、まことしやかに噂されていたのだそうだ。

「ちゅうことは、そいつをどかしたら幽霊がぎょうさん出現するって理屈でしょう」

普通の人間であれば、そのような罰あたりきわまりない考えは思いつかないものだが、そこはバカ山と謳うたわれた高山君のことである。

決行したのだという。

「夜中はさすがにアレやったもんで、夕方に寺へ忍びこんだんだわ。参道沿いに石碑がいくつも並んどって……ちぃと不気味だったね」

境内には無数の竹が鬱蒼と茂っており、陽光を遮っている。こころなしか気温も低い。ときおり吹き抜ける風は冷たく、木々がざらざら鳴る音が寒さをいっそう煽あおった。

「さすがに、もう帰ろうかと思うた瞬間……見つけたんだわ」

参道脇の土手に、にこやかな笑みをたたえた一体の地蔵がぽつんと立っている。

こいつがお化け地蔵だ、間違いない。

さっそく高山君は土手をよじ登るとお化け地蔵に近づき、動かせるかどうか確かめた。

地蔵は、子供の背丈ほどもある真新しい石柱の上にちょこんと置かれていた。参道から見やすいようにと配慮したのだろうが、おかげで台座と地蔵の設置面は安定感を欠いている。ためしに両手をつき体重をかけてみると、地蔵が、ごとり、とわずかに傾いだ。

よっしゃ、いけるぞ。

とはいえ地蔵の高さを考えるかぎり、このまま押し倒してしまえば地面に落下して破損するのは必至である。

高山君は悩んだ。ここまで不遜な所業をしておきながら、なにをいまさら気にしているのだと思わなくもないが、彼には彼なりのルールがあったようだ。

「そらそうよ。こっちは封印を解きたいだけで地蔵さんを壊したいわけじゃないからね」

高山君は逡巡のすえ、「ゆっくりと地蔵をずらしていき、最後は地蔵を受け止めて地面に転がす」という、(彼いわく)完璧な計画を思いついた。

相撲の朝稽古よろしく、地蔵に抱きついてじわりじわりと押し続ける。石の擦れあう、ざり、ざり、という響きを聞きながら、彼は汗だくになって地蔵と格闘した。

「十五分近くかかったかね。ようやく、地蔵が台座から半分くらいずれたんだわ」

よし、もうすこしだ。あとちょっと。

最後のひと押しとばかりに、深呼吸をしてから地蔵に頰を密着させる。

その直後だった。

あたりいちめん悪臭が漂っているのに、彼は気づく。

「古い納屋の戸を開けたときみたいな、埃っぽさと生ぐささの混じった臭気だったね」

驚いて振りかえろうとした視界の隅に、

人影があった。

数えきれぬほどの人が自分を取り囲み、じっと様子をうかがっている──そんな気配が満ちていた。

気の所為だ、気の所為だ。そう言い聞かせるものの、確かめる勇気はない。

十秒、二十秒。地蔵に手をついたままで硬直した。悪臭が強くなる。風が竹を揺さぶる。いつのまにか空はずいぶんと暗い。

こ、このへんにしとくか。

もとの位置に戻そうと、地蔵を摑みなおした瞬間だった。頰をかすめるように痣だらけの青白い手が伸びてくると、地蔵に、ぺちゃ、と湿った掌を押しつけた。

「逃げたに決まっとるが。そらもう、酸欠で地面にへたるまで走ったわ。正体を確かめるなんて、たわけた真似する余裕はなかったがん」

以降、高山君は粗忽な振る舞いを慎むようになった。もっとも、そう主張しているのは本人ばかりで、知人諸氏によれば「あいかわらずのバカ山である」そうだが。

「そらテレビ塔に登ろうとしたり、東山動物園でゾウの背に乗ろうとしたことはあるがよ。でも、罰が当たりそうな真似はあれから一回もしとらんもの。これでも学習したんだわ」

呆れる私へにっこり微笑むと、高山君は得意げに親指を突きだした。

【高徳院】

愛知県豊明市にある高野山真言宗の寺院。桶狭間の合戦における今川氏の本陣跡とされている。寺院に併設された桶狭間古戦場跡の敷地内には、今川義元の墓をはじめ、家臣である松井宗信の墓などが建てられている。

また、境内には「お化け地蔵」「幽霊地蔵」と称される一体の地蔵がある。一八五三年、尾張藩士によって建立されたもので、この地蔵が建てられる以前はこの一帯で亡霊の目撃談が数多く伝えられていたが、建立後にはまったく聞かれなくなったといわれている。

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