駐屯地に彷徨う旧日本軍の亡霊(札幌市南区 真駒内) | コワイハナシ47

駐屯地に彷徨う旧日本軍の亡霊(札幌市南区 真駒内)

真駒内駐屯地の歴史は長い。北海道開拓すぐの明治9年には「真駒内種蓄場」が開設される。その後、「北海道庁種蓄場」、「北海道農業試験場」と名称が変わり、北海道の酪農と畜産を担っていた。

つまり最初は軍というより、屯田兵の開拓の場であり、農業畜産の場だったといえよう。

その後、徴兵制が始まってからは強大な軍部として成長していった。

だが、戦後すぐからアメリカ軍の進駐、駐留基地となり、鉄道の技師の名前からとられた「キャンプクロフォード」という名称で呼ばれる。

それは最大規模の千歳基地も同じく10年間はアメリカ軍の占領業務を行っていた。

日本軍として師団があったことはもはや昔のこと。10年のうちにアメリカ軍の指導により、警察隊、自衛隊と編成されていった。

これは昭和29年、ちょうどこの進駐軍が撤退し、日本の自衛隊が発足する当日夜に起きたことだった。

Yさんは初めての自衛隊として門の警衛に立っていた。

日が落ちる頃、地鳴りのような音が聞こえる。

(何だ……まさか地震か何か……)

音のする方向を見るが、特に何か動いてるわけでもないし、不審な人間もいない。

再度、門の前で立つ。

向こう側に立っている警衛もYさんを怪訝そうに見ている。

(何だ、地鳴りが聞こえたのは俺だけか……)

「うわっ」

向かい側の警衛が小さく声を上げた。彼が指さしてる方向を見た。

その時。

ものすごい勢いで旧日本陸軍の歩兵隊がこっちに向かってきていた。

カーキ色の軍帽とマント。資料館などで見た軍服の集団だった。

先頭の中尉か大尉らしきブーツの男が、Yさんに向かってやってくる。

「ご苦労だった」

耳奥に響くような低い声。勢いよく門に入って来る彼らを止めることもせずにただ、

「ハッ」

Yさんは敬礼をして、彼らが通り過ぎるのを直立不動で見つめていた。

中隊(2,300人)くらい居たんじゃないだろうか。

駐屯地内に入っていく。やっと振り向いたら、もうその姿はかき消えていた。

向かい側の警衛もまた敬礼したまま直立不動で前を見ていた。

その後からこの駐屯地では不思議なことが起きるようになった。

Yさんが部屋の掃除をしていると、誰もいないのに肩を叩かれたり、寝ていると膝を引っ張られたり。

飲んでいる先での写真でも数人の影が後ろに映っていたり。

転勤で九州の駐屯地に異動となったら、そういった現象はなくなった。

レンガ造りの資料館は湿気も多く、展示品にもマネキンが軍服を着たりと、やや不気味な感じがあって七不思議や噂も飛び交うが、Yさんは言う。

「だって、中隊の兵士達が住み着いてますからね、あの日以来」

戦争が終わるまでこの地は、日本陸軍、月寒第25歩兵連隊として、またのちの旭川の第11師団の基礎となる陸軍の拠点だった。

帝都札幌を守るとともに、日露戦争、尼港事件、シベリア出兵と活躍した勇敢な軍隊だった。

最もロシア国境に近い位置の北海道の軍隊は、常に北の脅威があったのだ。

進駐軍が居なくなった後に戻ってきたのは、意味深いものだと思う。

今も土地を守り続ける魂は、この駐屯地あってこそかもしれない。あの中隊はまだ国を守る心意気で戻ってきているのならば。

雪まつりの開催などで有名だったこの駐屯地は、強い霊気に守られているように思う。大きなものを作りだす力は、人間の力だけではない時が多い。

シェアする

フォローする