夜の教会(兵庫県加西市 丸岡教会) | コワイハナシ47

夜の教会(兵庫県加西市 丸岡教会)

「私の拙ない表現力で伝わるかどうか不安ですが……。ずっと以前、私は兵庫県内の会社まで、片道二〇キロの道を、自動車で通勤していた時期がありました。

もう三〇年ぐらい前のことになります。その夜も私は車で帰路についていました。いつもと違ったのは、その日は翌日の仕事の準備が押してしまって、会社を出た時点ですでに真夜中の一二時を過ぎていたことだけでした。

遅くなってしまったので、初めは急いで帰ろうと思って飛ばし気味に車を走らせていたのです。でも一〇キロばかり行ったあたりで、急に睡魔に襲われました。

就職してから数年が経ち、通いなれた道です。目の前に電車の踏切がありました。踏切を越えたら見渡す限りの田んぼの中の一本道で、滅多に車も人も通らないことを私は知っていました。そこで仮眠を取ることにして、踏切の三〇メートルばかり先の路肩に駐車しました。シートを倒して目を閉じると、たちまち眠りの中に引き込まれました。

しばらくして周囲がガヤガヤと喧しくなり、目を覚ますと、さっきまでは田んぼの中の一本道にいたのに、私の車の左横に道が出来ていました。つまり、忽然と現れたその道を『Tの字』の縦の棒だとすると、それを塞ぐ形で私は車を停めていたのです

その道は、映画でしか見たことがない昔のガス燈のようなものに囲まれていて、眩しく照らしだされていました。先に行けば行くほど明るくなる道の突き当りに、キリスト教の教会の建物があるのが見えました。

教会もライトアップされていて、非常に美しい景色です。

そして、そろそろ午前一時になると思うのに、大勢の人々が和やかに談笑しながら照らされた道を歩き、教会へと向かっていました。

私を眠りから起こした喧騒は、教会へ行く人々のざわめきだったのです。

『あかん。皆の邪魔になっとる』

私は車を動かそうとしました。しかし人が多いので無理をしたら轢いてしまう。

『すんまへん。車を動かしますからどいてください』

そう叫びましたが、誰もこっちを向いてくれません。しょうがないから少し人の流れが収まるのを待っていると、だんだん人が少なくなり、とうとう最後の一人を残すだけとなりました。その人は優しそうなお爺さんで、急に私に話しかけてきました。

『今日は教会のお祭りやさかい、あんたも一緒に参ったらええ』

『いや、私は通りかかっただけやし、明日も仕事やし、遠慮しときますわ』

──断ったら、スイッチを切るみたいに目が覚めました。

さっきまでの睡魔が嘘のようにスッキリしていました。時計を見ると車を停めたときから五分しか経っていません。車の左横に道はなく、明かりもなく、元の一本道に戻っていました。短い間に変な夢を見たなぁと思いながら家に帰りました。

翌日、仲のいい会社の同僚にその話をすると、面白がってもらえると思ったのに、『教会の前なんかに車を停めるから、そんな夢見るんや』と一蹴されてしまいました。

『教会?教会なんかあらへんよ。あそこらは田んぼばっかやで』

『あるよ。丘んところに丸岡山教会いうのがあるから、探してみぃ』

何年も通っていた道なのに私は知らなかったのです。その夜、前の晩に車を停めた場所に行って周囲を観察すると、こんもりとお椀を伏せたみたいに盛りあがった丘が目に入りました。木々に覆われた丘で、田んぼを海だとすると、小さな島のような印象でした。

私はそこへ近づき、丘の裾野に沿って反対側まで行ってみました。

すると本当に教会がありました!しかも、ガス燈こそありませんでしたが、夜にもかかわらず礼拝堂に灯りが点いており、何人もの人影が動いていました。

礼拝堂に入ろうとするお婆さんを呼びとめ、私は恐る恐る、こんな時間に教会で何をするのか訊ねたのですが、答えを聞いた途端に腰が抜けそうになりましたよ。

『今日はお葬式があるよってね』

兵庫県加西市の丸岡山教会です。今でもあると思いますよ」

丸岡山教会はグーグルマップですぐに見つけられた。周囲を広い田畑に取り巻かれていて、なるほど、たしかに離れ小島のようでもあった。私は、鎮守の森のキリスト教版という見方もできると思った。田園の真ん中の麗うるわしいサンクチュアリだ。

この逸話を語ってくれた神田さんは、五〇歳を過ぎた今も時折、ライトアップされた教会の夢を見るという。そして夜の教会の夢を見た翌朝は、爽快な気分で目が覚めるそうだ。

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