ジンタンの遺灰(東京都) | コワイハナシ47

ジンタンの遺灰(東京都)

山田浅右衛門の〈人肝丸〉や口中清涼剤「仁丹」のことを書いたので、ついでに。

私が昔飼っていた猫の名前も「ジンタン」といった。仔猫のとき小さくて体つきが丸く、銀灰色と焦げ茶が縞しまになった毛並みから、なんとなく銀色の「仁丹」を連想してその名を付けた。

ジンタンは五歳を目前にして腎臓病で死んだ。

まだまだ生きられる歳だったから不憫でならなかった。忠犬のように私の帰りを待っており、玄関に迎えにくる猫だった。元気な頃はやんちゃで食いしん坊で、長じるにつれ狸に似てきた。食事するときも寝るときも、私たちはいつも一緒だった。

最期のときは、私が仕事から帰るとすぐに手の中で息を引き取った。私が帰るまで死ぬのを堪こらえていたのだとわかり、切なかった。

ジンタンは痩せて小さくなっていたから、短靴が入っていた靴箱に亡なき骸がらがすっぽりと納まった。花とお気に入りのおもちゃを入れて蓋ふたをして、風呂敷で包くるんで、尾霊園龍雲山髙乘寺でお経をあげてもらい、火葬にした。

そのまま境内にある犬猫霊園の共同墓地に納めることも出来たけれど、どうしても別れ難く、私は骨壺を自宅に持ち帰り、額に入れた生前の写真と並べて書き物机の上に置いて、朝な夕なに話しかけた。

しかし間もなく、私は当時の夫と離婚して、実家に戻ることになった。そのとき諸事情あって、一日のうちに荷造りして家を去った方がいいという緊急の状況に陥り、ジンタンの骨壺を抱いて行く余裕がなかった。

心が破れて血が流れるかという気がしたが、私は骨壺の蓋にしっかりとガムテープで目張りをし、ぐるぐると藤色の風呂敷で包んで紐ひもで縛り、ダンボール箱に詰め込んで、振り捨てるように宅配便で実家に送ってしまった。

私は実家で骨壺が届くのを待った。翌日、日が暮れて、もう今日は来ないのかとあきらめかけた頃になって届き、すぐにジンタンを出してやらねばと思い、私は急いでダンボール箱を開けた。

ダンボールの中に白い粉が少し落ちていた。藤色の風呂敷の表面も粉にまみれている。

震える手で紐と風呂敷を解いてみると、骨壺が現われた。目張りは剥がれていなかった。

なのに、風呂敷の中には手ですくえるほど粉が──遺灰がこぼれていたのだった。

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