屋敷の小人(沖縄県) | コワイハナシ47

屋敷の小人(沖縄県)

戦前の話である。那覇の某所に大きな屋敷を構えていた与儀さん一家の敷地内で、頻繁に小人たちが目撃された。

小人たちは、最初庭に面した長い廊下を、一人ずつ現われては、ちょこちょこと小走りに通り過ぎて行き、その後地面に降りると木材が積んであった山を乗り越え、そのまま離れのフール(トイレ)の中に消えていった。

一人が見たのならまだしも、家族全員が頻繁にその小人たちを見た。体長は三十センチぐらい。一様に灰色っぽい感じで、見た者によっては髪の毛が赤茶色だったとか、何か棒のようなものを持っていたとか、細部が微妙に食い違うことがあった。

ただしその姿からは、目撃者は共通して、何か邪悪な雰囲気が感じられたと語っている。小人たちは揃って暗いオーラのようなものを発しており、服装も雰囲気も陰気で、悪い事の前兆のように捉えられていた。

ある夜、トイレに起きた与儀さんは、月明かりに照らされた庭を、小人たちの一団がまるでイタチか何かのように、さあーっと通り過ぎるのを見た。与儀さんは思わず手近にあった小石を、小人たちの群に向かって投げつけた。ところが小石は小人たちの身体をすり抜けて、そのまま離れのフールにこつんと当たって、庭の上にぽとりと落ちた。

そのうち寝ている与儀さんたちの家の中にも、小人たちは現われ始めた。川の字になって寝ている家族の腹の上を、小人たちが夜な夜な通るのである。小人たちが上を通り過ぎると、踏まれたというよりも、吐き気がするような胸焼けが家族のものを襲った。

やがてしばらくすると、その屋敷の門には沢山の神ダーリをした人や、頭のおかしな老人などがやってきて、トイレの方を視ながら笑い始めた。

ある時、一人の神ダーリをした女が現われて、フールを指差しながらこう言った。

「キジムナーがいる。悪いキジムナーが、いっぱいいる」

「どうしてここにいるかね?」与儀さんはその女に聞いてみた。

「知らん。湧いて出る。次から次へと」

与儀さんにはキジムナーではなく小人が見えたのだが、もしかしたら神ダーリをしているこの女は、小人たちをキジムナーと勘違いしているのではないかと思った。

ある時、久米三十六姓(一三九二年に中国の明から沖縄に移住してきた技術者集団)の末裔の親戚の伯父が、中国に引き上げるというので挨拶にやってきた。その時に与儀さんはさりげなく、離れのトイレに何か問題ってありますかと聞いてみた。

「トイレね。もしかしてあいつが出たか」男性は頷きながらそう答えた。

「何か知っているんですか?」

「あそこには昔カー(井戸)があった。カーといってもただのカーじゃない。たとえば村の外れにあるウブガー(産井戸)は、子どもが生まれたら最初にその水で体を洗う井戸のことさ。とても神聖で、みんな拝むだろう。だがこの家にあった井戸はまったく違う。近くに遊廓があったのは知ってるだろ。遊廓には遊女がいて、堕胎手術みたいなものも頻繁に行われていた。この井戸は堕胎手術で流れた赤子を捨てる井戸だった。だから明治の始めごろにお前のオジイがここを買い取るときに、綺麗に埋めてしまったのさ」

「伯父さんも小人を見たんですか?」

「もちろん。一度はあまりに出るので、ユタを何人も呼んで拝ませた。でもみんな口を揃えて封じることは難しいといった。だが一人のユタが、ここにいるのは水子の霊だから、水子供養をすればいいといったので、首里にある寺にお願いしてそこで手厚く葬ってもらってからは出なくなった。いつから小人たちは現われたんだね?」

「最近です。ここ数ヶ月でしょうか?」

伯父さんはカーのあった正確な場所などを与儀さんに教えた。確かにその場所だけコンクリートで四角く固められていた。トイレの土台にしては何かおかしい。

それからしばらくして、与儀さんは水子を供養してもらったという首里の寺に行ってみる事にした。その寺は首里の当蔵近くにあったが、与儀さんが尋ねていった時には寺の関係者はすでに本土へ帰ってしまった後で、日本軍が敷地の半分を接収してしまっていた。そこで与儀さんは小人たちが現われた本当の理由を知った。水子供養の祠が火事で焼け落ちてしまっていたのだ。坊主も祠もない水子供養の寺には、一体どんな効力があるというのだろう?

戦火も次第に近づいていたある夜のこと、与儀さんが眠れずに庭で月を見上げていると、くだんの小人たちが一人、また一人と現われては、ひょこひょこと庭を横切り始めた。もはや恐ろしいとか、逃げようとかいう想いはなかった。ただおぞましいその存在のなかに、何か悲しみのようなものを見つけたからかもしれない。与儀さんは心の中で彼らに語りかけた。

もうすぐ戦火が沖縄にもやってくる。私たち一家はここを出て、大陸に渡っていくつもりだが、お前たちはずっとここにいるつもりなのか? 戦火がここまで及んだら、お前たちはどうするつもりだ? アメリカ軍が来ても同じ事を毎晩繰り返すだけなのか?

だが答えはなかった。

小人たちは木材の山を乗り越え、その夜もフールの方へと消えていった。

やがて与儀さん一家は、戦火が本格的になる前に中国へと渡る事になった。その日の朝、与儀家のオバアが仏壇に最後のウチャトー(お茶を供えること)をした。これから大陸に渡りますので、どうか船が沈まないように御先祖様助けてくださいと、みんなでお祈りをした。祈り終わったときに小さな地震が起きて、仏壇の位牌などがすべて倒れてしまった。それが本当の地震だったのかは、今となっては知るすべもない。

それから何年かして、与儀家はやっと沖縄に帰還することができた。帰って来た与儀さんは、那覇市全体が焼け野原になっている事に愕然としたという。

家族で家に戻ってみたが、フールも屋敷も、すべて燃えて跡形もなくなっていた。

「戦争が全部破壊したんです。その中には、あの小人たちも混じっていますよ。彼らがどこに行ったのか、私には想像もつきませんけどね」

もはや那覇市に与儀家は存在していない。あの邪悪な水子の小人たちの霊も、戦争によってすべて吹き飛ばされてしまったのかもしれない。

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