米子オバア ハダカヌユー裸世(沖縄県) | コワイハナシ47

米子オバア ハダカヌユー裸世(沖縄県)

米子オバアは若い頃、離島にも出張に呼ばれる程、人気のあるユタだった。六十歳のころに患った病気のせいで現在は引退し、北部の田舎で娘と一緒に暮らしている。米子オバアが神ダーリしたのは、中学生のときであった。

神ダーリする、というのは沖縄では日常的に話される言葉である。ターリする、もしくはダーリというのは、神にかかられる、もたれかかられる、という意味がある。つまり神がかりになって、ユタとして神の言葉を伝える前に、ほとんどのものがくぐり抜けねばならない、一種の通過儀礼のようなものだ。

米子オバアは宮古島の中学に通っている時に、おかしな声を聞いた。それは頭の中で響いているような、男性の野太い声だった。

「ウンジョーンザカイガンミヤマス?」

どこにいくのか、と方言で誰かが言うのである。授業中もひっきりなしに声が聞こえて来た。心配した親が、城ぐすく辺べにいる親戚のユタを呼んで来た。そう、米子オバアの家系は、先祖代々ユタの家系だった。

「この子は神ダーリしているからね。三代前に亡くなったオジイが、心配して出て来ているわけさ」

その声は亡くなったオジイの声だろうと、城辺のユタはいうのである。しかし声はそれから一層ひどくなり、学業が手につかないほどになってしまった。そこで母親は城辺のユタにお願いして、娘のそういった力を外してくれるようにお願いした。

どうやらそういった神ダーリしてしまったものは、力のあるユタによって外してもらうことができるようだった。城辺のユタは米子オバアを家に呼んで、大きな仏壇の前で三日三晩、泊まり込みで祈祷をしたのだが、結局それは外せなかった。

「琉球の昔にいた神様が、この子の前世と関わりがあるらしい。今回、前世で関わりがあった二百人を同時期に神ダーリさせているらしいよ。それで最後まで残った一人を自分の正式な跡取りと見なすと言っている。あんたは最後の五人に選ばれているから、もう外せないさ」

それから神ダーリはますますひどくなった。夜中に何度も叩き起こされて、まるで夢遊病のように集落をさまよったり、気がつくと自分の家系の墓の中で目が覚めたりした。集落を歩くと、四つ辻ごとに知らない人が立っていて、米子オバアを指差してげらげら笑っていたりした。そしてその人たちは、どうもこの世の人間たちではないようだった。

米子オバアが神ダーリしたと同時期に、沖縄のどこかで同じ前世で関わりのあった二百人が神ダーリしているというのは、米子オバアにとっては少しは慰めになる事実だった。神ダーリして精神病みたいになるのは嫌だったが、なぜかそれが自分の宿命のような気がして、毎日を過ごしていた。

やがて神ダーリした日から数えて一年後に、米子オバアの神ダーリは解けた。

その日から意識がクリアになり、他人の後ろに憑いている良い存在、悪い存在と話が出来るようになった。すでに高校時代には、ユタとしてたくさんの顧客を抱えていた。

高校を卒業すると、後ろの神様から「本島へ渡れ」と命令されて、親戚がたくさんいる北部へと引っ越して来た。そして今に至るというわけだった。

時折記憶があいまいになるが、今でも米子オバアを頼ってハンジ(見てもらうこと)に来る人は数多い。そして米子オバアは毎週かかさずウタキまわりをする。

ある日、集落の根ねー屋やと呼ばれる家でウガンをしていたときのこと。そこは集落で最初に移り住んだ人の家跡で、新築された家の中にはたくさんの仏壇が並んでいる。そこで朝のお勤めをしていると、ドアが開いて、何かが根屋の中に入って来た。

それは人の形をした煙のようなものだった。

「あー、お前はハダカヌユーだね。ここはお前のいる場所じゃないよお。とっとと出ていくんだよ!」

相手はその言葉にひるむことなく、家の中にずかずかと踏み込んで来た。

「ハダカヌユーめ、消えなさい!」

そう米子オバアは言ったものの、その煙のような存在は米子オバアの体の中に入って来た。体の中を吐き気のする感覚がぐるぐると渦巻くのを感じた。手足がしびれて、動けなくなった。

そのとき、たまたま近くの新里商店の綾子オバアが根屋にやってきた。根屋の畳の上で一人でもだえている米子オバアを見て、綾子オバアはてっきり発作を起こしていると勘違いした。

「あい、米子オバア。大丈夫ね!」

そういって綾子オバアは米子オバアの背中を、ぽん、ぽん、と二回叩いた。

同時に米子オバアに取り憑いていた煙のようなものが、するりと外に出てから、今度は綾子オバアの背中から中に入ってしまった。

米子オバアは気がついたが、今度は横の畳の上で綾子オバアが白目をむいて唸っていた。

「これはデージさ。集落のノロを全部呼ばんといけんさ!」

米子オバアは公民館に電話をして、嘉手納さんに「集落のノロを全部根屋に呼び集めなさい!」と命令した。

それから一時間もしないうちに、集落のノロ、ユタ、本土から移り住んでいるスピリチュアルカウンセラーの女性など、いわゆる霊感のある人が十人以上根屋に集まって来た。

そこで米子オバアは、綾子オバアが悪いものに取り憑かれていること、これを祓うにはみんなの協力が必要なことを説明した。

「綾子オバアに取り憑いているのは、ハダカヌユーだよ。みんな、心してかからないといけないよ」

それから米子オバアは、ハダカヌユーについて、みんなの前で説明し始めた。

それはそれは、恐ろしい存在であり、昔からそこにいるもの、あるいは根源的な諸悪の元締めのようなものでもあるという。沖縄には昔からムン、あるいはマジムンと呼ばれる存在がいるが、米子オバアによると、それらはほとんどすべてがこのハダカヌユーのせいなのだという。

裸世(ハダカヌユー)とは、もともと人間であった存在である。紀元前のこと。沖縄に暮していた人々はその時代、大規模な干ばつと飢饉に襲われた。

そこで横行したのが、人々の間での共食いであった。共食いをした人は、相手の魂までをも喰らうことになる。それを繰り返していると、次第に人々の魂は汚れ、理性よりも獣性が支配するようになる。こうして生まれたのがハダカヌユーと呼ばれる存在であった。衣服を持たない時代に生まれたので、それが裸世と呼ばれる所以である。ハダカヌユーはよくウタキや、その時代から残っている貝塚などに良くいるといわれている。視える人には黒い小人のような影に見えたりするのだが、人間を襲ってくるものと襲ってこないものがいるらしい。だがハダカヌユーがいる場所は、いろんな兆候が現れるらしい。

まずハダカヌユーがいる場所は、雰囲気が重く、のしかかられるような感じがする。抜け出そうにも、タールのようにその重い雰囲気がまとわりついて離れない。そんな感じを及ぼすと言われている。

また匂いも重要な兆候である。山にいても、家の中にいても、いきなり濃い潮の香りがすることがあれば、それは要注意である。

その集落には、昔からの貝塚があったのだが、そこにもハダカヌユーがいて、ときおり町中までやってくることがあったそうだが、今回のように人に取り憑くのは異例だった。

米子オバアは畳の上でもだえ苦しむ綾子オバアを囲んで、ユタ、ノロたちを座らせた。

そして周囲の人たちに心で協力することをお願いして、自らグイスと呼ばれる祝詞のりとを唱えだした。グイスを唱えるのはおおよそ一時間にも及んだ。

儀式が終わる頃には米子オバアは汗ぐっしょりで、綾子オバアは儀式が終わると「どうしたねー?」と気楽な感じで起き上がってから、そのまま新里商店の店番に戻っていった。

その日は、何事もなかったかのように、新里商店は日が暮れるまで開いていた。

米子オバアによると、ハダカヌユーは殺したり、天国に上げたりできないそうである。あまりにもこの世への未練が強く、執着しているために、あの世の世界にも行けず、かといってこの世の世界でも居場所をなくし、今では見捨てられたウタキや井戸の中、あるいは貝塚や昔の墓などにひっそりと暮しているという。だが人間の怨念や恐怖のある場所には集まってくる習性がある。

ハダカヌユーに関しては、こんなこともあった。

米子オバアの孫のカズキくんが免許取り立ての頃、沖縄市にある峠で事故をした。電話を受けた米子オバアは、何か不穏なものを感じたので、娘に車を飛ばさせてすぐさま事故現場へと向かった。そこはゆるやかなカーブのある峠だったが、横の林の中に廃棄された井戸があった。米子オバアはそこにハダカヌユーの存在を感じたので、すぐさまグイスを唱えると、いきなり井戸の中から大きなハブが姿を現した。ハブの後はこぶし大ほどもあるアフリカマイマイが十匹ほど、井戸の中から姿を現した。井戸の底に、何十体ものハダカヌユーの存在を感じた米子オバアは、なんとか封印しようと試みたが、無駄だった。

その峠では今も頻繁に事故があるそうだが、すべてはその廃棄された井戸に巣食うハダカヌユーのせいなのだという。

集落の中にある貝塚には、ハダカヌユーが山ほどいるそうである。米子オバアは長年、ハダカヌユーがそこから逃げ出さないように、いろんな策を講じてきた。霊石(ビジュル)を東西南北に置いて結界を張ったり、念を込めた仏像を安置したり、魔除けのシーサーを置いたりした。だがどれもあまり効果がなかった。

またハダカヌユーは神様にも化けるそうである。とある仏壇にウガミに行った時に、その仏壇の奥に顔つきの非常に柔らかい神様がいた。

米子オバアは意識を神様に向け、挨拶と感謝を伝えたのだが、神様は一向に顔つきを変えずに、米子オバアを無視した。何かがおかしいと感じた米子オバアは、ピンと来たらしい。すぐさま相手に対して「このハダカヌユーめ!」と言ったところ、穏やかな神の面はいきなり鬼面と化し、米子オバアに飛びかかって来た。

こういうことは、よくあるそうである。

くだんの拝所の奥、太古から存在する貝塚の中にも、ハダカヌユーはいた。だから米子オバアは決して貝塚には近寄らない。近くに神様の拝所があるのに、どうしてハダカヌユーを好き勝手にさせるのかと思うかもしれない。だが神様は神様の視点で見ているらしい。神様から見れば、ハダカヌユーも人間も同じ存在なのだろう。神様はそこまで口を出さないのだろう。

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