地球岬の断崖と遊郭女郎の霊(北海道室蘭) | コワイハナシ47

地球岬の断崖と遊郭女郎の霊(北海道室蘭)

「地球岬」とはアイヌ語の「断崖」チケウという言葉をもじって来ている。この地域は「ポロ・チケウ」と呼ばれ、「親である・断崖」という意味だ。

ここは美しい海が見渡せる観光名所となっている。

だが、自殺の名所だったことも忘れてはならない。

室蘭は明治以降、重工業が盛んになった土地。

しかして、重労働の男性達の街には色街が必ずある。

苦しい労働を癒してくれるのは、柔らかく温かい女性の体だった。

だが、望んでその務めを果たす女性は少なかった。

明治から昭和初期にかけて、東北の貧しい小作人の娘が遊郭に売られてきていた。年齢も10歳から売られる。

お茶屋の舞妓さんと遊郭の女郎は違う。

遊郭は今でいう風俗と同じこと。それを10歳の娘にもさせてきた。

この断崖を希望の岬と見たか、絶望の断崖と見たか。

青森から親に売られてきたハツは、まだ12歳だった。

連絡船に乗って海を越えて北海道に来た。何をするのかも聞かされてはいなかった。請負人がハツと数人の村の娘を連れて、この室蘭へ向かった。

身売りの請負人は言葉が少ない関西訛りの中年の男だったが、この地球岬に立ってこう言った。

「ここから逃げ出したらあかんで。逃げても何もええことない。おめさんらの親が苦労するだけのこっちゃ。見てみい、この絶壁。海に逃げても落ちて死ぬだけってわかるやろ。だーれも助けへん。生きて自分の仕事するだけや。どんな嫌な事でもな。戻る場所なんかあれへんで。ここで……とにかく生きんのや」

ハツは黙って聞いていた。数人の娘も何も言わなかった。

男は少女たちに振り向きもせず、黙って岬から海を見ていた。

とにかく逃げだすな、という恐怖の言葉しか耳に残ってなかった。

女郎宿についてからは、その次の夜には化粧と派手な着物を来て、男を取るように言われた。炭鉱や鉱山、色んな労働者の男が相手だった。

ハツは目を閉じ、自分の運命に従うしかなかった。まだここにいればご飯が食べられる。青森の弟や妹が自分の売られた金で、ごはんを食べることができる。

少しの間、男の前で女になっていれば、皆が幸せになるんだ、と。

色白で美人だったハツは、それなりに男にちやほやされ、1年後には宿の指名も多くなり、女将さんもハツに対して甘い態度をとるようになった。

一方、一緒に宿に入った13歳のキヌは、見た目が器量よしでもなく、少し足を引きずる障がいがあった。股関節が開かないので、男を取るのも難しいからと、雑用も含め、1日中下働きの上、格安で男を相手にする最下級の女郎、見世女郎になった。

ひどい時は、雪の日に藁の上に座りお客を取るようなこともさせられた。

それでもなかなか客がつかなかった。

キヌは自分の境遇と、美人で人気のあるハツを恨んでいた。

労働に疲れて宿にやってくるお客さんの中に、清水という男がいた。

キヌはこの男が好きだった。

浅黒く日焼けした男たちばかりの中で、清水だけは色白の文学青年のような線の細い雰囲気があった。

清水は青森の大地主の息子で、小説家を目指す帝大の大学生だった。しばらく休学して、室蘭や札幌を中心に放浪しているいい御身分。

キヌはハツと清水の寝る部屋にお酒や食事を運ぶ役割だったが、布団で寝ている清水の白い美しい男の体を見るのが好きだった。

一度、ハツが別のお客の元へ行った隙に、布団に裸で寝ている清水の横にすべりこんだことがあった。

寝息を近くに感じ、清水の胸、顔をまじまじと見つめ、気づかれないようにそっと出る。心臓が高鳴り、声が漏れそうになる。

それだけで良かった。

それだけで、明日生きる希望になる。

だんだんとエスカレートし、清水とハツとの部屋でのたわむれも、抱き合う姿も覗くようになる。まるで自分が抱かれているかのような感覚になるのだ。

覗くたびに、自分を自分で抱きしめる。

だが、その小さな幸せもほころびはじめた。

清水はハツを毎日のように通い、求めた。

ハツは清水の人権を尊重する、理想的な社会論を聞くたびに、人間性に惹かれていった。女郎として2年過ごし、14歳になったハツはまだ思春期。世の中の構造に疑問を持つ年齢だった。

とりあえず金のため家の為、体を売るのは間違っている。ハツは本気で清水を求めるようになっていた。

二人は心から愛し合っていたのだ。だが清水は学生、実家に遊女なんて連れて行ける訳がない。もう心中か、どこか遠くへ行くしか道はなさそうだった。

「ハツ、明日の夜、あの岬で待ち合わせよう」

「どうやって逃げるの?」

どうやら足抜けの相談だった。キヌは慌てた。ハツなんていなくてもいいが、ハツに会いに清水が来なくなるのは困る。

その頃キヌはハツさえいなければ、清水は自分に振り向くと勘違いしていた。お茶を運ぶ時も、清水は笑顔でキヌと話す。ハツの次は私狙いに間違いない。

ハツは勝手に恐ろしい考えを持ち始める。

足抜けの夜、宿でナンバーワンのハツが上客の会社のパーティに行くと言って、女将さんがニコニコして見送った。

キヌはすかさず言った。

「女将さん、簡単に外に一人で出して大丈夫ですか」

「あの子ももう一人前だからねえ。稼ぎ頭だから仕方ないよ」

「でも、女性が夜道を歩くのは危ないでしょ? 犯されでもしたら損ですよ」

「そうだねえ。今日は番頭もいないし……あんた迎えにいけるかい?」

キヌはしめしめと思った。

待ち合わせの時間、暗い中にハツと清水が岬に立つ。その後ろにキヌは立っていた。二人が抱き合ったりキスしたり。目の前で見るとイライラしてきた。

船でも待たせているんだろうか。車? どうやって逃げるんだろう。

断崖絶壁の上に立ち、二人は話始めた。

「ハツ、来世でも一緒になろう」

「清水さん、ほんとよ、ほんとに愛してる」

二人の声がよく聞き取れない。

暗いし、もう少し近づいて……ハツを突き落としてやろう!

その時だった。

清水がハツを突き落とした。

声も出さずにハツは落ち、ザバーンと音がした。

「えっ」

キヌは驚いて声を上げてしまった。

清水がギョッとして振り向く。

「誰だ」

「き、キヌです、ハツと同じ宿の……」

「ああ、あのお茶を運んでくれる子か……」

清水がまじまじとキヌを見た。キヌはうつむいた。

「落ちるの、見た?」

「へ、へえ、清水さんが押して、落ちました」

清水がキヌの手を掴んで、自分の胸に抱きよせた。一瞬の事で、男に慣れていないキヌは声も出せず、ただドキドキしていた。

「君、僕が好き?」

「へ、へえ」

「僕知ってるんだ。君がこっそり僕の横に添い寝したり、ハツとのこと、覗いたりしていたのをね」

「す、すみません!」

「いいよ。今日ハツと心中する予定で来たんだ。でも君が話しかけたから、その気分じゃなくなった。これからは君を指名しようかな」

「清水さん、それほんと……」

キヌは人生最高の言葉をもらい、目の前の清水の甘い声にうっとりしていた。

「でも、ハツが生きて登ってきたら怖いな、僕こう見えても高所恐怖症なんだ、君がここから覗いてくれない? 腰を掴んでおくからさ」

「へえ、わかりました!」

キヌは清水のために、海を覗くため体を乗り出す。清水がキヌの腰を手で支える。その手が腰に置かれているだけでも、キヌは最高の気分だった。

「清水さん、しっかり支えててくださいよ、海面には浮いてないみたいです」

「もっとよく見て。上がってきたら厄介だからさ」

「清水さんはハツが好きなんだと思ってました」

「好きだよ。でも子供ができたって言うからねえ。それは困るんだよ」

「……それじゃ最初から心中は……嘘?」

清水が舌打ちした。そして手を離し、キヌのお尻を足で蹴った。

キヌの体が空中に浮いた。そして真っ逆さまに海に落ちていった。

「ぎゃああああああ」

ザバーンという音と共に、清水は立ち去った。

「小作人のクソ女郎どもが」

清水はそう吐き捨てると少し笑みを見せて歩き出した。

一週間後、ハツとキヌの遺体が上がった。ハツは妊娠4か月だった。

足抜けしたくて、二人で仲良く身を投げたんだろうと警察は判断した。こういう自殺が当時は後をたたなかったからだ。

その後、清水も、東京で小説家になった後、何度も芸子や遊女と心中を繰り返し、相手だけ死ぬ結果が続いた。

だが、6回目に本当に入水の心中自殺で死ぬことになった。

この男は潔癖症の上、自分が大嫌いで、自分の遺伝子を残す子供を女がはらむと、殺したくなる衝動になる性癖だった。

因果応報であろう。ハツやキヌの霊が彼の精神も病ませたともいう。

今でも地球岬にいると、方位磁石が狂うという。

違う磁力がこの岬にあるのかもしれないし、行き方知れずの霊魂たちが道を迷い、立ち寄る人々にその思いを伝えようとしているのかもしれない。

そして、この人買いの遊郭が、風俗防止法ができた昭和33年まで続いていたことを忘れてはならないだろう。

性の生き地獄から逃れるために身投げした女性達が多くいた現実も。

逃げようと思っても、この断崖が希望でなく絶望にしか見えなかった頃の話。

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