弁天山の洋館の祟り(福島県福島市) | コワイハナシ47

弁天山の洋館の祟り(福島県福島市)

福島県福島市にある通称〈弁天山の洋館〉は、昭和時代から地元では知る人ぞ知る心霊スポットだったが、一〇年前(二〇〇七年)に稲川淳二氏が自身のビデオシリーズ「恐怖の現場」で取り上げたことで一気に全国的に有名になった。

二〇〇九年(平成二一)頃、当時、都内の専門学校に通っていた石倉さんは、オカルト好きな仲間たち四人と〈弁天山の洋館〉を訪れた。

仲間のうち、リーダー格のひとりが福島市出身で、彼がお盆に合わせて里帰りするのに便乗して皆で東京からついていったのだ。リーダーは過去にもここを訪れたことがあり、館の建物の中で悪霊退散のお札を見たと話していた。『恐怖の現場』で〈弁天山の洋館〉を知った石倉さんはリーダーの話を聞いて、「稲川淳二さんと同じだ!」と興奮した。

「凄くドキドキして、そりゃあ少しは怖いんだけど、はしゃいでました。リーダーが車の運転が出来たから、リーダーの家に泊めてもらったあと、翌朝、近くまで車でドライブして、途中から歩きで……。問題の洋館風の建物や、ビデオでも紹介されていた敷地内の神社は、とっても不気味で雰囲気満点でしたよ。でも真っ昼間でしたし、僕を入れて五人でワーワー言いながら現場を探検するうちに、僕はちっとも怖くなくなってきました。だけど、リーダーが途中で急に、『帰るぞ!』と言い出して、理由を訊いても教えてくれず、とにかく『帰る』の一点張りになったので、まだ陽が高かったけど、山を下りて引き揚げたんです」

石倉さんと他の三人は、日が沈むまで居て、怪奇現象に遭あう気満々だったので不満だった。ただ、リーダーが急に血相を変えて帰りたがったことが、怖いと言えば怖かった。

石倉さんたちは、何か奇妙なものを見たのではないかとリーダーを追及した。

するとリーダーは「窓のところに生首があって、僕らのことを睨んでいた。気づいた瞬間、『これはもう祟られる、逃げられない』とわかった」と話して、声をあげて泣きはじめた。「ごめんね、皆。連れてきてごめん!」と謝りながら泣くのである。

恐ろしくてたまらず、石倉さんたち四人は予定を切り上げて東京に戻った。

帰郷から六日後、福島市の実家に残ったリーダーの訃報が届いた。車を運転中、ガードレールを破壊して山肌に突っ込み、即死だったということだ。

石倉さんはリーダーの葬儀に駆けつけたいと思ったが、その頃付き合っていた恋人と海水浴に行く約束をしていたので、迷った挙句、香典を送るだけにした。

他の三人も、いろいろ理由をつけて、葬式には行かなかった。先輩が死んだから弁天山に近づくのが怖くなったのだと思う、と石倉さんは推測している。

「その後しばらくは何にも起きなかったんです。でも一年後のちょうど同じ頃、三人のうちのひとりがスズメバチに刺されてアナフィラキシーショックで亡くなり、それから一年後の同じ時期に、またひとり、自殺してしまいました。そこで僕ともうひとりは話し合って、一緒に神社でお祓いしてもらうことにしました」

お祓いしてもらう神社を選ぶにあたって、オカルト好きな彼らは、中央区の「小網神社」にしようと意見が一致した。

なにしろ「小綱神社」には、第二次世界大戦の東京大空襲を受けても社殿や鳥居が焼かれず、出征した兵士のうち、ここに足を運んだ者は全員に無事に帰還したのだという。この実績があるお陰で、厄除けのための参拝客が日本全国から引きも切らずに訪れる。

「厄除けするなら小網神社ですよ」と石倉さんは今でも確信している。

生き残った二人は、同じ日にご祈祷の予約を入れた。しかし当日、もう一人は小綱神社に来られなくなり、石倉さんだけがお祓いしてもらうことになった。

「朝から頭痛がひどくて、我慢できそうにないから病院に行くと言って……。あとから聞いた話では、僕に知らせてきた直後に嘔吐したと思ったら倒れてしまい、同居していた家族が慌てて救急車を呼んだそうです。クモ膜下出血で緊急手術しましたが、助かりませんでした。五人のうち僕だけが未だに無事です。悪い偶然だと言う人もいますが、僕には洋館の祟りだとしか思えないんですよ」

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