ピッピ靴ぐつ(東京都) | コワイハナシ47

ピッピ靴ぐつ(東京都)

幼児の履き物で、通称「ピッピ靴ぐつ」なるものをご存じだろうか?正式な呼び名は決まっておらず、靴販売店に問い合わせたところ、業者の間では「ふいご靴」もしくは「笛付きシューズ」「笛付きサンダル」と呼んでいるという回答を頂戴した。

どんな物かというと文字通り、靴底に仕込んだふいごと笛が歩くたびに踵で押されて「ピッピ」と可愛らしい音を立てる、幼児用の安価な普段履きである。近年は音が耳障りだとする苦情が増えて流行はやらなくなったようだが、一九六〇年代から八〇年代(昭和三〇年代半ばから平成元年)ぐらいまでは、これを履いている幼児をよく町で見かけた。私も幼稚園の年少さんの頃までピッピ靴を履かされていた。

いつものように朝から書き物をしていたら、久しぶりに聴く懐かしい音を耳にして、これはもしやピッピ靴ではないかと思って窓の外を見渡してみたら、艶やかなおかっぱ頭が隣のマンションの庭で日の光を跳ね返していた。

うちはマンションの五階にあり、隣の建物の庭までは距離がある。へえ、これだけ離れていてもピッピ靴はよく聞こえるものだなと感心し、だから嫌われるのだろうと納得がいった。私自身は嫌いではない。昭和の頃を思い出して懐古趣味に浸ひたるだけである。

赤いピッピ靴を履いたおかっぱ頭の子は二つか、せいぜい三つぐらいで、白いブラウスの裾を赤い吊りスカートのウエストにたくしこんでいて、靴下を穿はいていなかった。

靴だけでなく、そんな恰好までも懐かしいようだ。幼い頃の私の写真に似たようなスタイルのものがある。春先のことだったから、素足は寒々しく感じたが、きっとあのマンションの子なのだと予想した。すぐに連れ戻されるのだろう、と。

見ていると、黒っぽい浴衣を着たお爺さんが隣のマンションの一階の庇の影から現れた。浴衣を部屋着にしている老人はたまにいる。お爺さんは女の子の片手を捕まえて、庇の影に引っ張っていった。すぐに二人の姿は見えなくなった。

それからというもの、雨や雪でも降らないかぎり毎朝ピッピ靴の音が聞こえるようになった。私は七年経つまで気に留めなかった。ピッピピッピというあの音は、私のとっては雀の声のようにあって当たり前になっていたのである。

きっかけは忘れてしまったが、某出版社の編集担当・サトウさんとピッピ靴のことが話題になり、うちの近所に履いてる子がいると話しはじめて、はたと気づいた。

ごく小さな子供用の履き物だ。同じ子が成長しつつ七年間も履きつづけられるわけがない。しかしもちろん、お下がりを履いている妹たちがいる可能性や、近所に他にもピッピ靴を履いている幼児がいる場合も考えられる。

翌朝はひどく冷え込んだ。一一月初旬だったのだ。

またピッピ靴が聞こえてきたので、隣の庭を見下ろすと、いつか見たおかっぱ頭、赤い吊りスカート、素足に赤いピッピ靴が見えて、うなじに氷を当てられたような気がした。少しして、庇の影が濃くなって膨らんだかと思うと、黒っぽい浴衣のお爺さんの姿を生じさせた。お爺さんが女の子の手を引いて庇の下に入る──七年前に見た光景と違うところがあったかしらと必死に記憶を探っているうちに、二人の姿は見えなくなった。

彼らが何者かはわからないが生きている人ではないようだとわかり、その後は、ピッピ靴の鳴る音が始まっても努めて無視している。

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