河原町団地二(神奈川県川崎市) | コワイハナシ47

河原町団地二(神奈川県川崎市)

小嶋さんに、幽霊を見たことがあるという幼なじみの野村さんという女性を紹介してもらった。彼女は私に「(自分には)霊感がある」と言った。

「河原町団地は、今は住人が高齢化して少なくなっているはずですが、私には昔みたいに大勢の人で溢れてるように見えるんです。広場とか、公園とか、団地の中の小学校とか」

野村さんと小嶋さんが三八年前まで通っていた団地内の小学校は、二〇〇六年(平成一八)に閉校して、現在は特別養護老人ホームにリニューアルされている。

「でも、私たちが通ってたマンモス校の頃のまま子供がウジャウジャいるのが私には見えるんです。大人もいるけど、老人ばっかりというわけではないです。生きてる人間じゃないということはわかりますよ。昔の人みたいに着物を着てたりモンペ姿だったりする人も混ざってるし、それに何より、全員、頭からずぶ濡れですから」

野村さんによると、「人」が水でずぶ濡れなだけでなく、団地内の地面はどこも濡れているのだそうだ。

「本当は乾いてるはずだとわかっているときでも、私の目には、ぬかるんでいるように映るんです。雨が降っているときのようだと言うよりは、まるで沼地みたいに、地面がズブズブになってるんですよ」

それを聞いて、私は野村さんの霊感は、もしかすると本物かもしれないなと思った。

なぜなら、河原町団地の敷地になっている一帯は、大正時代に製鋼会社が工場地として埋め立てるまで、茫漠とした沼地だったからだ。

さらに、第二次大戦中の空襲による被害が大きかった地域でもある。川崎市の工場群は、第二次大戦中には米軍による空爆の標的にされ、一九四二年(昭和一七)、一九四四年(同一九)、一九四五年(同二〇)と三度にわたる〈川崎大空襲〉の死者は、米国戦略爆撃調査団報告書によれば合計一五二〇人。しかし近年日本側の調査では戦時中に日本全土へ繰り返された大空襲での死者は件の報告書よりだいぶ多かったことが判明したため、川崎の死者数もその限りとは言い切れないだろう。

当寺の川崎市内の各工場では、全国から勤労動員された学生も働いていた。さぞ、無念だったろう。

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