いけばかの蚊柱(東京都八王子市) | コワイハナシ47

いけばかの蚊柱(東京都八王子市)

私が小学校四年生から成人するまで過ごした八王子市辺りの東京の山間部には、一九六五年(昭和四〇)ぐらいまで〈いけばか〉と〈まいりばか〉というものがあった。

前者は「埋け墓」、後者は「参り墓」と書くのだろう。亡なき骸がらを〈いけばか〉に埋葬してしばらく置き、白骨化した頃を見計らって掘り起こして〈まいりばか〉に改葬するのだ。

殺人事件や遺体遺棄事件が起きて、すっかり心霊スポットとして有名になってしまった八王子市鑓水の「道了堂」は小学生の頃の私と仲間たちの遊び場所で、当時はお堂やその他の建物が廃屋となりながら残っていた。お堂の裏には汲みあげポンプ式の井戸があり、井戸から森の中に伸びる大人の肩幅ほどしかない細い小道を数メートル行くと、そこに打ち棄てられた粗末な墓石があった。

小四の社会科見学で行ったとき、私たちを引率した先生に誰の墓かと訊ねたら、堂守の家族の〈いけばか〉だったのだと思うと答えた。そして〈いけばか〉は遺体の肉を腐らすだけだから〈まいりばか〉に比べて簡易なのが通例だったと説明してくれた。

一〇歳の子供には「肉を腐らす」という表現が刺激的で、今に至るまで、そのときの先生の表情を含めて忘れられない出来事だ。

先生は八王子市内の由緒のある寺院の次男で戦前派だったから、地元の古い習俗をよく知っていた。先生の実家の寺には、元は〈まいりばか〉だったお墓がいくつもあって、どれもとても立派なのだとも話していた。

私は、社会科見学の後にも道了堂に遊びに行った。ことに夏になると、腰に蚊取り線香をぶらさげてしょっちゅう訪れた。カブトムシなどの甲虫が捕れたからである。

先生からあんな話を聞いてからは〈いけばか〉の存在が気になり、道了堂で遊ぶたびについでに見る習慣がついた。「怖い物見たさ」というやつだった。

夏休み中、朝食前に友だちと連れだって虫捕りに行ってみたら、〈いけばか〉の前に薄黒い人影が浮かんでいて悲鳴をあげたが、よく見たら濃い蚊柱だったということがある。

墓石の前が掘り起こされて穴に水が溜まり、そこから大量の蚊が湧いていたのだ。

私たちは、「誰かが死体を掘り起こしたんだ!」と興奮したが、当時ですら全国で火葬が義務化されて久しかったのだからそんなはずはなかった。

ただ、あのとき蚊柱は不思議なぐらい人の形を取っていた。土に滲みこんだ腐肉の成分の主が、墓を荒らす悪戯者に何かを警告したくて現れたのだろうか。

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